春になると南の国から日本にやって来る「ツバメ」は、民家の軒先など、とても人と近い所に巣を作ります。ヒナが大きくなって巣立ち、日本から去るまでの間、エサをたくさん食べて「渡り」のための準備をします。
その時に、河川敷のヨシ原などで集団のねぐらを作ります。夜は近隣の河川敷などで集結して休みます。数千から数万羽のツバメたちが舞飛び、一斉に舞い降りる壮観な光景が「ツバメのねぐら入り」です。
そしてそのツバメたちは日本を旅立ち、台湾や東南アジア、オーストラリア北部へ帰っていくのだそうです。(「全国『ツバメのねぐら入り観察会』のご案内」日本野鳥の会から)
東南アジアの中でも特にフィリピンでは多くの日本から渡ってきたツバメが確認されています。今日はフィリピンとツバメについて少々。
ツバメとフィリピン
日本で見たツバメ
2013年、日本での生活で最後となる職場は、駅から少し離れていて、私は駅前にある駐輪場から職場まで自転車で通勤していました。
そこは個人経営の駐輪場で、おかみさんと会うといつも挨拶していたのですが、ある日、軒先にツバメが巣を作っていることを教えてくれたのでした。
冒頭の写真にあるように、ひなが顔をのぞかせていました。それ以来「元気でいるかなあ」と見上げることが日課になったのです。
その翌年、私自身、フィリピン・セブに旅立つことになろうとは、そのときは思いもよりませんでした。
ツバメはなぜ人のそばに巣を作るのか
ツバメは何故、民家の軒先など、人の出入りがある家に巣を作るのでしょう?
ツバメがあえて人の近くに巣を作るのは、「天敵であるカラス、蛇、イタチなどが近寄りにくく、安全が守られるから」と考えられています。スズメも民家に巣を作りますが、ツバメの場合は、あえて人間が多い場所にわざわざ「目立つ」かのように作る点が特徴的です。
しかし、人の手の届く所に巣を作って壊されては元も子もありません。そのような事が続けば自然と離れていくでしょう。ツバメは一度ヒナたちが無事に過ごすと、その場所を覚えていて、次の年も同じ場所に巣作りをするそうです。
「縁起がいい」とされるツバメ
では何故、これまで人々はツバメの巣を壊さずにきたのでしょう。
ツバメは万葉集で詠まれたり、小林一茶の句にも「今来たと顔を並べるつばめかな」とあるように、昔から親しまれていたことが分かります。
日本では「ツバメが巣を作る家は縁起がよい、幸せになれる」と、昔からの言い伝えがあります。古くからの言い伝えには、何かしら根拠となる理由があることも多いものです。
「縁起がいい」というのは、具体的には、「ツバメが営巣する家は病人が出ない、火事にならない、朽ちない、子宝に恵まれる」、商売をしている家ならば「繁盛する」などです。
環境省の調査によると、居住用などの建物に営巣した例が99%を占めています。また、住宅地では家の軒下やひさしに作ることが多いのですが、農村部では3割が室内に作られるそうです。
ヒナは多い時には一日100匹程度の虫を食べて育ち、巣には5羽前後のヒナが育ちますから、一日あたり約500匹の虫を、父親と母親が引っきりなしに与えることになります。
農村部を中心に、水稲栽培において穀物を食べず害虫だけを食べてくれる益鳥としてツバメは大切に扱われ、殺したり巣やヒナに悪戯をする事は慣習的に禁じられてきました。
「人が住む環境に営巣する」、「同じ場所に営巣する」という習性によって、自然に人の出入りが多く巣を壊さないような人の家、つまり「繁栄している家」には何年にもわたって巣が作られることになります。このことから、逆に「巣が作られた家は(今後)繁栄する」、「縁起がいい」という言い伝えが作られていったのかもしれません。
また、雄と雌が「つがい」で仲良く育てている姿は微笑ましく、人々に好まれる光景であったこともあるでしょう。
長い年月をかけて人とツバメは、共にメリットがあり共存する「ウィン・ウィンの関係」を築いていったのでしょう。
(参考「日本人が大好きな夏の野鳥『ツバメ』の魅力と観察のススメ」←[リンク切れ](サライjp 2018/04/28)やウィキペディアなど)
歓迎される一方減少するツバメ
「日本野鳥の会ツバメ全国調査2013-2015」(日本野鳥の会 )によると、現代でも一戸建ての住宅と商店でのインタビューの結果ではツバメの営巣を「歓迎している」という答えが96%を占めており、ツバメは現代でも人々に暖かく迎えられていることが明らかになっています。
しかし、その一方で、調査では特に都市部でのツバメの減少傾向が見られています。都市ではエサを得るための緑地が少ない事に加えて、巣を落とす人は農村の7倍で、ツバメの子育てが困難になっているとのこと。このため日本野鳥の会では「消えゆくツバメをまもろうキャンペーン」を行っています。
最近は鳩など鳥のフンが団地や住宅で問題になっています。ツバメの場合もフン害はあります。
都市部ではそのために巣を壊されるケースもあるようです。
(自宅の軒先であっても、ツバメのヒナがいる巣を壊すことは鳥獣保護法8条違反になり、『1年以下の懲役または100万円以下の罰金』を科せられる場合がありますので注意が必要です。)
「ツバメの巣、壊したら法律違反なのか?環境省の鳥獣保護業務室が解説」(livedoor news 2015/6/1)
フィリピンとツバメ
さて、そのツバメですが、私がセブに来て少し経ったころに、「日本からフィリピンにツバメがやってくる」という話を聞いて驚きました。
東京ーセブ間は直線距離でも3,000km以上あります。わざわざ命の危険をおかしてまでどうしてそんな旅をするのでしょう?一年中温かい(暑い)フィリピンで暮らせばいいのにと思ってしまいます。
大日本図書 「楽しい理科 小学4年生 わたり鳥はなぜ『わたり』をするのか」によると
「春から夏にかけて、ツバメはひなを育てるためにたくさんの虫を必要とするが、ほかの鳥も同じように食べ物にする虫を必要とするため、ツバメだけがたくさんの虫をつかまえることができない。日本などの北のほうにある国には虫を食べる鳥はあまり多くない。そのため、ツバメはそのまま南の国にいるよりも、北のほうの国へわたったほうがよい。
カラスやスズメのように「わたり」をしない鳥はその場所で見つけられる食べ物を食べます。
うーん。多分、小学4年生の頃に理科の授業で習っていたのかもしれない。
子育て期に南の国には虫を食べる競争相手が多く、日本には少ない。思う存分無視を食べることができる。それは農家にとって、害虫を食べてくれるということでもあり重宝がられたということなのですね。
下の図は、「平成8年度環境庁委託調査『渡り鳥アトラス』鳥類回収記録解析報告書(スズメ目編1961年~1995年)」(※下図の線はツバメの足につけた標本の放鳥地と回収地とを直線で結んだもので、実際の渡航経路を示したものではありません。またフィリピンが多い理由はフィリピンのみが積極的な足輪の確認を行ったためという理由があるようです。)
さて、その話を聞いてから「セブでもツバメは居ないものか」と気にするようになったのですが、私が住んでいる場所は市街地なせいか、バメどころか野鳥自体見つけることがなかなか困難です。
郊外に住めるようになったら、いつか会えるかな。と楽しみにしています。
オスカー・ワイルドの『幸福な王子(The Happy Prince)』
せっかくツバメの話題になったので、こちらの話も少しお付きあいただけたらと存じます。
いつ頃だったか具体的な記憶はないのですが、子供の頃に読んだツバメが出てくる「幸福な王子」という物語が印象に残っています。
オスカー・ワイルド
著者のオスカー・ワイルドの作品と生きざまは、日本を含め世界中の多くの作家に影響を及ぼしました。また「サロメ」「ドリアン・グレイの肖像」などは文学史に残る作品としてよく知られています。
(これらの英語の原文はインターネットではパブリックドメインとして「Project Gutenberg」で公開されています。また日本の「青空文庫」でも翻訳版が作業中とのことです。)
オスカー・ワイルドはヴィクトリア朝時代のアイルランドのダブリンで生まれ、祖父も父も医師で、母は詩人でサロンの主という裕福な家庭で育ちました。
その後も、北アイルランドのポートラ王立学校に学び、優秀な成績でオックスフォード大学に進学して首席で卒業。女王付弁護士の娘と結婚し、2男をもうけます。仕事の方も雑誌『婦人世界』の編集者となって部数を伸ばし、社交界の人気者となる一方、「サロメ」などを執筆し、順風満帆な日々を送っていました。
ところが、男色の卑猥行為を裁判で咎められて有罪判決となり、2年間の獄中生活を送り、さらに破産を宣告されます。そして母も妻も亡くします。
死に臨んで聖公会(イギリス国教会の系統)からカトリックに改宗しますが、1900年、梅毒による脳髄膜炎により46歳で亡くなります。葬儀は、数人だけの淋しい葬儀でした。
彼の波乱万丈の生涯は、1997年にスティーヴン・フライ主演、ジュード・ロウ共演で「オスカー・ワイルド」として映画化されています。
無料で読める「幸福な王子」
ユーチューブに子供向け動画も投稿されています。
「幸福な王子 アニメ (The Happy Prince) | 子供のためのおとぎ話」
また、先ほど紹介したようにパブリックドメインやロイヤリティフリーの和訳や英語版も多くあります。
kindleでも英語版が無料で提供されています。The Happy Prince and Other Tales (English Edition) Kindle Edition
有償ですとカトリック教徒でもある曽野綾子さんの翻訳本がいいのではないでしょうか。
無償ですと青空文庫でこちらが公開されています。「幸福の王子」(原作:オスカー・ワイルド 翻訳:結城浩)
あらすじ
ある街に幸福の王子の像が立っていました。 全体を薄い純金で覆われ、 目は二つの輝くサファイアで、 剣のつかには大きな赤いルビーが光っていました。
ある晩、その町に、仲間に遅れてエジプトに渡る途中のツバメが飛んできて、 王子の像の足元で 眠ろうとしました。ところ、大きな水の粒がツバメの上に落ちてきました。
それは幸福の王子の涙でした。 ツバメが何故泣いているのかと聞くと、「私は幸福に生き、幸福に死んだ。 死んでから、人々は私をこの高い場所に置いた。 ここからは町のすべての醜悪なこと、すべての悲惨なことが見える。 私の心臓は鉛でできているけれど、泣かずにはいられないのだ」と答えました。
そしてツバメに、幼い子供が熱を出しているのに薬も与えられない貧しい母親に、剣のつかのルビーを渡してくれと頼みました。
ツバメは、「エジプトに行かなければならない」と断ろうとしましたが、結局、王子の言うとおりにしました。
お使いがすんだツバメは、王子にこう言いました。「不思議ですが、こんなに寒いのに、とてもあたたかい気持ちがします」
そのあとも王子はツバメに両目のサファイアや、体を覆っている純金を一枚一枚はがして、貧しい人にあげてほしいとツバメに頼みました。
やがて冬になり、雪が降ってきました。
でも、ツバメは王子の元を離れようとはしませんでした。 心から王子のことを愛していたからです。そしてツバメは幸福の王子のくちびるにキスをして、 死んで彼の足元に落ちていきました。
そして王子の鉛の心臓がちょうど二つに割れた音がしました。
「何てみすぼらしいんだ」街の人々は像をおろして溶解炉で溶かし、別の像をつくることにしました。しかした鉛の心臓だけ溶けません。しかたがないので、 心臓は、ごみために捨てられました。 そこには死んだツバメも横たわっていました。
神さまが天使たちの一人に「街の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい」とおっしゃいました。 その天使は、神さまのところに鉛の心臓と死んだ鳥を持ってきました。
神さまは「よく選んできた」とおっしゃいました。 「天国の庭園でこの小さな鳥は永遠に歌い、 黄金の都でこの幸福の王子は私を賛美するだろう」
大人になって読み返す童話
子供の頃に読んだ本を大人になって読み返すと新しい発見があるかもしれません。
私もネットで手に入れたものですがあらためて読み直してみて、いろいろと感じるものがありました。
どんな比喩・メタファーが込められているのだろう。この王子の像は、不自由なく暮らしている「上流階級」や「権力者」、あるいはビクトリア時代の「快楽主義」への皮肉であり象徴なのだろうか。
また、王子とツバメの自己犠牲について認識もせず、自分の都合だけで生きる街の人々への批判や、あるいは不条理といったものも読み取れるかもしれません。
「大切なのは身を着飾るきらびやかな装飾ではなく、他人を思いやる心である」という教訓も感じ取れます。
「幸福な王子」に感じられる宗教的な背景
そして今強く感じるのは、この作品は「キリスト教的な理解がベースになっている」のではないかということです。
王子とツバメの自己犠牲については、イエス・キリストと重ねるということがあるかもしれません。
聖書には「隣人・他者への施しや善行」について、いくつも書かれており、またそれを行うにあたって「自分の善行は、見られるために人の前で行わないように」ともされています。
「プロテスタント」は「信仰義認」といって「人は(行為ではなく)信仰によってのみ義とされる」という考えがあります。一方、カトリックにおいては「施し」や「善行」は奨励される傾向が強いように思われます。カトリック系の慈善団体、ボランティア団体もとても多くあります。(このあたりのお話は別途詳しくしたいと思います。)
自分の善行をひけらかすことのない王子とツバメの行為、姿は宗教的に手本や規範として受け取ることもできます。
王子もツバメも死んでしまうこの話はとても可愛そうに思えます。私の世代だと多くの人が涙した名作アニメの「フランダースの犬」の「ネロとパトラッシュ」もそうです。
しかし、神様はちゃんと見ていてくれ(物語では天使ですが)、最後に神様のもとに召されるというところで救われます。
以前も少しふれましたが、私はフィリピンで葬式を経験して、死に関して、もちろん別れるという悲しさはあるのですが、同時に「神様はちゃんと見ていてくださるのだから、それは決して不幸なことではない」という感覚が、漠然とではなくもっとリアルに、強くあるのではないかと感じるのです。
リタイアして時間がもてるようになったら昔、読んだ本を読み返してみると、その間の経験で違った角度から見ることができて楽しいかもしれません。
おわりに
コロナ禍が始まるまで、多くの日本人がフィリピン・セブを、また多くのフィリピン人が日本を訪れていました。
観光のため、勉強するため、働くため、そこで暮らすため、ふたたび、早く多くの人が行き交うことができるようになることを願っています。
しかし、ただ行き交うだけではなく、訪れた人、迎え入れた人、どちらもがハッピーでなければ意味がありません。
実はこのブログを始めるにあたりネーミングを考えていた時に、ツバメにまつわるものにしようかとも思っていました。「幸福の王子」の話のこともあり、いつの日か「日本とフィリピンを繋ぐ、役に立つことができないかなあ」という気持ちからでした。
(結局ツバメというのは一般的すぎて、タイトルとしては一見フィリピンと結びつかないことと、今のタイトルである「リトル・カレンデリア」は、ちょうどカミさんの叔母のカレンデリア(といっても実質的には屋台なのでリトルをつけました)で姪っ子らを撮った写真に、素朴なフィリピンらしさが出ていて、そちらに決めたのでした。)
いずれにしてもその思いは持ち続けています。
季節を表す暦「七十二候」では9月17日から9月21日は「第四十五候」で「玄鳥去 (つばめさる)」といってツバメが旅立つ時期とされています。実際に、観察記録などから、その時期は9月中旬~10月下旬で、愛知県や沖縄など多くの場所で南に向かって旅立つツバメを観測できるポイントがあるそうです。
ツバメは来年も春になれば南の国を旅立ち、日本にやって来ます。その頃までにはコロナも収束していますように。