脳腫瘍を乗り越えて(最初の手術編)

私が46歳の時、25年以上勤めた公務員を早期退職した理由は一つではなく、複合的なものでした。

ただ、40歳の頃に脳腫瘍の手術をしたことがきっかけのひとつであることは確かです。

手術は成功しましたが再発し、2019年12月に一時帰国して再度手術を行いました。脳腫瘍は日本人の10万人に一人がなり、そのうち悪性腫瘍と良性腫瘍の割合は約半々と言われています。

かつては、ガンが不治の病とされていたように、脳腫瘍というと、頭部という手術がとても難しい場所であることから、死亡宣告を受けたかのように受け止められる時代もあったかと思います。

(今でも“脳腫瘍”という言葉の響きはほかの病気とはちょっと違うものを感じられるかもしれません)

しかし、現代においては、MRIなどの事前の検査が格段に進歩し、良性腫瘍の場合は、脳幹の近くであったり動脈と絡み合うような困難な部位でない限り、手術によって治療が可能になっています。(以前、“神の手”を持つと称された福島孝徳医師はそういった困難な症例を手術しよくテレビで放送されていました)

また、悪性腫瘍においては、血管の多い脳は転移も早く、また、周辺の組織にしみ込んでいく浸潤しんじゅんによって、外科的な切除が高度に難しい(臓器のガンは周辺を含め切除しますが、脳の場合、ガンでない部分の脳を切除するリスクが大きい)などの理由から、ガンの中ではとても生存率が低いものでした。

しかし今では、外科手術に加えて、ガンマナイフといった放射線治療や化学療法などにより、その治療法は、目覚ましい進歩を遂げています。

私の場合は良性腫瘍でしたが、学会に症例報告されたそうで、かなり多きいものでした。

今回と次回の二回で、私の人生に大きな影響を与えた病気について、お話したいと思います。とくに以前も少しお話した、「早期発見」や「自分の体は自分で守る」といったことは、今、健康な方にとっても大事なことではないかと思います。

なぜなら、私自身、脳腫瘍と分かるその瞬間まで自分がそうであるなどとは考えてもみませんでしたから。明日のことは誰にも分かりません。

最初の手術

脳腫瘍と分かるまで

最初の脳腫瘍の手術までについては下記の投稿「鬱(うつ)とフィリピン・セブ暮らし」でもふれていますが、ざっとその頃から振り返ります。

新しく忙しい職場へ異動
4月からの新しい職場は、それまでとは畑違いの職場で、しかもかなり忙しく、連日9時から10時位までの残業でそれだけで月100時間を超えるほど、加えて、土日など休日にも業務があり、その振替休みの取得もままならない状況でした。

体調不良
そんななか、ときどき軽いめまいや頭痛、体のだるさなどを感じるようになったのですが、新しい環境で仕事も忙しく、疲れがたまっているものと思っていたのです。

近所の内科へ
その職場は、仕事は大変でしたが、上司も部下もとてもいい人たちに恵まれていました。夏が過ぎ、忙しさは相変わらずでしたが、新しい環境には少し慣れてきた頃、体調の悪そうな私を心配して医者に行くことを勧めてくれ、近所の内科の病院に行ってみました。

しかし、異常は認められず、メンタルではないかという診断でした。

実はそのころ、熟睡できないということがあり、すでにメンタルクリニックで、睡眠導入剤と軽い抗うつ剤を処方してもらっていました。(調子の悪い時のみで常時服用していなかったので、問診票には書かなかったのですが)

やはりしんどい
秋になり、相変わらずの症状ですが、仕事は休む事無く続けていました。

そのころ、ふと最上階の窓から下を眺めると「このまま飛び降りたい」と思うこともたびたびあり、その景色は今でも鮮明に覚えています。

約半年後に別の内科へ
その後、年末になって違う内科に行ったのですが、また「うつですね、処方します」と言われたのです。デジャブのような繰り返し。

年が明けても体調は一向に良くなりません。冬も終わりのころ、酒を飲むと、かなりひどい頭痛になり、また、めまいや体のだるさが気になり、素人判断でありながら「頭に何か問題があるのでは?」と疑うようになりました。

脳神経内科クリニックでMRI検査
職場の健康診断で脳ドックを受けれればよかったのですが、受けられる年齢が決まっており、私は対象外たったので、MRI設備のある脳神経内科のクリニックへ行くことにしました。

そこでも検査前の診察では「肩こり体操を教えるから毎日やりなさい、あまり気にすると余計に良くない」と、呑気なこと(先生としたらあまり心配させないようにという気持ちだったのだと思います)を言われました。

実際、脳腫瘍は10万人に1人といわれていますし、こういった不調を訴えるケースでも、深刻なケースはごくまれで、99.9%位は大したことがないケースでしょう。

仕事もしていた状態ですから、明らかに不自然な症状はなく、外見から判断することは難しかったと思います。

衝撃の結果と紹介状を持って大病院へ
MRIの予約もしていたので、その日のうちに結果をしてもらえ、再び診察室へ行くと、最初の診察の時とは全く異なる真剣な表情で「脳腫瘍です。紹介状を書くので、すぐに脳神経外科のある大きな病院に行ってください」とのこと。

画像には素人でもはっきりと分かるものが写っています。それもウソみたいに大きい。

最初の主治医の診察
家から通えるくらいで一番大きい病院の紹介状を書いてもらい、その足で向かいました。受付を済ませると、すぐにMRIを撮り、しばらく待つと主治医となる先生に呼ばれ説明がありました。大きさは一番長い部分で8センチ位で(女性などの手なら)握りこぶしに近い大きさ。こんなものが頭の中にあってよくこのくらいの症状で済んでいたものだと思うほど。

脳腫瘍は良性と悪性に別れます。素人目にも「こんな大きい悪性腫瘍はないだろう」とは思っていましたが、主治医からも「最終的には細胞の病理検査をしなければならないが、良性でしょう」とのこと。

このとき「脳腫瘍であることのショック」と同時に「ああ、今まで辛かったのは全部これのためだったのか」と原因が分かってホッとした気持ちもありました。

脳腫瘍の情報
診断された私の具体的な病名は「類上皮腫」というもので、このころ、ネットで検索して唯一専門家による解説があったのが、「沢村脳神経クリニック」の沢村豊医師のホームページ1)でした(当時は大学病院に勤めていられたと思います)。

それによると、再発の恐れはあるが、摘出すれば恐れる腫瘍ではないことが書いてあり、少しほっとしたのでした。

1)「脳外科医沢村豊のホームページ

最初の入院そして手術

手術
私は20代前半に肺気胸という肺の病気で手術をしており、全身麻酔の手術は2回目でした。手術室に入り麻酔を吸い込むと眠りにつき、次に目が覚めるときはICUです。夢さえも見ません。

手術前に執刀医の先生や麻酔医の先生、看護師さんに「頑張りましょうね。」と励まされるのですが、大変なのは先生などスタッフの皆さんで、患者はただ眠っているだけです。

手術は9時に始まり終わったのは5時近くで8時間近くかかりました。術後処置室で目が覚めたら、上司も来てくれて、父らと少し会話をしたらすぐにまた眠りに落ち、次に目が覚めたのは翌日でした。

術後の経過
執刀医の先生の話では「手術は成功で腫瘍も取り切った」とのこと。

術後は肺の手術をしたときに比べるととても楽でした。肺の手術の時は術後の痛みが続き、退院したあとも一人では起き上がれないほどでした。それに比べると頭部の場合は、術後1週間くらい顔がはれましたが、その後はそういった苦しみはありませんでした。

しかし、「めまい」が、なかなか治らず(歩けないほどではありませんが、ずっと不自然な感じがしていました)、入院中に眼科の検査も受けましたが異常なし。

あとは、手術によって頭部の筋肉を切るので、鏡で見ると、顔(口元)がひん曲がっているのがよく分かります。術後1週間くらいは、歯医者で麻酔を打ったときのように、しばらく飲み物がうまく飲めませんでした。(2度めの手術ではこのようなことはありませんでした。)

2回めの手術も経て、今も顔を見ると曲がっているのが分かります(もともとイケメン顔ではないのであまり気にしませんが)。そのせいで滑舌も悪くなっているような気もするのですが、声というのは自分ではよく分かりません。

また、テレビなどで、脳腫瘍や脳の手術で性格が変わったなどという話も聞き、心配にもなりましたし、脳の手術というと「高次脳機能障害」が心配です。入院中に、言語療法士さんによるテストも行いましたが、とくに異常はありませんでした。

主な症状
1週間ほどで抜糸し、体の方は、ぐんぐんよくなっていく感じがしたのですが、その後気になる症状が続きました。職場に復帰した頃のメモを今も残しています。

不眠(眠れない、寝付けない、朝早く目が覚めてしまう、ぐっすり眠った感じがしない)、過眠(起きられない・眠りすぎる)、食欲不振(食欲が無い)、吐き気、胃の不快感、または、過食(食べ過ぎる)、口が渇く、味覚が変わった、倦怠感(体がだるい)、疲労感(すぐに疲れる)、めまい、耳鳴り、頭痛、頭重、肩こり、体の痛み、息苦しさ、動悸、手足のしびれ、冷感など

もっともこれらは頭の手術をしたので、これくらいの症状はでてもあたりまえなのかもしれません。はっきりとした体の麻痺や高次脳機能障害でない限り、よかったと思わなくてはなりません。定期検診でも「あまり気にしすぎないように」と言われました。

右脳と左脳
基本的には人間では左側の脳が言語の優位半球となり、計算や数値的なことを主に担当し、右側の脳は画像等の情報を処理するといわれています(ただし10~20%の人では言語の中枢が右側や両側にあると言われています)。1)

また、脳と体を結ぶ神経は脊髄で交差するので、原則として障害を持った脳の部位と反対側の体に影響がでます。2)

私の場合は、脳腫瘍は右側でしたので左手に、軽くて鈍いしびれた感覚がありますし、繊細な作業は明らかに左右で異なります。利き腕の方でなかったのは幸いでした。

そのせいかは分からないのですが、職場に復帰してから、左肩から腕にかけて、しびれのほかに強い痛みに悩まされるようになりました。

近くの市立病院に、麻酔科のペインクリニック内科があってそこで定期的に治療してもらったのですが、治りません。セブに来てからはあまり気にならなくなったので、それはデスクワークの影響があったのかもしれません。確かに、気にするとなんでも気になります。

1)脳の機能(脳神経外科疾患情報ページ)
2)第10回「脳の左・右は体の反対側を支配」(札樽病院)

部下の休職や退職
バブル崩壊以降、公務員組織も人員削減が進み、一人あたりの負担が大きくなっていくことを実感するようになります。

復帰してしばらくしたころ、子育てと親の介護の板挟みで悩んでいる部下を持ちました。私も当時は制度化された介護休暇などを利用するなどして、仕事を続けられないかと、人事セクションに何度も相談したりしましたが結局退職という選択をすることになります。

多くの民間企業に比べると公務員は制度的には、はるかに恵まれていると思います。

サンデー大学も出て、仕事もできる人材なのにそれまでのきゃしかし、それでも(特に女性は)家庭環境によって仕事を続けられないというケースも生じているのが現実です。大学も出て、仕事もできる人材なのにそれまでのキャリアを捨てなければならないということは、とても残念でした。

また、前任地でメンタルの面で休職していて私の係に異動してきた部下がいました。

その時は、仕事分担も軽減するなど環境に配慮したのですが、結果的には再発という事になってしまいました。

その年度は欠員補充もなく、かなりの残業をすることとなり、体調面においても不調を感じていました。それは、年齢からラくるものなのか、病気の影響なのかはよく分かりません。

約7年後、早期退職しセブへ

結局その次の年に別の職場に異動し、そこで退職することになります。

このあたりの話は、今まであまりしてきませんでした。私がセブに来てしばらくの間は、このころのダメージのリハビリという意味合いもありました。

この関係の話は、今作っている動画でしようと思っているので、また別の機会にブログでもふれたいと思います。

突然気を失い意識不明になり救急車で運ばれる

この話は2017年10月10日に投稿したところです。

このころは、父に認知症の症状が現れ一時帰国(2017年8月)したころで、父の介護認定手続きを終えたところでした。

まさかですが、自分が意識不明になり入院することになるとは。この日は定期検査で自分のMRI検査をした日でした。

まさかMRI検査をしたその日に救急搬送して運ばれてくるなどとは先生も思っていなかったと思います。倒れたのは、まだ日が暮れていない時刻だったので、多分主治医の先生も対応してくれたのではないかと思っています。

ラッキーだったのは父がちゃんと救急隊員に私の脳腫瘍手術をした病院を伝えて、そこに搬送されたことです。なにしろ意識不明ですから本人に何も確認できません。

しかし、脳腫瘍との関係は明らかですから、それまでの経過などのカルテを参考にできたことは救命センターでの対処に大きなプラスになったのではないかと思われます。

最初の手術から9年くらい経っておりましたが、その間は薬などは一切飲んでいませんでした。

実は、そのとき、再発していることは分かっていたのですが、大きくならなければ手術をする必要はないため様子をみていました。ある程度大きくなっていたことが原因のひとつかもしれません。

いずれかは、手術しなければいけないと思ったと同時に、やはり、「気を失う」なんてことがあると「早めに手術をしたほうがいいのか」という気がしました。

古賀さんの訃報に思うこと

古賀稔彦さんの訃報
人はいつ何時病気になるか分かりません。昨日まで元気でピンピンしていた人が突然倒れることもあります。ましてや1年先のことなど分かるはずもありません。

一日が終わり、寝る前には、今日が無事終わったことに感謝し、明日も元気でいられるようにと願うなんてことは、20代、30代の頃は考えてもみませんでした。

こんなことを思うようになったのは、40代になって脳腫瘍が発覚して以降のことです。

先日、1992年のバルセロナオリンピックの柔道金メダリストで、「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦さんがお亡くなりになったとのニュースがありました。

このオリンピックでは、水泳の平泳ぎでの当時中学2年生の岩崎恭子さんや柔道の吉田秀彦さんが金メダル獲得、柔道のヤワラちゃんこと田村亮子さんやマラソンの有森裕子さんなどが銀メダルを獲得、バスケットボールではアメリカのドリームチームが話題になった大会です

古賀さんは53歳だったということで、もしかしたら私と同じ学年かもしれません。

園児から大学生まで幅広く柔道の指導をされていたとのことで、まだまだ、やりたいことはたくさんあったかと思います。

フィリピンに住んでときどき思うこと
あまりいい話ではありませんが、もし私がフィリピンに生まれ育っていたならもう4、5回死んでいたかもしれないと思うことがあります。

最初は20代の頃、肺胞に穴が開く肺気胸で手術をし、その数年後にまた再発、今回お話した脳腫瘍に、意識不明での救急搬送、そして次回お話する脳腫瘍の再発です。

フィリピンでしたら、プライベートホスピタルの手術には莫大なお金がかかりますし、公立病院でしたら満足な処置は行われません。(もしプライベートホスピタルに行けたら助かっていたかもしれないという話は何度か聞いたことがあります。)

フィリピンではすでに何人もの友人や知人が亡くなっています。フィリピンでは、日本より死というものが身近に近いものに感じられるような気がします。

特にコロナという歴史に記憶されるような事態の真っ只中にいると、命というものを強く意識するようになります。

一日一日を無事過ごせることに感謝しながら、できることを無理せずしながら暮らしていきたいと思う日々です。

おわりに

この後、ユーチューブ動画に関する投稿がいくつかたまっているため、その後に後編を投稿したいと思っています。

さて、マニラ首都圏などは、とうとうECQになるそうです。

最近、動画を始めたので、撮影・編集の仕方や参考になる動画などをユーチューブで調べることがあるのですが、たまたま、マニラの夜の接待業の店でアルコールが入った上でソーシャルディスタンスゼロの様子が撮影された動画を目にして驚いたことがあります。(多分、MGCQのセブ同様にGCQ(当時)のマニラも接待業の再開は許可されていないのではと思われるのですが)

日本でも自粛要請に対するいろいろな意見があります。そのお店にとっては死活問題であり、私が何か言える立場ではありませんし、また、そのお店を訪れたyoutuberの方に対しても同様です。ただ、驚いたということです。(特にタクシービジネスの場合は許認可が厳しく、ガイドラインに反する行為は考えられません)

相対的に見れば、日本人より「上からの命令」や「同調圧力」といったものに従う傾向にないと思われる多くのフィリピンのひとたちが、1年にもわたって、じっとけなげに国の定めたルールを守っています。それは、やはり医療環境が不十分なフィリピンにおいて、「家族などを守る」ということを思ってのことではなかと思われます。

私は、コロナに対して、過剰に危機感をあおったりするような意見や極端な対応には懐疑的で、諸手を挙げて賛同する意見を持ってはいません。

ただ、一般の人が唯一できること・すべきことは、「手洗いやマスク、ソーシャルディスタンスを守るといった基本的な感染対策(特に飛沫防止)をする」ということは、世界的な共通認識でもあり、「当面は意識して続けていく必要がある」のではないかと思っています。

フランスも3月19日から4月18日まで3度目のロックダウンに入っていますが、世界的に見れば、確実に感染者の増加は抑えられています。医療崩壊することなくワクチン接種が完了することが、世界の国々が今描いているひとつの(あるいは最初の)着地点と思われますから、それまでしのげるかが大事なところともいえます。

考え方は色々ありますが、「この1年間苦労したから、過去の歴史のようなパンデミックの大惨事にならずに、ここまで抑えられた」とも考えられます。

希望の出口がまったく見えないわけではありません。笑って振り返られる日が来るまで、もうすこし頑張りましょう。

生きていれば、必ず、いつかきっと来るその日まで。

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