タクシービジネスを始めてみたら【セブの5年間を振り返る6(最終回)】

今回は「セブの5年間を振り返る」の最後になります。お話する内容はこのブログを始めたきっかけとなるタクシービジネスについてです。

今から2年ほど前、「セブで始めたタクシービジネス」というタイトルで2017年の12月から5回に渡って投稿したときは思いつくままにテーマごとだったのですがあらためて時系列に沿ってお話しします。重複する部分もありますがご了承ください。

タクシービジネスをはじめてみた

現地語も英語もできなくて

私がセブでビジネスを始めたいと思ったのはまだ英語学校に在学中のときでした。寮を出てアパート暮らしを始めたものの現地語はもちろん英語もろくに話せない状況で人脈もないのですから今思うと全く無謀な話です。

フィリピンでは日本と比べると外国人はとても簡単に長く滞在できます。しかし一方で土地の所有が禁止されていたり、参入条件が厳しかったりとビジネスを行うことはとても難しくなっています。これは他国からの侵略、占領を受けた歴史も背景にあるのかもしれません。

私がセブに来たころにセブ島のコールセンターで働く日本人60人くらいが不法就労で逮捕されるという事件がありました。最近はオンライン賭博で中国人が何千人と逮捕されるなど社会問題化しています。

フィリピンにおける外国人や外国企業のビジネスに関するハードルは下げられる方向であるとは思いますが、他の国で生活する、ましてやビジネスをするのであれば現在の法制度をしっかり理解し守る必要があると思います。

私の場合は一個人での小さなビジネスですが、外国人に対してはよからぬことを考えてカモにしようと近づいてくるケースもよくあると聞きました。また長く在住している方からは「フィリピン人よりもむしろ日本人に気をつけなさい」というアドバイスも受けたこともあります。

今に至るまで明らかな詐欺には引っ掛かりませんでしたが、後にビジネスパートナーに関して痛い思いもしました。

限られた選択肢

いち個人がフィリピンで起業して行えることといえばある程度限定されます。当時はセブも日本人経営の英語学校はそれ程多くなく、その後たくさん設立されたことを考えるとチャンスだったかもしれません。しかし私の場合はそもそも英語力がないことからこれはだめだろうと選択肢から外れました。

また、当時のマニラは不動産バブルのような情報も流れておりセブも高層ビルの建設ラッシュを目の当たりにしていましたので不動産ビジネスも考えました。

外国人は基本的に土地を所有できないため扱うとしたらコンドミニアムがいいとある人から助言されましたが不動産は投資額が大きく失敗するとダメージが大きいのでどうも気が進まず諦めたのでした。

(今思うと、日本でもその後民泊が注目されましたが購入しなくとも借りて又貸しするというビジネスでもよかったもしれません。セブでもコンドミニアムの民泊やシェアオフィスなども広まってきました。)

セブにも日本食レストランも増えてきた頃ですが私はプロレベルの料理が作れるわけでもなく、またダイビングもできないのでダイビングショップも無理です。ほとんど選択肢がないというか、何にもないように思えました。

とりあえず現地企業で働いてみて語学力をつけ、人脈を広げるところから始めるのが一番良い方法だったのかもしれませんが、その頃は日本での仕事を辞めてまもなくで精神的に落ち着いておらず、まだ蓄えもあったので結局セブでの生活を楽しみながら焦らず地道にビジネスを探すことにしたのです。

タクシー経営者を訪ねる

そんなとき友人のつてで、マニラでタクシービジネスをしている方を紹介してもらい、後の初代ビジネスパートナーとともにご自宅を訪問する機会を得ることができました。

その方からは役所の手続きやドライバーのマネジメント、車両のメンテナンス、気をつけるべきことなどのノウハウを惜しみなく教えていただけたのでした。

このときだけでなく、何人ものフィリピンでビジネスしている方から、初めて会う相手でもあるにもかかわらず、親身になって相談に乗っていただきました。

先程お話したように「フィリピンでは他人に対しては警戒すること」というアドバイスもそれは正しいので難しいところもありますが異国の地だからこそ日本人同士という「きずな」を感じる面があることは確かです。

タクシービジネスに関してはそれまでも周囲に意見やアドバイスを求めており、「ドライバーが車を盗む」「タクシー強盗でタクシー自体が盗まれる」「ドライバーが自分のものでない車を大事にするわけがないので故障する」「ドライバーがちゃんとバウンダリー (毎日ドライバーがオーナーに支払うタクシー使用料) を払わない」「事故のリスクが高い」などというおおむね否定的な意見が多かったのは事実です。

しかし、ビジネスとして全く成り立たないのであればこれほど多くのタクシーが街中を走っていないとも考えられます。 実際に経営している方の話を聞くことができ、 問題は「それらの課題を克服するノウハウを持って実践できるか」なのだと感じました。

マニラとセブという違いはあり、たしかに大変な面はあるが他の職種に比べると素人にはとっつきやすく、収入的にもある程度台数が揃えば現地で暮らしていけるくらいにはなるのではないかという印象でした。それは一緒に行った初代ビジネスパートナーも同様で、私とビジネスを始めることを決めてくれたのです。

しかし実際に調べてみると、セブでは新規のフランチャイズを発行しておらず、中古フランチャイズの買い取り価格が高騰していたり、バウンダリーの相場も低かったりと事情が異なる面があり、また、実際に始めてからも制度が変わって苦境に立たされたりするのでした。

【1年目】おんぼろ中古タクシーでスタート

最初のビジネスパートナーを見つける

外国人がフィリピンでビジネスを行うにはフィリピン人のビジネスパートナーの存在が大きいというアドバイスも多く受けていました。

フィリピンでビジネスを行うにあたってまず問題となるのが名義です。個人事業主の場合は外資100%の事業に限って外国人名義が可能ですが現実的ではありませんし、会社にする場合も外資100%の要件は厳しく、私の場合は40%ですから残りの60%はフィリピン人が所有することになります。

配偶者がフィリピン人であればその配偶者を個人事業主として行うケースは多いと思います。 友人などの他人の場合は誰しもビジネスを始めるときは良好な関係ですが、それがずっと続くかという不安要素はあります。日本での起業でも友人との共同経営は難しい面があるとも聞きます。

フィリピンではフィリピン人側には何の事業かも知らせず当事者同士は全く面識もなくただ共同経営者とする名義貸しビジネスもあると聞きました。

しかしアンチ・ダミー法というのがあってそういった名義貸しは違法とされています。

私の場合、フィリピン人ビジネスパートナーが個人事業主として行うという形で始めました。開業資金は私が負担しますがビジネスパートナーに出資しオーナーはあくまでビジネスパートナーになります。

当時、外国人個人がビジネスを行う場合は配偶者名義というケースが多かったようですが、そうでない場合の権利保全の方法は色々考えられており、私もできるだけ情報を集めました。

結局ビジネスパートナーとはアグリーメントを結んだだけです。それは現実的にはあまり実効性があるとは思えませんでしたが、その時はとにかく信頼できるビジネスパートナーを選ぶことが第一と考えていました。

ビジネスパートナーの家族や親戚に会いに行く

最初のビジネスパートナーはセブ島以外の出身でした。飛行機で行き、観光も兼ね1週間ほど滞在し家族や親類それに友人などできるだけ多くの人と会いました。

ドライバーに関しても以前の投稿でお話しましたが、役所(LTFRB)で声をかけてきたドライバーを採用して失敗したことがあります。たまに「ドライバー募集」の張り紙をしたタクシーを見かけますが、うちは現在は紹介でしか採用していません。また機会があればなるべくドライバーの家に行って家族に合うようにしています。

欧米の影響を強く受けているフィリピンですが、今も大家族制度が残っています。信頼関係を深めるためにも、またそれを継続させるためにも家族ぐるみの付き合いをすることは大事なことではないかと思います。

後に行方不明になる2人目のビジネスパートナーの居所を掴むことができたのも家族や友人の協力があってのことでした。

個人事業主でビジネスパーミット取得

まったく右も左もわからないフィリピンでのビジネスですから最初からうまくいくとは思っていません。当時はまだ退職金の蓄えもあったので失敗しても勉強代くらいのつもりでした。

私の場合は実際にビジネスパートナーが主体となってマネジメントするかたちでしたが、私自身も近くに引っ越して十分コミュニケーションがとれるようにし、ビジネスパーミットなども取得に際してひとつひとつつ必ず自分で確かめ学んでいきました。

なお、英語学校で約半年学んだものの英語力はまだまだですからカシオの電子辞書を片手に奮闘です。ビジネスパートナーとのミュニケーションでは「えー知らないよ」「言ったよ」 といった行き違いやミスアンダスタンディングが日常茶飯事で遠くからだとコントを見ているようだったと思います。

(「あまちゃん」で「奈落にいた頃が一番面白かったよ」というセリフがありますが何事もスタートしたころが一番大変だけれども楽しく思い出に残るのかもしれません。確かにこの頃は希望に満ちた毎日で楽しんでいた気がします。)

超おんぼろの中古タクシーで試しにスタート

まずは失敗しても勉強代とあきらめることとし、タクシー1台からスタートすることにしたのでした。

マニラの状況と異なり、そのときセブではすでに新規のフランチャイズは交付していなかったため、既存のフランチャイズを買い取るしかありません。そのため大規模オペレーターが競って買いあさり相場がどんどんつりあがっていく状況でした。

新規なら数万ペソで購入できると聞いていたフランチャイズの値段はすでに1台あたり50万ペソまで高騰していました。

フランチャイズを売りたいという情報は役所(LTFRB)で得ることができるのですが交渉に入ると大規模オペレーターはこちらより高い値段を提示してきます。

完全に売り手市場です。この状況は後に役所が名義変更手続きをストップするまで続き、知り合いのつてでなんとか安く購入したりしたのですが、このまま高騰が続いたらもとが取れるのだろうかと頭を抱えるのでした。

毎日故障、収入より修理代の方が上回る赤字経営

最初に購入したフランチャイズは中古の車両(トヨタビオス)付きだったのですがもう10年になろうかという車両で故障ばかりして修理代がかかり、修理中は収入も入らないという悪循環に陥っていました。

これではいつまでたってもフランチャイズ代を回収するどころかかえって赤字になってしまいます。

2台目のフランチャイズも中古の韓国車付きで、こちらはまだ5年落ちくらいだったにもかかわらず故障が多く、部品がマニラから取り寄せで2週間以上も動かないことがあるなど散々でした。

修理中で走れないと、私はもドライバーもその間無収入です。このため新車に買い換えることを決めたのです。

セブのタクシーは恐らく9割以上はトヨタのビオスという車種です。タクシーは24時間システムですと1年で10万キロくらいの走行郷里になる場合もあります。ビオスは故障が少ないうえに部品が多く流通しているので取り寄せに時間がかるということもあまりありません。

また修理のことを考えるとへたに最新の技術力が詰まっている車種よりシンプルな方が良かったりするのですが、安くて丈夫という点でビオスが一番なのだと思います。

ドライバーの要望でマニュアル車(ガソリンはドライバー持ちなので燃費を気にするようです)でとにかく一番安いグレードにしたのですがパワーウインドウもドアロックも付いていなくてドライバーに不評でした。

(日本でもタクシー強盗とかありますが、赤信号で停止中に荷物を盗まれたり、強盗などに気を使います。客が窓を開けたまま降りたりするといちちレバーをくるくる回して締めたりロックするのが面倒くさいとのこと。)

何から何まで手探りです。

新車に更新!

車両を更新するのも簡単ではありません。 「Dropping and Substitution」という古い車両を廃して新しい車両で登録する手続きを行うのですが、書類手続きだけでなく役所でのヒアリングもあります。古い車両が運行できなくなって新しい車両が運行できるようになるまで3ヶ月以上かかりました。

その間ドライバーは運転できません。その時のドライバーは「ズンバ」という当時ブームだった?ダンスのインストラクターもやっていてそのバイトで食いつないだとのこと。

ドライバーも家族を抱えて生活がかかっているところ本当に申し訳ないです。台数が増えたら計画的に更新サイクルを考えて、仕事が途切れないようにしたいと思ったのでした。

新車に更新するには新車なのに「LTO」の車検場で車体検査や排ガス検査を受けなければならなかったり、警察署まで車両を持ち込んで登録したり、いろいろやることがあり大変です。

最終的にボディーにつける番号やネームのデザインを決めてステッカー(あるいはペインティング)を貼り、トップライト、メーターなどを指定店で取り付けるとだいぶタクシーらしくなります。

(その後、CCD(防犯)カメラ、配車アプリ会社への登録とタブレットの設置、GPSと位置情報システム会社への登録も義務付けられたのでそちらの手配も必要です。)

フィリピンは日差しが強いのでガラスフィルムが義務付けられているのですが貼り方にも基準があったりします。 また、個人所有のオーナーはステッカーで子供の名前を入れたりすることもあるのですが(カミさんも姪っ子と甥っ子の名前を入れたりしてました)、フロントやドアなど余計なところにステッカーを貼ると検査で不合格になってしまいます。でも一番目立つトップライトは恋人の名前でも何でもいいのです。

(これに限らず役所手続きに関して、どうでも良さそうなことにやたら厳しかったりする一方、こんないい加減でいいのかというくらいゆるかったりと感じることが多く、ルールや規制、書類審査などの加減やツボは今でもよく分からないところがあります。)

最後は役所「LTFRBへの苦情申立の電話番号案内のステッカー」や「車椅子のステッカー」を購入してペタッと貼って最後に検査員を乗せてメーターを実測する検査を受けて許可されます。

めでたく走り出したのですが、最初はわからないことだらけです。しばらくするとドライバーから車内にシートを付けてほしいと要望され取り付けました。セブはやはり南国でスコールがあると豪雨で車内に水が入ってしまいます。マットだけでは不十分でシートを一旦はずしてビニールシートで覆うのです。

どの業界でもそうだと思いますが細かいノウハウは実際にやってみて学ぶことばかりです。

新車は購入後しばらくは、まったく故障しませんから収入も安定します。このまま台数も増やせれば会社化してビジネスとして成り立つのではないかと思ったのでした。

わずか2か月あまりで大事故発生

ところが新車が走り出してからわずか2か月位で大きな事故を起こします。原因はバイクが脇道から出てきて前の車が急ブレーキを踏みそれに追突したのです。ドライバーはエアバックのおかげもあってか無事だったのですが乗客の外国人が大腿部骨折の大怪我をしたのでした。

旅行保険にも入っていないということで結局その費用は60万ペソ以上にのぼりましたが全額負担しました。結局そのときのドライバーはどこかに行ってしまいました。このときばかりはさすがに「タクシービジネスはやはりリスキーで無理かなあ」と頭をよぎったのでした。

しかし、その後現在に至るまで幸いなことに過失の有無に関わらず人身事故は一度も起きていませんしこの1、2年はこちらの過失による物損事故もありません。

新しく入ったドライバーはもちろんドライバーたちには事ある毎にこの事故のことを話し、「大事故が起きたらビジネスが終わりかねない。そうなったらドライバーも仕事を失う」と、安全運転に務めるよう意識付けに努めてきた甲斐があったのかもしれません。

1人目のビジネスパートナーがギブアップ

しかしこの事故がさらに重大な事態を招くのでした。

ビジネスパートナーはオーナーであると同時にマネージャーでもあります。24時間システムですと夜中に事故で電話がかかってくる場合もあります。人身であれば警察署(当時は市の交通安全のセクションでした)に出頭しなければなりません。

また親ほどの年齢差があるドライバー同士のトラブル対応もしなければなりません。

マネージャー業務はストレスフルです。事故対応も一段落した頃、ビジネスパートナーが辞めたいと言い出したのです。

事故対応に関しては私の方もショックで、一連の騒ぎの中でビジネスパートナーとのコミュニケーションに行き違いも生じていて、関係も微妙な状態でした。一度やる気が失せてしまったものを取り戻すほどのお互いの信頼関係はすでに無くなっていました。

このときビジネスパートナーが個人事業主で車両の名義もそうです。もし感情的に関係がこじれていたらとても厄介なことになっていたでしょう。しかし、その後の会社への移行も含めて遺恨を残すこと無く事務手続きに協力してくれたのでした。

【2年目】2人目のビジネスパートナーが行方不明

バタバタと二人目のパートナーをきめる

とりあえず早く次のビジネスパートナーを決めなければなりません。 最初のビジネスパートナーの知り合いでビジネス経験もあり私も面識があった人物に頼むことにしたのです。

何度か打ち合わせをしたのですが、やる気満々、自信満々でした。しかしこれが結果的に失敗でした。

会社設立

このころちょうど私の結婚の準備をすすめていた時期で、これを機会に会社の設立の準備を始めました。最初はビジネスパートナーが会社登記も自分でやると言っていたのですが一向に進展がなく、この頃から少し気がかりではありました。

トラブルばかり

2人目のビジネスパートナーは最初は自信満々だったのですが3か月もすると ドライバーとの関係で もう音をあげ始めました。家が離れていたので任せきりになる部分が多かったのも良くなかった点です。

確かに初期のドライバーたちはクセが強く一筋縄ではいかない者たちが多く、今残っているのは以前ブログで紹介した初代ドライバーのみです。

バウンダリーも「今日は稼ぎが少なかったからこれしか払えない」と言って払わなかったり、とにかく文句が多く、何かあると「DOLE(ドーレ;DEPATYMENT OF LABOR AND EMPLYMENT;日本でいえば労働基準監督署のようなもの)に訴える」と言い出す者もいました。

なるべくドライバーと関わりたくないのか自分で見つけてきたメカニックに「バウンダリーの受け取りなどを任せたい」というので、権限を持たない者が間に入るのも一つの手かなとも思いあくまでマネジメントは任せないということで了承しました。

しかし、しばらくすると、そのメカニックが辞めると言い出し、理由を聞くとドライバーたちとのトラブルはもちろんですが、ビジネスパートナーとの関係もうまく行っていないようでした。カフェで話をしたのですが最後は涙ぐむというような状況でした。

プライベートでは結婚の準備をすすめている一方、ビジネスの方は暗雲が立ち込めているのでした。

2人めのビジネスパートナーもギブアップし妻がマネージャーに

半年してとうとうビジネスパートナーから「もう無理」と連絡が来ました。私自身ドライバーたちとも話すなかで、いずれビジネスパートナーを変えなければならないだろうなとは感じており、了解しました。

とりあえず暫定的にカミさんがマネジメントを引き継ぐことにしたのですがそのままではカミさんも同じ結果になりそうです。

それまではビジネスパートナーのマネジメントにはあまり干渉しすぎないように心がけていたのですが、ドライバーの不平不満や問題はすべて私が直接話をすることにしました。

24時間システムは二人のドライバーが交代で運転するのですが、毎日ガソリンを満タンにすることがルールなのに直前に満タンにしていないというようなことから、金を貸してくれとうるさいとか、休む予定でサブドライバーが準備していたのに急に気が変わったのか先に乗って行ってしまったとか。

またドタキャン問題も多く、ドライバーの家の近くのガソリンスタンドを借りて深夜の交代の時間だけ車両を置かせてもらっている車両で連絡なしに休んで車が置きっぱなし状態になってしまい、マネージャーから苦情の連絡が来てもうひとりのドライバーと謝りに行ったりと毎日何らかの対応をしていたように思います。

リペアショップとメカニック探し

まず一番の課題は修理やメンテナンスです。カミさんは全然車のことがわかりません。タクシーの場合はメカニックやリペアショップの質(修理にかかる時間と確実さ)が直接ドライバーとオペレーターの収入に影響を及ぼします。またメンテナンスは長期的に影響してきます。

家の近所にフリーランスのメカニックがいて以前大規模のタクシー会社で働いていたこともあるというので契約できないかと期待したのですが試しに頼んだ修理で高い工賃を要求された上、数日で同じ箇所が壊れるということがあり諦めました。

ドライバーのトラブル、車両のトラブル、役所手続きと手探り状態で試行錯誤の毎日でした。信頼できるリペアショップを見つけるのはもう少し先になります。

まさかの行方不明と使途不明金

2番めのビジネスパートナーから銀行口座や会計報告などを引き継ぐ予定だったのですが「体調が悪くしばらく待ってほしい」という連絡から数カ月が過ぎ、ある日突然メールが来ました。

メールの内容は「オーストラリアに行くことになりもう着いた。通帳や帳簿は友人に預けたので後で受け取ってほしい。こちらはインターネット環境が悪くもう連絡が取れない。収支が少し合わないかもしれないが誤差だと思ってほしい。」

というような内容。家に行くと友人が後片付けをしており預かったという帳簿や通帳をもらいました。

通帳は二つのうちの一つしかなく、 新車購入の際の頭金や役所の手数料として預けていた30万ペソ以上の残金があるはずの通帳は残高ゼロです。

『少しの誤差』どころではありません。とても「はいそうですか」とは言えない額です。

家族は連絡されるのを嫌がっていましたが、共通の友人を通し地域コミュニティに仲介してくれる人がいて、少しすると世間体を気にしてか本人から「家族は関係ない、自分たちで解決すべき」と連絡が。

「インターネット使えるじゃん(大体オーストラリアでインターネットが使えないって砂漠にでも住んでいるのか?)」とか「そもそもこういう事態になった原因はそっちでしょう」とか思うところはいろいろありましたが、その仲介者の立ち会いのもとで使途不明金を分割で全額返金するということでケリを付けたのでした。

その後、返済は今も続いています。

【3年目】会社を起こし新体制で再スタート

弁護士の紹介で新しいビジネスパートナーをみつける

フィリピンはアメリカの影響を受けているのか弁護士社会です。契約書にしても役所の手続きでも弁護士の公証(notarization)が必要だったりします。

私のような個人事業主レベルですと顧問弁護士を雇うような必要はありませんがなじみの信頼できる弁護士がいると安心です。仕事関係だけでなく個人で事故を起こしてしまったときの示談を頼んだりといろいろ頼りにしています。

2人目のビジネスパートナーが行方不明になってしまったときも既に新会社の役員として許可されてしまっておりその対応で相談したのですが、その際に車両メンテナンスをどうしようか困っているという話をしたら、友人を紹介してくれたのです。

それが3人目のビジネスパートナーです。後で知ったことですが、弁護士もカミさんも彼も同じ大学出身でした。

現在は車両関係のマネージャーという形ですが仕事ぶりも信頼もできるので今後考えている新しい事業でも協力を求めていきたいと思っています。

メンテナンス

フランチャイズを購入するたびに必ず前のオーナーに聞くことがあります。フランチャイズを手放した理由と何かアドバイスがあったら教えてほしいという2点です。

「フランチャイズを手放した理由」はなかなか本当のところを話してはもらえないとは思います。 ほとんどは「他のビジネスを広げるため資金が必要」というものですが一人だけ「タクシービジネスは失敗だった」というオーナーがいました。

そのオーナーは役所のフランチャイズ更新手続きをミスって更新できずに売りに出したのですがその売買代金も7割がペナルティーとして没収されるとのことでした。失敗した理由はもちろん役所の手続きなのですがそもそもドライバーに問題があったというのです。

それはドライバーが「事故ばかり起こす」というものすごく初歩的な問題ですが、自分の経験から身にしみて感じ、そこがだめならだめなんだろうなあと納得できました。

他のオーナたちの話で共通するのは「ドライバー」と「メンテナンス」です。メンテナンスについてはみな「オイル交換」のことを言います。よっぽどみんな「オイル交換しないんだろうな」と感じざるを得ません。

今は3人目のビジネスパートナーが見つけた信頼できるリペアショップでエンジンオイルを持ち込んで入れてもらっています。このときにプラグやフィルター類を一通りチェックしてもらい早めの交換をしています。

セブに来た頃ですが街なかでタクシーがエンストしていて、欧米人の乗客が手伝って道路脇に寄せるため押している光景などをみて「日本じゃまず見ないなあ。すごいなあ」と思ったものです。

メンテナンスに関してはドライバーには自己点検もお願いしていますが力量に差がありやはり限界があります。日本のようなしっかりした定期的な車検場での検査が無いのでなおさら自己管理が必要です。

マネジメント

ビジネスパートナーやマネージャー、スタッフに関して事務能力として特に数字に強いか、プランニング、スケジューリング、書類の事務処理能力などに注目する必要があるかと思います。

数字に関してはフィリピンの教育課題で数学が弱いという点はよく指摘されているところですし確かにそう感じる場面はあります。プランニングスケジューリングは相手があることなので難しい面はありますがそれを踏まえて計画しなければもっとひどい状況に陥ります。

書類に関してはフィリピンでは皆ある程度は英語で会話ができますが読解力はかなり差があるように感じます。契約書や役所の公文書・申請書類はみな英文なのですが、公文書の読解はやはりそれなりにしっかり勉強していないと難しい面がありますし手続きでのミスは致命傷になりかねません。

私の妻は決して裕福な家庭には育っておらずスカラーシップ(奨学金)を受けて大学を卒業しました。大学在学中もフィリピンではよくみられるワーキングスチューデントとして学業とバイトの両方で忙しく遊ぶ暇はなかったようです。

下に3人のきょうだいもいて大学をやめようとも思ったようですがフィリピンでは若い労働力はあまっており、日本以上に学歴で仕事が限られてしまう社会です。

卒業した大学は私立で裕福な家庭の学生が多い学校でした。今思えば私が出会ったときは個人事業主の小さな職場ではありましたが6年以上続いており、それはボスから信頼されており事務能力も認められていたということなのだと思います。

役所(LTFRB)の書類はとても煩雑で一定の事務処理能力が必要です。一方の重要な要素であるドライバーのマネジメントに関しては当たりの柔らかさと厳しさの使い分けといったコミュニケーション能力が必要でそのへんもうまく対応しているように思えます。

なんだかんだと近くに優秀なマネージャーがいたのでした。(彼女は代表取締役でもありますし持ち株も私より多いですから私が上から目線で言える立場ではないのですが)

【4年目から】ようやく安定か

新体制が軌道に乗る

新体制になってから1年もたつと随分落ち着いてきました。最初の頃はドライバーたちとも根気強く話を続け、問題があるドライバーも辞めるなどして私が出ていく機会はずいぶんと減っていきました。

マネージャーの仕事は役所の手続き関係、ドライバーのマネジメント、車両の維持管理(メンテナンス)が3つの柱といえます。

私の場合は最初の2つは妻が、車両のメンテナンスはビジネスパートナーが行っていますがこの分担はだいぶうまく回るようになってきたように思えます。

フランチャイズ凍結とコンソレデーション

ビジネスを始めた頃は新規フランチャイズの発行を停止したために中古フランチャイズの取引価格の高騰が頭痛の種でした。

その後二人目のビジネスパートナーの行方不明騒ぎのドタバタの最中に役所がフランチャイズの名義変更の手続の停止を発表したのです。

ただこういったことは以前にもあってその時は1年位で再開したとのことでした。結果としてフランチャイズの取引価格の高騰が抑えられました。

役所に確認すると 名義変更の手続を禁止しているがフランチャイズの売買自体を禁止しているものではないとのこと。しかしやはり名義変更できないというのは前オーナーとトラブルになったときに問題です。

この結果当面は確実に信頼できるいくつかの取引だけして台数を増やすことを控えました。

しかし一昨年末にそれまで1フランチャイズあたりの許可台数が発行年によって異なっていたものを10台にまとめ、名義変更事務を再開するという制度改正が行われたのです。この事務手続きを「コンソレデーション」とよんでいます。

そのアナウンスからもう1年以上経ちます。以前の投稿でこの手続に伴い駐車場を借りたり新車を購入したお話をしましたがまだ続いています。この手続が終わればやっと一息つき、次のステップである新しい事業に取り組めるのですが。

フィリピン(スモール)ビジネスで思うこと

徳川家康といえば 「泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」でその性格が表されますが「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」で始まる遺訓とされる「東照宮御遺訓」(久能山東照宮)があります。何だかこれまでの経験に当てはまることが多い気がします。

「急がないこと」「不自由・困難があたりまえと考えること」「忍耐が平和の源」「怒りは敵」「失敗(負け)が大事」「他人を責めない」「及ばざるは過ぎたるにまさる」など。

法律も文化も異なる異国ですから日本の感覚でいても無理があります。

日本から飛び出してセブでの居心地のよさにこの地に住みたいと思うようになり、生活のためにビジネスを始めました。小さなビジネスですがこれまでは余裕はあまりありませんでした。しかし最終的に仕事が苦痛になるようでしたら結局日本にいたときと同じになってしまいます。

ひと段落したら、今後は自分自身がやりたいと思う事にもいろいろと取り組んでんでいきたいと思っています。

今日は少し長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。この先どうなるかわかりませんが時々ブログを覗いてていただけたら嬉しいです。

※パソコンを変えたら日本語変換がイマイチで苦労してます。

ウィルスも冬の寒さも心配ですがみなさまお元気でお過ごしください。

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