コロナ禍で「貧困」と「施し」「ボランティア」

6年ほど前に初めてフィリピンに来て、日本との違いを感じたり驚いたことが沢山ありました。最初に見かけた街の光景もそのひとつです。

市街地では多くのホームレスを見かけますが、女性と子供が多いことにまず驚きました。車で信号待ちをしていると窓をトントンとたたかれたり、コンビニやレストラン、カフェの窓越しや出口で待っていたり、時には中に入ってきて物乞いをしてくることもありました。

それは、アフリカにイメージされるように国全体が貧しさに苦しんでいるわけではなく、また、ごくわずかの者が豪邸に住み、残りの支配されるものが貧困にあえぐという封建社会や独裁社会のようなものとも異なります。(もちろんフィリピンは超格差社会です)

街の露天商にはフルーツなど食べ物が溢れんばかりに並べられており、ファーストフード店は大勢の客で活気にあふれています。日本とそう変わらぬ、多くの人が暮らす日常の光景とすぐ隣り合わせで「貧困」があからさまに存在している事に戸惑いを感じたのです。

今年のコロナ禍で、フィリピンは厳しいロックダウンが行われ、当初には、食糧支援のための寄付を呼びかける動画などもみられました。

ロックダウン当初は(問題がありながらも)あった政府の援助もなくなり、観光業に頼っていた地域やレジャー産業に携わっていた人々は、蓄えも底をつき、むしろその頃より苦しくなっている人も多くいるかもしれません。

今日は、日本で短い期間ではありましたが貧困問題と関わる仕事をして、セブに移ってフィリピンでの貧困を目にし、今も貧困街ともいえるスクウォター(squatters:不法占拠)地域に住む私が、「貧困」「施し」「ボランティア・チャリティ」などについて思うことを、あれこれとお話したいと思います。

エチオピアと世界の貧困

バンド・エイド」と「USAフォー・アフリカ」
アフリカの「エチオピアの飢饉」に対する支援のために、1984年にイギリスとアイルランドのミュージシャンが集まり、「Band Aid」を結成して「Do They Know It’s Christmas?」をリリースしました。翌年には、アメリカで「U.S.A For Africa」の「We Are the World」がリリースされ、当時はテレビの報道や特集などでも多く取り上げられました。

どちらの曲も大ヒットし、テレビなどでアフリカの飢餓問題が多く報道されたので、私の世代だと、これらによって「貧困問題」というものを初めて意識した人も多いのではないでしょうか。

「Band Aid」のきっかけとなったエチオピア
「エチオピア」はアフリカ大陸の東北、ナイル川上流の高原一帯を支配した古代以来の歴史を有し、短い一時期を除いてアフリカで唯一植民地化しなかった国です。

宗教は「エチオピア正教」が43.5%、「プロテスタント」18.5%、「カトリック」0.7%、「イスラム教」が33.9%となっています。(出典J-Stage「書評 せめぎ合う宗教と国家-エチオピア 神々の相克と共生」)

「エチオピア正教」というのは聞き慣れないと思いますが、古代ユダヤ教と初期のキリスト教が融合した教義を持ちます。イエス・キリストの「両性説」(※)を採用した451年の「カルケドン公会議」の結果、「合性論」(※)をとるエジプトで発展した「コプト正教会」やアルメニア人の「アルメニア正教会」、「シリア正教会」などとともにキリスト教の主流から分裂し、「非カルケドン派」とよばれるようになりました。

※「両性説」は、イエス・キリストは神性を持つ(すなわち完全に神である)と同時に人性も持つ(完全に人間である)という考え方、一方「合性論」はイエス・キリストの一つの位格の中で神性と人性は合一して一つに、つまり一つの本性(フュシス)になり、二つの本性は分割されることなく、混ぜ合わされることなく、変化することなく合一するというもの。(なんだかよく分からないと思いますが、余り気にしないでください。)

Band Aidとエチオピア
さきほどの「Band Aid」の曲ですが、曲中の「Well tonight thank God it’s them instead of you」という歌詞があって、制作過程で議論になったものの、最終的にはそのまま通したそうです。

ウェブでの日本語訳もさまざまです。直訳に近いと「君が(飢えている・恵まれない)彼らじゃなくて良かったと神様に感謝しよう」ですが、これは、皆がそう思っていることは事実であるという皮肉を、聴いている者に突きつけることで貧困を考えさせる意図があった、という解説もみられます。

(日本語でも人によって受け取るニュアンスが違うことはありますね。森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」の「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」という歌詞は、私はいいと思っていましたが、当時物議を醸しました。全体の中でどう読み取るかなど、人によって受け取り方には差が出ます)

エチオピア正教はクリスマスを祝う習慣はありますが、12月ではなく1月であったり、カトリックやプロテスタントとは趣きを異にします。

イスラム教徒はイエス・キリストを神ともメシアとも認めていないので、その誕生を祝うクリスマスを行う事はしませんし、厳格なイスラム国はイスラム教以外の宗教行事は禁じられています。以前お話した偶像崇拝とみなされるのです。

「かれらは知っているのだろうか、今がクリスマスだってことを」というタイトルや曲中の「Let them know it’s Christmas time again」という歌詞などは刺激的にもみえます。(一方、アメリカの方は無難な歌詞です)

また、「Band Aid」の活動自体、当時は一部から批判もあり、メディアのインタビューで、「レコーディングに集まった裕福なポップ・スターが正規の方法で税金を払えば、チャリティ・シングルを作る必要はないのでは?」という質問に対し、主催者のボブ・ゲドルフは怒りのあまり放送禁止用語を連発したとのこと。「ボブ・ゲルドフ、バンド・エイド批判にキレる?(BARKS 2014/11/18)」

(特に著名人などが行う)慈善活動やチャリティには「偽善」や「売名行為」のような批判はついてまわります。

エチオピアと日本の関係
実はエチオピアと日本とは深い関わりがあります。

長く独立を保ってきたエチオピアですが、帝国主義の列強、特にイタリアによる植民地支配の危機にあった時期があり、1896年のアドワの戦い(第1次イタリア=エチオピア戦争)では打ち破っています。

そのような時代背景で、同じく有色人種でありながら1904年(明治37年)から1905年(明治38年)の日露戦争でロシアに勝利するなど帝国主義に抵抗していた日本との関係が深まっていきます。

1930年に日本・エチオピア間で「修好通商条約」が署名され、1931年に制定されたエチオピア初の成文憲法は大日本帝国憲法を範にしたものでした。

さらに1934年には後述する皇帝ハイレ・セラシエ1世の甥が日本人の華族との結婚を求め、縁談の話が持ち上がったものの、イタリアによる圧力で結婚解消となったとされています。

しかし1935年、イタリアが再びエチオピアに侵攻し、第2次イタリア=エチオピア戦争が勃発すると、日本政府はイタリアによるエチオピア領有を承認し、1936年にはイタリアはエチオピアを併合します。そして1937年に日独伊防共協定を結ぶなど急速にイタリアに接近していきます。

第二次世界大戦も終わり、エチオピア帝国最後の皇帝となるハイレ・セラシエ1世は日本にとって戦後初めての国家元首の国賓として来日します。

その後、「はだしのアベベ」として有名な、ローマオリンピック(1960年)、東京オリンピック(1964年)で2連覇したマラソンのアベベ・ビキラによってエチオピアの国名は日本人に深く刻まれます。

アフリカを旅するブロガーの旅行記をみると、エチオピアの人々はとても親日的のようです。それは日本の中古車が多く流通しているなど日本製品に親しみがあったり、数多くのODA(政府開発援助)などにより築かれていったと考えられます。

2015年にインドネシアで行われた「アジア・アフリカ会議60周年記念首脳会議」における安倍首相のスピーチでは、日本とアフリカ地域との関係について、唯一エチオピアの国名が言及されました。
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議における安倍総理大臣スピーチ」(外務省 2015/4/22)

参照「『親日国』エチオピアの理由を考える」(HUFFPOST)など

東日本大震災支援
2011年の東日本大震災においては、エチオピアからも多くの応援メッセージ等が寄せられるとともに、義援金の支援も受けています。「エチオピア政府からの義援金の寄付」(外務省)

エチオピアの在留邦人数は201人(2019年10月現在)です。遠い国ですから人数こそ少ないですが、フィリピン同様に今後も友好関係を深めていけることを心から願っています。

もちろん、このときはフィリピンも含め世界中の国から、支援やエールが送られました。これらは、外務省のホームページに、フォトギャラリーも含めて、まとめられています。「『がんばれ日本! 世界は日本と共にある』(世界各地でのエピソード集)

  • 上記外務省HPフォトギャラリーから

現代の世界の貧困
Band Aid」の活動から35年たった今も、世界の飢餓人口の推定数は6億9,000万人で、以前より大幅に少なくなってはいるものの、アフリカの人口の19.1%が栄養不良というのが現状です。

これは、アジア(8.3%)や中南米およびカリブ海諸国(7.4%)の2倍以上となっており、現在の傾向が続けば、2030年までに、慢性的な飢餓に苦しむ人口の半分以上がアフリカにいることになります。
世界の飢餓人口 増加続く 2030年の「飢餓ゼロ」達成困難のおそれ」(2010/07/13)(UNICEF(ユニセフ))

SDGs(エス・ディー・ジーズとは
SDGs(Sustainable Development Goals)というのは、国連で採択された、2030年までに「持続可能でよりよい世界を目指す国際目標」です。

17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。

17のゴールは1貧困、2飢餓、3保健、4教育、5ジェンダー(※1)、6水・衛生、7エネルギー、8経済成長と雇用、9インフラ・産業化・イノベーション(※2) 10不平等、11持続可能な都市、持続可能な消費と生産、13気候変動、14海洋資源、15陸上資源、16平和、17実施手段 からなっています。

※1 生物学的ではなく、社会的・文化的な役割としての「男女の性」
※2 技術革新など「新しい物事の創造」により「社会に価値をもたらす・変化を起こす」こと

この中に、現在「1日1.25ドル(2020.12.20現在129.15 円)未満で生活する人々」と定義されている「極度の貧困」を含め、「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」という指標も含まれています。 「JAPAN SDGs Axtion Platform」(外務省)

日本の貧困問題

日本でも起きている「餓死事件」と絶対的貧困
最近のことですが、大阪市の集合住宅の一室で、司法解剖の結果、低栄養症が死因とみられる42歳の女性と60代の母親が発見されたというニュースがありました。

相次ぐ困窮孤立死を防ぐために「自助」を求めるよりも重要なこと…江川紹子の提言」(Busines Journal 2020/12/22)

「絶対的貧困」を原因とした餓死(ではないか)というニュースはこれまでも時折報道されます。日本においては憲法で保障されている生存権を担保する最後のセーフティネット(安全網)である生活保護制度があります。これらの悲しい事件は、それが機能しなかったケースであり、なぜ救えなかったのかという検証は必要です。

日本での「相対的貧困」
世帯の所得がその国の「等価可処分所得」(※)の中央値の半分(貧困線)に満たない状態のことを「相対的貧困」といいますが、その割合の高さを示す日本の相対的貧困率はG7(先進7カ国)で、米国に次ぐ2番目となっています。かつては「1億総中流」と言われた時代もありましたが、今は「格差社会」であるということを表しています。

※「等価可処分所得」とは実収入から、税金などを差し引いた「家計が自由に処分することができる所得」を、世帯人数で按分し一人あたりに調整したものです。

国民全体の所得がなかなか伸びないなか、格差が広がっているこいうことは、単に相対的なものではなく、低所得者層の生活はかなり厳しいものになっていると考えられます。

ディーププア
先ほどお話ししたように、可処分所得が貧困線を下回る場合は、「相対的貧困」層になりますが、さらに、可処分所得がその50%を満たない貧困層は「ディープ・プア(Deep poor)」と呼ばれれます。

母子世帯の貧困率は5割超え、13%が「ディープ・プア」世帯となっており、これは、近年問題となっている「子どもの貧困」につながっています。

このような状況から「地域交流」という目的とともに栄養が偏っていたり、十分に取れない子供に食事を供給する「子ども食堂」といった活動が全国的に広まっています。

また、働いているにもかかわらず、収入が生活保護水準以下であることもある「ワーキングプア」や、高齢者においては、月収が10万円未満で生活している単身世帯が37.8%も存在しており、貯蓄がない単身世帯も35.6%いることから、3割ほどの単身世帯の高齢者が逼迫した生活をしており、「高齢者の貧困化」も指摘されています。

(参照)「子どものいる世帯の生活状況および保護者の就業に関する調査2018(第5回子育て世帯全国調査)」(独立行政法人労働政策研究・研修機構)
世帯類型別にみた「高齢者の経済・生活環境」について―「単身世帯」「夫婦のみ世帯」「子どもと同居する世帯」の比較―」(内閣府)

貧困問題と労働問題
日本における「貧困問題」は「労働問題」と密接に関わっています。

今のコロナ禍において、最初に解雇という形で影響を受けているのが非正規雇用者です。非正規職員は女性の割合が多く、コロナ禍における10月、11月は女性の自殺者が前年比83%増と急増しているという統計がでており、関係性についての可能性が指摘されています。「コロナ禍で日本人女性の自殺が急増、「特有の悲劇」が顕在化」(Forbes 2020/12/17)

長期的に見ても、低賃金や雇用の調整弁となる「非正規雇用」や、実態は雇用関係がある「偽装請負」や「脱法的フリーランス」の労働者や個人事業主は低い年金額となり、「高齢者の貧困化」にもつながる可能性があります。

バブルが崩壊し、経済の回復を模索する中で、派遣労働の自由化などの雇用政策は、批判がある一方、やむを得なかったという見方もあります。

労働問題は、定収入や雇用の安定という点などから貧困問題とも関係しますが、それも含めて、「サービス残業」や「名ばかり管理職」の問題に見られるようにグレーゾーンが多い実態があります。低賃金、劣悪な労働を強いられているケースもある外国人労働者(研修生も含む)についても同様です。

労働問題は貧困問題とも関連し将来の日本のあり方が決まる大事なテーマです。決して他人事ではありません。

フィリピンの労使関係
ちなみにフィリピンではフィリピン法上、「労働力のみの請負(labor-only contracting)」が禁止されており、この抜け道としての偽装請負は厳しく対処されています。

また、試用期間が6ヶ月と定められており、それを回避するため正規雇用前に解雇し、再雇用するといったことが行われているケースもみられます。

2019年に「労働のみの請負契約や、短期の雇用契約で解雇と再雇用を繰り返すことを厳格に禁止する法案」が、上院、下院を通過したにもかかわらず、ドゥテルテ大統領が署名しなかったため施行されませんでした。

理由は「法案が定義する『労働のみの請負契』の範囲が広範なものとなっており、仮にその法案が成立した場合は、労使の健全なバランスが破壊され、雇用者側を窮地に追い込み、長期的にみると労働者にも不利益をもたらす」というものでした。

しかし、ドゥテルテ大統領が、選挙キャンペーン時に掲げた公約の1つは、「違法な雇用契約の撲滅」であり、違法行為に対しては厳正な姿勢で臨むことは確かです。

フィリピンにおいても、労働者保護と企業経営の健全化という労使バランスに苦慮している姿が見えます。フィリピンビジネスに関心のある方は、下記の情報は有益と思われます。

 「労働のみの請負契約を厳格に禁止する法案に大統領が拒否権を発動」(ジェトロ 2019/07/31)

 (参考)
 「フィリピンの請負に関する省令変更について」(PRIMER 桃尾・松尾・難波法律事務所)
 「業務委託契約に関する新規則」(2017/08/03)「解雇手続を適切に終わらせる方法」(2015/07/10)(黒田法律事務所 )
 「フィリピンにおける人材派遣・紹介業制度調査(2012年10月)」(ジェトロ)

セブのホームレス
冒頭にお話したように、セブのような都市部においては、日常でホームレスやストリートチルドレンを目にします。

私自身は、セブでの最初のフィリピン人の友人から、「物乞いをする子どもたちにはお金をあげても親に取り上げられることも多いからあげるなら食べ物をあげたほうが良い」と言われ、以来、なるべくビスケットのようなものを持ち歩くようになりました。

もしかしたらその子どもは空腹に耐えかねているわけではなく、与えたお金でゲームなどに使われてしまうかもしれないし、親のギャンブルやドラッグに消えるかもしれない、しかし、もう何日もろくなものを食べていないかもしれない。

しかし、そういった子どもたちは、アフリカで飢餓に苦しむ子どもたちのように「明らかに栄養失調でやせ細っていて命の危険を感じさせる」というほどにはみえません。お金をあげて救うべきかという判断をするには難しいところがあります。

自分がもっているパンを与えなければ死んでしまう子どもを目の前にして与えない人はいないでしょう。しかし自分の持っているパンで全ての子ど模を救うことはできません。

日本であれば、それは国や行政の仕事だと思ったかも知れませんし、実際そうです。教育を含めたところこから手を付けていかなければ抜本的には解決しません。

それでも目の前にある貧困に「どのように対処するか、支援するべきか?」という問いはとても難しく思えました。

私の住んでいる貧困街
私の住んでいる地域はスクウォッター(squatters)地区で、日本で言えば戦後の、「あしたのジョー」にでてくるバラック小屋が建ち並ぶドヤ街のようなところですから貧困街ともいえます。

洗濯はタライで行い、シャワー室がなく通路で服を着て水を浴びる人もいます(フィリピンにはパブリックシャワーというカルチャーはあるようです)。フクーラーや冷蔵庫、テレビといったものは高級品で一部の家庭にしかありません。

それら電化製品は、電気代が高いフィリピンでは維持費もばかになりません。電球が薄暗い家が多いのもそのせいかも知れません。一方でカラオケ機があったりもするところはフィリピンらしいところで優先順位の感覚は日本と異なるようです。

コロナ禍の貧困街
そんな日本から見れば貧困街ともいえる地域で、ロックダウンが始まった頃は、カミさんにも「近所で困っている人がいたら助け合おう」と言っていたのですが、結局、大きな問題はおこっていません。

食料に関しては親戚間などで助け合い、また、お金に関しては、買い出しに出かけてもらって手間賃を払ったりと、単に施しをするのではなく、何かをしてもらって労働の対価として払うことがほとんどです。コミュニティー内で自然に助け合いが成立しているような気がします。

「フィリピン、あるいは貧困街だからロックダウンで飢えている」といような、ひとくくりにしてしまう捉え方は、すこし雑なような気がします。日本でさえ、困窮を原因とする自殺者もいるわけですから、確かに苦しいのは当たり前です。しかし、家族、それがだめなら親戚、それでもだめなら近所同士、あるいはバランガイというようにコミュニティで対応できるケースも多くあります。

貧困の実態というのは多面的に見る必要がある
以前、交通事故の相手が住んでいるゴミ処理埋立地に行ったことがあります。マニラの「スモーキーマウンテン」で子どもがごみの山をあさる映像と同様で、ボランティア団体によるスタディーツアーで貧困を学ぶのに行くような場所です。

確かに衛生面での問題は心配ですが、大人はゴミ運搬の仕事をしており、バイクも持っています。また、むしろ私の住んでいる密集した家よりも大きい家で暮らしていました。

報道やノンフィクションでは、編集で伝えたい面だけを映し出すことは多くあります。また、ボランティア団体などによる体験・視察などもまた同じようなケースもあります。(外国のボランティア団体ですが、詐欺に近い、かなり悪質なケースの話を聞きました)

どんな事件や事象も、ひとつの面だけではなく、多角的に全体を見て、そのうえで、問題点を見極める必要があります。

ホームレス記事の炎上騒動
最近、cakes(ケイクス)というデジタルコンテンツの配信サイトでのホームレスに関する記事が炎上しました。「cakesのホームレス取材記事に批判 単なる“炎上”を社会問題を皆で考える点」に変えていくには?」(abema times)

ここでは詳しくふれませんが、私がホームレス対策(このネーミングに違和感を覚える方もいるかも知れませんが行政用語として使われているところです)のセクションにいたとき、ホームレス村と呼ばれている地域を訪れたことがあり、筆者と同様の感想をいだきました。

そこには自分たちで作ったトイレや浴場も発電機もあり、元大工による家はもちろん木造ですが、正直なところ私が今住んでいる家よりクウォリティーが高かったりします。

ですから、特に専門家でもない筆者がホームレスの人の生き方やたくましさに、それまであった先入観とは違うものを感じて書かれた記事の内容に対しては(書きっぷりなど表現の仕方は置いておいて)、私は特に批判されたような、不快に感じることはありませんでした。

(もちろん当事者のホームレスの方が不快に思うのであれば、差し控えるべきですが、その点はクリアされているとのことなので)

福祉というのは人を相手にするものです。事貧困問題になると、国とか地域、あるいはホームレス、ストリートチルドレンといった集団をひとくくりに考えがちですが、100人いれば100通りの人生があり事情があります。対症療法としては一律の支援を行うことはやむを得ない面がありますが、一人ひとりに合わせた支援が必要とされています。

フィリピン・セブの貧困とキリスト教精神

現代の慈善団体
日本では社会保障やセーフティネットなどの公的扶助は国や行政の責務です。しかし、フィリピンでは十分ではなく、その役割を家族や親戚、ボランティア団体が担っている割合が多くなっています。

そのボランティア団体の中でも大きな存在なのがキリスト教教会などを母体とする慈善団体です。英米で一番大きな慈善団体はプロテスタントの「救世軍」で教派を問わない「YMCA」(Young Men’s Christian Association:キリスト教青年会)などが知られています。

カトリックですと、ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサの「神の愛の宣教者会」(この活動には一部批判もあるようですがここではふれません)があり、この会自体の慈善活動は小規模でしたが、その影響は大きいものでした。

フィリピンにはカトリック教徒が多いということもありますが、多くのカトリック系の慈善団体が活動しています。

聖書の中の施し
聖書には施しに関する記述は多くあります。

「そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。」(口語訳聖書 ヘブル人への手紙13:16)

「こころの貧しい人たちは、さいわいである」といった聖句でよく知られているイエスが山の上で弟子たちに語る有名な「山上の垂訓すいくん」の中に下記のような一節があります。

「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。」「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」(口語訳聖書 マタイによる福音書6:1,3)

この「義」というのは新共同訳及び新改訳では「善行」と訳されています。

また、「良きサマリア人のたとえ」とよばれている、新約聖書のルカによる福音書10章25節から37節に書かれているイエス・キリストによる有名なたとえ話もあります。

イエスと律法学者との問答で、律法に書かれている「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」について、「誰が隣人であるか?」と問いかけ、イエスは瀕死の旅人を避けた司祭や律法に忠実なレビ人ではなく、その旅人を助けた「サマリア人のようにしなさい」と述べる聖句です。

「サマリア人」というのはユダヤ人と異邦人の混血で、異教の神々、偶像崇拝を取り入れており、ユダヤ人からは異邦人と呼ばれていました。つまり異教徒といってもいい民族です。

この聖句もカトリック教徒にとってはボランティアやチャリティーなど行うことの聖書的なバックボーンとなっています。

以前もふれましたが、プロテスタントは「信仰義認」という教義をとっています。これは「人は行為によって義とされるのではなく、信仰によってのみ義とされる」というものです。

このため、これらの聖句の解釈はカトリックや正教会とプロテスタントでは異なっています。(神学の話になり、とても難しいのでここではふれません)

自分が正しいと思う見方を持つこと
以前ふれたように、聖書を正しく理解しないことによって差別や異端・異民族・異教徒への迫害が正当化されてしまった歴史的側面があります。

「正常性バイアス」、「確証バイアス」や、「沈黙の螺旋らせん」、「同調圧力・現象」「ハロー効果」(※)といったものにとらわれず、自分の頭と心で考え、ものごとをみる目を持つということは、今の社会において生きるうえでも大事なことです。そして、そのために必要なのは「実となる経験」です。

※「バイアスとは」先入観や思い込みによる偏った見方、「確証バイアス」は仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと、「正常性バイアス」は自分にとって都合の悪い情報を無視したりするバイアス。「沈黙の螺旋らせん」は、人は無意識に孤立に恐怖を感じ、同調を求める社会的圧力によって少数派が沈黙を余儀なくされていくこと。「同調圧力」はそういった圧力

ボランティアや寄付が生きるために

杉良太郎さんの慈善活動
父が好きだった「水戸黄門」の初代「助さん」、「遠山の金さん」で知られる杉良太郎さんは、長年にわたり、多くの慈善活動をしていることで知られています。

決して裕福な家庭ではなく、中学を卒業すると船乗りになるため、国立高浜海員学に通いますが、その後歌謡学校へ。

芸事が好きだった父親は神戸で浪曲ろうきょく小屋を開き、幼い頃から浪曲師や旅芸人らとふれあったことが、才能を開かせたのか、地元ののど自慢大会などに出場し、デビューする前の15歳から刑務所慰問を行っていたとのこと。

その活動は今も続き、2019年には法務大臣から功績をたたえられました。杉さんは1944年生まれですから、およそ60年も続けていたことになります。

また、若い頃にカレー屋で奉公していた経験を生かし、災害が起きるとカレーの炊き出しで駆けつけ、1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の救援と、慰問としてヘリコプター2機をチャーターし、被災者避難所へ物資を空輸。 

1989年にベトナムで公演した際に慰問で孤児院を訪れたことが縁で、それ以降、ベトナムへの支援活動も続けており、寄付した金額は累計数十億円にのぼるほか、里子として育てた孤児らの人数は現時点で152人にのぼるとのこと。

また、2013年には、フィリピンを襲った台風ヨランダの被害に対してチャリティコンサートを企画し、NPO法人を通じて現地に学校を建設しました。

この杉さんの慈善活動に関して話題となったのが、2011年の東日本大震災で、支援活動のため車両12台を手配し救援物資を送るとともに、自ら炊き出しを行った際、メディアの一人の「それってやっぱり売名ですか?」という質問に怒りをあらあわすこともなく、「もちろん売名だよ。売名に決まってるじゃないか」と答えたことです。

売名批判なんの 杉良太郎さん、慈善にかけた60年」(日本経済新聞 2020/1/12 )など

長年にわたる活動のなかで、それまでにさんざん、山ほどの中傷や当てこすりの質問を受けてきたそうです。そのようなものにはビクとも動じない、積み重ねられた経験に裏打ちされた自信があるからこそ、このような受け答えができるのでしょう。

批判や批評は誰にでもできるけれども、実際に行う人にはかないません。

金銭にクリーンである団体
困窮者支援にしろ、災害支援にしろ、大多数は寄付をしたり、ボランティアで活動をする側です。その寄付金やボランティア活動が実際に役立つかは、それを執行する者(団体)に左右されます。

行政にいた私が知る限りですが、NPO(NGOも同様だと思います)は非営利団体という名目ですが、金銭管理において問題がある(つまり隠れみのになっている)例は多くあるように思えました。

東日本大震災の復興支援に関して北海道旭川市のNPO法人、福島市のNPO団体の補助金の不正受給は大きなニュースになりました。補助金については、国や行政の監査などで調査される機会があるので、そこで発覚する場合があります。

一方、直接補助金などが入らないケースは金銭管理は自主的なものに委ねられます。

例えば「貧困ビジネス」といわれる典型的なビジネスモデルは、ホームレスを説得して、無料低額宿泊所への入居を条件に生活保護申請をさせ、その生活保護費から利益を得るというものです。

(例えば1室6万円で借りた2Kの部屋に4人で住まわせ、家賃を保護費の住宅扶助の限度額(地域によって異なりますが例えば)4万円を徴収し、差額を得る、なおかつ食事代や管理費、サポート代などの名目で、保護費の生活扶助から僅かな小遣い分を差し引いて徴収する)

この無料定額宿泊所には一応行政の指導が入ります。しかし、例えば食事を提供する委託先もグループ会社であったりすると、受給者の話に聞く食事の内容とその金額に差が見られても、請求書や領収書がきちんとあるのでそれ以上は何もいえません。家賃代や生活扶助から得るっ収入も事業者と受給者の関係なので法的に何かできるというものではありません。

NPO団体によって運営されているケースも多くありますが、補助金など以外の面はほぼノーチェックです。

行政側からすると、駅などの人目につくところにホームレスがいると住民から苦情が来ます。一方、生活保護受給者の不正請求問題や受給者への住民からの厳しい目もあります。このため、無料宿泊所を管理する事業者に丸投げするといった相互依存関係がつくられるといった実態があります。(いくつか事件が明るみになったケースもあり、自治体によっては改善されているかもしれません)

このように明確に補助金の不正受給のような違法性がなくとも、グレイゾーンで、その財源が適切に支援に使われているか疑問のある事業者が一部あることは事実です。(もちろん適切な金銭管理を行っている事業者は多くあります)

適正な活動をしている団体
東日本大震災は、寄付だけではなく行動で表すボランティア活動が日本で本格的に始まった機会でした。しかし、必要な場所に適正に物資やボランティアが配置されなかったり、全国から着られないような古着が大量に送られ施設運営に支障をきたすなど、現場の混乱も指摘されました。

以前のひきこもり対策の投稿で、素人であったりビジネス目的ではなく、専門家つまり本当のプロフェッショナルが対応する必要性をお話しましたが、慈善活動や支援も同様です。

せっかくの善意の寄付や物資が本当に必要なところに届かないというのはもったいない事です。

政府開発援助(ODA)による支援
南太平洋のソロモン諸島に、ODAで5億円を支出して整備した防災連絡システムが使えない状態だったことが、会計検査院の調べで判明したというニュースがありました。 「ODAで5億円支出、ソロモン諸島の防災システム使えず…JICAの説明不十分」(読売新聞2020/10/29)

また、外務省がパプアニューギニアでODAにより約800万円を無償提供して2015年8月に建設をはじめた学校の校舎が、安全上の理由で、2016年12月に取り壊されていにもかかわらず、連絡が途絶えており、最後の報告から8ヶ月後の2017年4月に学校から連絡があったとのこと。外務省の担当者は「まさか連絡もなしに取り壊されるとは思わなかった。今後は現地確認を行うようにする」と話しているそうです。(フィリピンでも丸投げしてノーチェックだと、まず同じようなことが起こりえると思います) 「日本のODAで建設中の新校舎、連絡なく取り壊される…パプアニューギニア」 (読売新聞2020/10/20)

もちろん世界各国で行われているODAの支援は多くの国々に感謝されています。セブでも市街地を通るトンネルや、セブ島とマクタン島を結ぶ第2マクタン橋は日本の協力であることはよく知られていますし。現在計画中の第4マクタン橋も日本のODAで進められています。

ODAではインフラ整備が目立ちますが、その他にもたくさんあり、これは別の機会に紹介したいと思っています。

せっかくの善意を無駄にしないために
このような事例はODAに限らず、ボランティア活動にもいえもすし、福祉もそうです。

支援というのは、難しいものです。

派遣村というものが話題になったことがあります。リーマンショックが起こった年で派遣切りという問題と、厚生労働省の目の前の日比谷公園に作られた「年越し派遣村」というネーミングもニュースソースとしてはキャッチーで世間の注目を浴びました。

しかしその後、抜本的に非正規雇用の問題が解決しているわけではありません。

支援というものは病気の治療と同様に対症療法と根治療法の両方をうまくバランスを取りながらおこなう必要があります。

多くのプロフェッショナルの支援者の活動が生かされるには、その支援者をさらに支える一般の人々も確かな知識と意識を持つ必要があるのだと思います。

おわりに

フィリピンでは、タルラック(Tarlac)で12月20に起きた、警察官(46歳)による母(52歳)とその息子(25)を殺害した事件が、今もニュース記事で取り上げられています。

殺害の映像がフェイスブックなどで拡散され、クリスマスを前にフィリピン全土を騒然とさせた事件でしたが、このことについてはフィリピンの治安と合わせて別の機会にお話できたらと思っています。

姪っ子たちは先週から体調を崩していましたが、すっかり元気になりました。一方、私の方は今一つで、投稿も遅くなってしまいました。

私は、昨年の今頃は無事手術も終わり、病院のベッドで過ごしていた時期ですが、まさか今年がこんな年になるとは思いもよりませんでした。でも手術前の願いは、「来年も無事に生きていられますように」でしたから御の字です。これ以上を望むことはありません。(そういえば病気の話も投稿するといっていたのにまだです。来年したいと思います。)

さて来年はどうなるでしょう?なかなか見通しが立てにくい状況ですが、今年も残すところあと僅か、来年の目標づくりに励みたいと思います。

今日も、あっちこっち話が長くなりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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