とあるカフェで
以前住んでいたアパートのそばにあるカフェ。
私が初めて訪れたのは3年前くらいか、家から徒歩圏内で、Wi-Fi環境も良好だったのでよく利用していました。
行くたびにカウンターでパソコンをいじっている若い韓国人の若者がいて、てっきり常連の学生かと思っていたらある日スタッフが席を外していたらすたすたとカウンターに入ってオーダーを取り始めたのです。
彼はオーナーでした。以前のオーナーも韓国人で営業ライセンスを受け継いだとのこと。
しばらくすると今度は30代くらいの女性にオーナーが変わり、またしばらくすると中年の姉妹に代わりました。いずれも韓国人。
客層は韓国人とフィリピン人が半々くらいでたまに日本人が来る感じでした。
その後引っ越して家にランドラインのインターネットも入ってすっかりご無沙汰していたのですが、日曜日からネット障害が起きて完全に不通となり、久しぶりに訪れたのでした。
そしたらフィリピン人と思われるオーナーに代わっていました。
2人目のオーナーが辞める際には営業権を売る話もあって、たしか100万ペソ以上で、相場はよくわからないのですが居抜にしても結構いい値です。
(もっとも飲食店は外資規制で小売業に分類され外国人は250万ドル未満の資本では参入できません。フィリピン人配偶者がいるようには見えないので名義貸しで行っているのでしょう。ダミー法というのがあり、リスクはありますが。(今回はビジネスの話ではないのでそのへんは別の機会に))
席数はカウンターを入れて50席位。私が訪れる昼間の時間帯は、客は常時数人ということが多く、従業員は常時3人から4人。いつも従業員は暇を持て余している様子。
セブに来た頃は、スーパーにしろ飲食店にしても、随分と従業員が多いなあと思ったのですが、(前にもお話ししましたが)以前ダバオでチェーンのカウンターのみの24時間営業のハンバーガーショップを経営している友人の知人は(その店は小さいので常時バイトは1~2名)、バイトが突然休み2昼夜働きづめだったとか。
リスクマネジメントで、ある程度は多めに雇う必要があるのかもしれません。
スタッフの入れ替わりは結構激しく、客足もこれで成り立るのだろうかという感想でした(あくまで私の知っている時間帯ですが)
それでも今まではそれぞれの韓国人オーナーは、少しずつ内装や設備も変えて工夫しているようには見えました。
今回のオーナーと思しき人は私が店に入ると机にうつ伏して寝ていたり、起きたと思ったらスマホ(セルフォン)で大笑いしています。
余計なお世話ですが「大丈夫だろうか?」と、少し心配になったのでした。
大家族生活の続き
前回セブの大家族生活についてお話ししたところですが少し続きを。
我が家で口喧嘩が多い話をしましたが、1時間もすれば何事もなかったかのようにしているのが不思議に思えます。
私の場合は親しい仲で喧嘩などすると後を引くタイプなので。
また、毎日会話で大笑いしていることがよくあるのですが、同じメンツでよく毎日そんなに楽しい話題があるものだと感心します。
私は一人っ子で家庭内は静かなものだったということもあり、また小学校時代には通知表で「人見知りの傾向あり」みたいなことを書かれるような性格だったこもあって興味深くみています。
もちろんフィリピンでは家族間で金の貸し借りでの殺人があったりという話は聞きますし、うちのドライバーの中にも息子が警察に捕まって困っているといったように深刻な家族問題を抱えているケースもあるかと思いますが今のところ、我が家はとりあえず平和な毎日です。
以前働いていたドライバーの訃報
先日、初期の頃に雇ったドライバーが亡くなったと聞きました。
当時は私もビジネスパートナーもタクシービジネスは素人でマネジメントも手探りの状態、一方ドライバーは経験豊富であちらのペースに翻弄されることも多く苦労した頃でした。
だんだんルールをきめていき、従わないなら辞めてもらって構わないというスタンスで臨んだ3年目くらいに結局、他のタクシー会社を見つけたようで自主的に辞めたのでした。
その後どうなったかは知らなかったのですが、今はサブドライバーとして働いている初期メンバーのドライバーによるとミンダナオ島でジプニーの運転手をしていたが先日亡くなったとのこと。
理由はハートアタック、心臓発作のようです。彼はまだ40代半ばくらいかと。
セブにきてすでに2人の知り合いが心臓発作で亡くなっています。一人は20代、もう一人は50歳くらい。
統計上はよく分かりませんが、フィリピンでは高血圧と血糖値が高く、心臓発作で亡くなったり、糖尿病を患っている人が多いように感じます。やはり食生活の影響が大きいと思われます。
30代の友人の訃報
昨日聞いたばかりなのですが、以前英語学校の寮で働いていた男性スタッフが亡くなったとの知らせがありました。
元の原因は分かりませんが腹膜炎の症状だったようです。
おばあさんが亡くなった時にカルカル(セブ島のセブ市から南に1時間弱のところにある市)の山奥での葬式に、夜通しで朝まで滞在した思い出があります。
その後は私も引っ越すなどして、最近は会っていなかったのですが、フェイスブックでは奥さんと赤ちゃんと一緒の、とても幸せそうな写真がアップされており、「幸せにしているなあ」と思っていたところでした。本当に残念でなりません。
年齢はまだ30代前半のはずです。彼の収入だとプライベート病院ではなく、公立病院に行ったのではないかと思います。公立病院は救急搬送されても待たされたり、十分な治療がなされないケースも多く、助かる命も助からないことも多いと聞きます。
思わぬ訃報がつづきました。お悔やみ申し上げるとともに哀悼の意を表します。
父の訃報で日本へ
実は私自身にも父が入居しているサ高住の施設長さんから父が亡くなったとの知らせがありました。
約5年前にセブへの移住とビジネスを決めたとき、父は80歳を超えており、高齢ではありましたが、まだまだ元気であり、「セブでビジネスが軌道に乗ったら父と一緒にいる時間も増やせるかな」とも思っていました。
ともあれ日本へ一時帰国です。
ブログの方は「セブでの5年間を振り返る」の最終回「タクシービジネス」の予定でしたが、また次の機会に。
セブに帰国後、認知症の発症から今に至った「海外在住者と親の介護」についても少しお話ししたいと思いますが、それまでみなさま、ごきげんようお過ごしください。
- 真ん中のこどもが私、その向かって右が母、その隣が父です。