皆さま大変ご無沙汰しておりました。5月に帰国し4カ月ぶりのセブです。セブと日本を行ったり来たりの生活を始めてから、今回は一番長い日本での滞在となりました。
もっともあと1カ月くらいでまた日本に戻らなくてはならないのですが来年からはセブで落ちつけるのではないかと思っています。
今回はさらっと日本での滞在を少し振り返り、次回からブログの続きとセブでの様子などお話していきたいと思います。
父の死去
父の死去の知らせを受け一時帰国をしたことはお話ししたところです。
海外在住者にとって家族を日本に残している場合、健康であるときはまだしも病気で入院したり高齢のため介護が必要になった場合に大きな問題となります。もしものときのことも考えなくてはなりません。
私の場合は5年前に将来的な移住を考え、その後結婚もしたことから実質的にはセブに生活の基盤を置くことにしました。
そのころ父は健康ではありましたが高齢で近くに親戚もおらず私が一人息子であることなどからすんなりと決断できたわけではありませんでした。
しかし、セブは毎日成田までの直行便も出ていることやスカイプ電話を使えば格安で毎日電話もできることなどから日本と行ったり来たりをする生活を始めました。
その後父が認知症を発症し、介護離職ならぬ介護帰国で妻とは別居生活することも考えましたが、私のような状況でも受け入れてくれるサ高住(サービス付き高齢者住宅)が見つかり父は入居することとなったのです。
そしていつかはやってくるとは思っていた『その日』が来ました。
日本では生前にもしものことを話し合うのは「縁起が悪い」と嫌う傾向にあるかと思いますが、事前に、具体的に色々なケースについて確認しておく必要があります。
詳しくはまた別の機会に「海外在住者と親の介護問題」で述べたいと思います。
相続放棄
これも前回お話ししましたが今回の日本滞在が長引いた原因です。
父が生前に銀行のカードローンを借りており負債を相続することになりました。
金額はとんでもない金額ではなかったのでもし私が以前の公務員生活を続けていたらなんなく払っていたでしょう。しかし、今の私の経済状況ではかなりな負担です。
父の生活費は以前から家賃など援助してきており決して生活に困窮していたわけではなく何故カードローンを借りたのか意味が分かりませんでしたがいまさらどうにかなるものでもありません。
ちょうど『かんぽの問題』が取りざたされていた時期です。銀行のカードローンも以前ニュースなどで過剰融資が問題になっていました。
言いくるめられて作ったのではという疑念も持ちましたが、裁判をするほどの額ではないし、そもそも作った経緯が全く分からず勝てる見込みはまずないので、「相続放棄の方が確実で手っ取り早い」ということで、手続きを進めることとしました。
ただ父の死亡後にカードから引き落としをしたことなどにより少々面倒なこととなったのです。
この経緯も別途「相続放棄手続きについて」でお話しします。
日本滞在で警備員の仕事を経験
思わぬ日本滞在で滞在費を稼がなくてはならなくなりました。またできるだけ日本の通帳には残高を残しておきたいというのもあります。前回は派遣を経験しましたが今回は建設現場の警備員です。
さて、フィリピンでは日常生活でいろいろと日本との違いを目の当たりにします。まず一歩家を出て道を歩けば道路が違います。バイクや車で石にぶつかったり、危うく大きな穴にはまりそうになったことがあります。
日本では土木事務所に勤務していたことがありますが道路を自転車で走っていたところ穴か何かで転倒した住民から「瑕疵があるとして訴える」というようなクレームがあったりしたことがあります。安全管理に関してはとても気を使います。
今回働いた建設現場の警備員の仕事も常に現場の周囲に気を配っていました。少しでも歩行者や通行車両に影響がありそうであればカラーコーンやバーを置いて危険を避けますしほんの小さな石でも常に清掃して綺麗にしておきます。
フィリピンでは、このでこぼこの道や建築などいろいろな面で「雑だなあ」と感じることがよくありますが、でもそういった景色や雰囲気が結構好きだったりもします。もっとも安全対策に関しては考えなくてはならないことがありそうです。
今回は仕事を通じてあらためてフィリピンとの違いを感じたことも多かったのですが、この体験談も別の機会にお話ししたいと思います。
図書館でまったりと読書にふける
今回の日本滞在の後半は長崎で過ごしたのですが、図書館通いができました。今はインターネットで電子図書の購入もできますが図書館で読みたい本を探すというのは楽しいものです。今回はこんな関係の本を読んだということだけ紹介します。
「350万円で自分の家をつくる」(畠山サトル)
まず今後のビジネスプランで、アパートを建てたいと思っており、「建築に関する基礎知識を身に着けたい」と建築関係の本をいくつか読みました。建築用語など全く分かっていないことを認識した次第です。
※本の画像はいずれもAmazonから
著者は設計からすべてセルフビルドで平屋家屋を建てた方ですがその詳細が書かれています。
素人がこの本を読んで、すぐにセルフビルドで家を建てるのは難しいと思いますが、とても丁寧に書かれており、家を建てる手順やイメージをつかみ、建売でなく注文住宅で建てる場合の参考になると思います。
「バターン 死の行進」(マイケルノーマン、エリザベスМノーマン)
次に第二次世界大戦におけるフィリピン関係の本です。
「バターン死の行進」というのはウィキペデアでは下記のように説明されています。
「第二次世界大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・アメリカ領フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡した行進のことを言う。全長は120kmで、もともとはその半分弱は鉄道とトラックで運ばれる予定であったが、計画を立てた当初の捕虜の予想数と、実際の捕虜の数に多く違いがあり、結局100kmを超える距離を難民と捕虜は歩かせられた。」投降者数は7万6千人、収容所にたどり着いたのは5万4千人とされています。
かつて学校の日本史の授業で近現代史が教えられていないことが議論になりました。
私自身、フィリピンでの戦闘や日本による占領の歴史などを知る機会は学校でもそれ以外でもなくセブにきてはじめて「バターン死の行進」というものを知った次第です。
ところで先日「シベリア抑留者の遺骨取り違え」の問題がニュースになっていましたが同じような問題はすでに以前フィリピンで起こっています。(ウィキペディア「遺骨収集事業」 )
海外の戦没者約240万人のうち、これまで収容された遺骨の概数は128万柱に過ぎず、フィリピンでは 約51万8千人が犠牲になったうち収容した遺骨の概数は、今年3月末現在で14万8530柱とのこと。今でも多くの遺骨がこのフィリピンのどこかに残されているのです。
といってもそういったニュースはあまりピンとこないというのが現実かもしれません。今年の夏は日本で過ごしたのですが、終戦記念日や広島、長崎の原爆の日も昔とくらべ特集番組も少なくなりどんどん遠い過去になりつつあるなあと感じました。
日本での生活ではフィリピンにおける戦争をほとんど意識しませんが以前のブログでもお話ししたようにフィリピンの紙幣には第二次世界大戦における抗日の英雄の肖像画が描かれています。また4月9日の「Araw ng Kagitingan」(勇者の日)は バターン半島陥落とその戦死者を悼み記念するためにフィリピンの公休日となっています。
今からはなかなか想像できませんが、フィリピンでは戦後は反日意識がとても高く「1960年日比友好通商航海条約が調印されたが、フィリピンにおける対日感情が改善しない影響で批准は1973年まで待たなければならなかった。(ウィキペディア)」とのこと。
もっとも、その批准から40年以上かけて日本とフィリピンの友好関係が深まり、今日においてフィリピンにいてこれらの日に反日感情が高まるというようなことを感じることはありません。
歴史観や歴史認識は日本だけではなく世界中のこれまでの歴史においても様々なが議論があります。
個々の出来事だけをもってして全体を語ることは間違った見方となる一方で 個々の出来事を積み重ねないと全体が見えません。
「バターン死の行進」は日本軍による残虐な行為が行われた出来事であると戦時中の抗日、戦後の反日のプロパガンダとして取り上げられてきました。
この本はアメリカ人ジャーナリストによるものですがアメリカ、フィリピン側からの視点による一方的なものではなく、できるだけ客観的な検証を試みていることが感じられますし、著者は文化をはじめ日本にもかなり詳しいことが記述からうかがえます。
もちろんこの本だけをもって「バターン死の行進」を語ることはできません。もう当時を知っている方も少なくなり記憶も遠いものとなっているでしょうから新たな証言などを得ることは難しいかもしれませんが、風化を防ぐようにすることは必要なのではないでしょうか。
先ほども述べましたが、フィリピンはかつてもっとも反日的な国のひとつでありながら現在最も友好的な国となった日本にとってはとても大切な国といえます。せっかくそのような国に住み続ける(追い出されなければ)ことになったのですから今後とも日比の友好が続くよう歴史にも関心を持ち続けブログでも触れていきたいと思っています。
「佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? 宗教と科学のガチンコ対談」
最後は宗教関係です。これも歴史問題同様にセンシティブなテーマです。
既にブログで「セブで聖書を読んでみる」を始めてみたものの、聖書は読み続けているのですがどのようなブログにすべきか考え中で一旦休止しています。
書き始めた始めた理由は「フィリピンは国民の約9割がカトリック教徒というアジア唯一のキリスト教徒の国であり、私の妻やビジネスパートナーもクリスチャンです。「信じる信じない」は別として、少なくとも聖書にどんなことが書かれているかくらいは知っておこうと思ったこと。」
「 そもそも聖書も読んだこともなく特定の宗教にも属していないニュートラルの立場から一から聖書を学ぶとどうなるか記録に残してみようと思ったこと。」 などからです。
私自身は今に至るまで特定の宗教を信仰していたことはありませんが若いころに新興宗教の勧誘を受け「騙されちゃいかん」という気持ちから宗教への関心を持ったこともありましたし、一方田舎の叔母がクリスチャンだったことから宗教に対する偏見といったものはなかったように思えます。
また、やはり若いころですが空海に興味を持って四国八十八か所をバイクで旅したこともありました。特別な信仰心からではないのですがなぜ人は信仰を持つのかということに関心はあったと思います。
日本で働いてい所はあくせくとした日々を送っていて、いろいろな面で余裕がなかった気がします。早期リタイアして、お金はありませんが時間はたっぷりあります。
まったりとした時間の中で聖書(移住先が仏教国だったら仏典だったかもしれませんがせっかくキリスト教の国にいるということもありますし、聖書は圧倒的な世界NO1のベストセラーであって英語で聖書は「Bible」ですが「THE BOOK」でも聖書をさすのだそうです。)を読むというすこしだけ贅沢な時間を楽しみたいと思ったのでした。
今、そのテーマのブログを中断していますが、基本的な知識がないまま書き連ねるよりある程度基本的な知識や認識を持ってからの方がよいと思ったからです。
ところで、日本のキリスト教徒の割合は1.1%に過ぎません。 世界の宗教の信者数は、キリスト教約20億人(33.0%)、イスラム教 約11億9,000万人(19.6%)、ヒンドゥー教約8億1,000万人(13.4%)、仏教約3億6,000万人(5.9%)、無宗教約7億7,000万人(12.7%)となっています。(ウィキペデアより)
旧約聖書はキリスト教とユダヤ教では聖典としておりイスラム教でも経典とされています。それはこれらの宗教が一神教であるということを示し、その信者数は合わせると世界人口の半数以上にもなります。
日本には明治維新後多くのミッション系大学ができ、歴代総理大臣には意外と多くのクリスチャンがいるそうですが、一般的にはキリスト教がなかなか根付かないと言われています。なぜなのでしょうか。
そいったなかで図書館で目に留まったのがこの本です。
今から30年前くらいになるでしょうか当時読んだのですがベストセラーになった 「そんなバカな!-遺伝子と神について 」の著者でもある竹内久美子さんと作家で同志社大学神学部客員教授の佐藤優さんの対談です。
この本を読んだからといって神の存在についてクリアになったわけではないのですがあらためて信仰というものを考えるには興味深い本でした。
来年からはあらためて「セブで聖書を読んでみる」を再開し、ここで思ったことなどはそこで触れていきたいと思います。
ちなみにキリスト教に関しては父がクリスチャンで自身も洗礼を受けた中村うさぎさんとの対談のほうが具体的な聖書の話がでてきてこちらも面白かったです。
福岡から大阪への船旅
今回、福岡からではなく初めて関西国際空港からマニラ経由でセブに帰りました。
長崎県の佐世保からバスで福岡県博多バスターミナルまでバスで行き、そこからJRで小倉まで、小倉から名門太平洋フェリーの無料送迎バスで新門司港へ、そこからフェリーで大阪南港へという経路です。
船旅は若いころはバイクで北海道や四国に行って以来です。夜行バスも最近は快適になってきていますが、完全にフラットなのでやはり違います。二等洋室でエンジンの振動はありますが波もおだやかだったのでぐっすり眠れます。
私は5時30分着の便だったのですが、そんなに早くついてもやることがありません。7時まで船内に残れる「のんびり滞在」というサービスを利用しました。
関西空港からマニラ経由でセブへ
今回は初めて関西空港を利用し、マニラ経由で早朝にセブに着いたのですが、久しぶりのセブは初めて来たときの「南国だ!」というような、もわっとした空気を感じました。
日本の整然とした道路と異なり、空港からの雑然とした雰囲気の道のりは懐かしく、そして新たな一歩に気を引き締めるのでした。
マニラ空港で折り畳み傘とガムテープ没収
私は普段セブパシフィックを使っていて日本からの便ではお土産や日本から持っていきたいものが多いのでスーツケースだけでは足りないため、段ボール箱に入れて持っていきます。
今回、ガムテープと折り畳み傘を預け入れ荷物に入れ忘れ機内持ち込み手荷物に入れたところ、国際線の手荷物検査ではスルーだったのですがマニラからセブへの国内線で没収されてしまいました。
使い古した安物なので別に痛くも痒くもないのですが、ネットを見るとANAなど基本的には折りたたみ傘は持ち込みOKのようです。
没収されたくない折り畳み傘をお持ちの方はご注意ください。
同様に今回空港で梱包しなおしたときにガムテープを機内持ち込み荷物に入れてしまったのですがマニラまでの国際便では問題なかったのにマニラからセブへの国内便の手荷物検査で没収されてしまいました。
どうでもいい話ですがちょうどこんなニュースがあったので
「 伊丹空港で乗客ナイフ所持 その後の行方分からず 検査場閉鎖、手荷物検査やり直すも」(神戸新聞)
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201909/0012736391.shtml ←リンク切れ
セキュリティも大変です。
今後のブログ投稿予定
- 外国人労働者にかかる訂正記事
- 海外在住と親の介護問題(続きから)
- セブでの5年間を振り返る(続きから)
- 役所が重要書類を紛失?
- 相続放棄手続きについて
- 警備員の仕事から考えること
- 日本へのフィリピン人の短期滞在(ツーリスト)ビザ取得について
- 新規事業計画のつづき
- おじさんがワードプレスで作るホームページ
- その他セブに関する情報
とりあえず一カ月くらいは日本に滞在する予定なので又お付き合いくださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます。