前回の記事で少し「バイアス」(思い込みなどによる偏った見方)にふれたところですが、「認知バイアス」というのは、 非常に基本的な統計学的な誤りや記憶の誤りなど、人間が犯しやすい認知の誤りのことをいうのだそうです。
先日それに関する記事があって読んでみたので、あらためて話題にふれたいと思います。
コインを6回投げて「表、表、表、表、表、表」の次は何がでるか?
記事の中には2つの問題が出されており、その一つが以下の設問です。
問)コインを6回投げたときの順列として考えられる、
1|表、裏、裏、表、裏、表
2|表、表、表、表、表、表
3|裏、表、裏、裏、裏、表
の3通りのうち、出やすいと思う順はどれか?
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間違えた場合は、「属性の置き換え」といって、設問では「出やすさの評価」、つまり確率の評価をしなければならないのですが、その代わりに、「印象の評価」が行われたことによるとのことです。
答えは、「表と裏の2通りが出る機会が6回、確率はどれも同じで1/64」
どのような「印象の評価」がおこなわれたかというと、確率論の基本的な定理のひとつに「大数の法則」というものがあって、コインを投げたときに表が出る確率は1/2で、コインを投げる回数が多ければ多いほど、表が出た回数から計算した確率は50%に近づくというものがあり、その印象に影響されています。
しかし「大数の法則」はサンプル数が小さいときには成り立ちません。しかし、サンプル数が小さい場合でも「大数の法則」が成り立っているべき、つまり、コインを6回投げたら3回は表が出るべきであると感じる傾向があるとのことです。
これは、「代表性バイアス」というもので、パッと思い浮かぶ「あるべき姿」を必要以上に重視してしまうことによる判断のバイアスのことを指すとのこと。株式市場は投資家の「代表性バイアス」のかかった判断に満ちた世界とのこと。
参照「コインを6回投げて「表、表、表、表、表、表」の次は「裏」と答えた人は危ない」(PRESIDENT ONLINE 2020/12/27 )ほか
このタイトルの「裏と答えた人は危ない」は少々、大げさのような気もしますが、思い込みに注意しようという点は大事だと思います。
ただ、現実社会では数学のようにきれいに確率で判断できるケースはむしろ少ないということもあります。
6回投げて全て表が出たということは、もしかしたらイカサマなのかもしれない。あるいは特殊なコインなのかも知れない。
実社会においては、何か別に要因がある可能性を探る必要もあり、数学的思考にとらわれるとそれが逆にバイアスになってしまうということにも注意しなければならないとも思います。
モンティ・ホール問題
この記事を読んだ時に思い出したのが、以前、何かのテレビ番組で知った「モンティ・ホール問題」という話です。
(ユーチューブでこの番組を探しましたがありませんでした。しかしこの話の解説は動画でもたくさんでています。)
アメリカのモンティ・ホール(Monty Hall)が司会者を務める「Let’s Make a Deal」というゲームショー番組がありました。1990年、この番組中のある出題がのちに大論争に発展します。
問題
1.目の前に3つの閉じたドアがある。
2.3つのドアのうち、1つのドアは後ろに自動車、それ以外の2つの後ろには(ハズレの)ヤギがいる。プレーヤーが新車のドアを当てると賞品としてもらえる。
3.どのドアが正解(後ろに自動車がある)かは司会者(モンティホール)のみが知っている。
4.プレーヤーはまず、自動車が後ろにあると思うドアを1つ選ぶ。
5.司会者(モンティホール)は残りの2つのドアのうち、必ず外れ(ヤギ)のドアを開けてみせる。
6.残った2つのドアのうち、プレーヤーはそのまま最初に選んだドアをもう片方の(モンティホールが開けなかった)ドアに変更しても良いと言われる。
「ここでプレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」いう問いです。
- ウィキペディアより
テレビでも紹介されているのでご存知かもしれませんが、もしこの問題を知らない方は考えてみてください。
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私は、この問題を初めて聞いた時、2つドアが残ったのだからその時点での確率はどちらも2分の1で同じ。「どちらでも良い」が正解だと思いました。この手の問題は当時も知っている人は多く、「司会者がドアを開けるくだり」は引っ掛けだろうと思ったのです。
サヴァントの答え
ところが、ニュース雑誌「Parade」のマリリン・ボス・サヴァントが連載していた読者の質問や悩みなどに答えるコラム「マリリンにおまかせ」(アッコにおまかせはここからとったのだろうか?)で、読者投稿による質問にサヴァントは「正解は『ドアを変更する』である。なぜなら、ドアを変更した場合には景品を当てる確率が2倍になるからだ」と回答したのです。
ちなみにサヴァントは、IQ228という、ギネスブックで世界で1番高いIQ(※)を持った人物として記録されており、そのコラムもとても機知に富んだものでした。
※(IQとは、Intelligence Quotient:知能指数のこと。IQの平均値は100であり、85–115の間に約68%の人が収まり、70–130の間に約95%の人が収まる。
メンサ(MENSA)という、1946年にイギリスで創設された、全人口の内上位2%のIQ(知能指数)の持ち主が入会できる国際グループもある。 世界100ヶ国以上、10万人以上の会員を持ち日本にも約4,700人(2019年12月現在)の会員がいる。この合格基準はだいたいIQ130位といわれている。
サヴァントの比例IQとは標準的な年齢相当の発達をしているという知能水準を100としたもの。サヴァントのIQは10歳の時に22歳10か月の精神年齢と測定された年齢比例IQである。
IQテストはもともとは精神遅滞児に対する特別支援教育を行うため考案した評定であるが、そもそも「知能とは何か」という問題や測定方法の不正確など論争があり、現在ギネスブックにはこのカテゴリーは無くなっている。
参照「知能指数 (intelligence quotient :IQ)」 臨床心理学用語辞典 ほか
論争
すると直後から、読者からの「彼女の解答は間違っている」との約1万通の投書が殺到し、その中には多くの数学・統計学の博士号保持者も含まれており、サヴァントは、数学の博士らから、批判や誹謗中傷を浴びることになります。
今でいえば炎上です。
サヴァントは自分のコラムで3回にわたり、自説を説明しますが、なおも9割は反対意見で、更に解説を載せるものの、論争は収まらずなおも批判が多くを占めていました。
しかし、サヴァントに対し反対意見を表明していた数学者の弟子が、自前のパーソナルコンピュータで数百回のシミュレーションを行うと、結果はサヴァントの答えと一致し、その数学者も認めざるを得なくなります。(1990年といえば、ようやく真っ黒い画面のDOSからWIndowsへ移行が始まった頃です。)
さらに、あのカール・セーガン(※)ら著名人らがモンティーホール問題を解説、サヴァントの答えに反論を行なっていた人々は、誤りを認めます。
※ 天文学者のカール・セーガンが監修し自ら進行役も行った、1980年に放送された科学情報番組の「コスモス(宇宙)」はそれほど科学が好きでなかった私も食い入るように観た記憶があります。また、オープニングに流れる、「炎のランナー」のテーマ曲で知られるヴァンゲリスの曲にワクワクしました。 「ヴァンゲリス/アルファー」(You Tube)←リンク切れ
回答の解説
この問題は思い込み、バイアスによって誤答が導かれるものです。ですから、例えば、もし、この問の扉が3でなく、1,000あったらどうでしょう。プレーヤーが1つの扉をゆびさし、もし司会者が残りの999の扉のうち998の扉を開け、残った扉と最初に指差した扉のどちらを開けるかと考えたら、残った扉の方を開けるのではないでしょうか。この例だと、最初の設問の思い込みが軽減されます。
数学的な解説は、こちらを御覧ください。また、他に多くのサイトや動画があります。
「世界一高いIQ」が生んだ謎、モンティホール問題はなぜパラドックスなのか(UNBOUNDEDLY 2018/09/03)
何故数学者や統計学者も間違えたのか?
これは中世とかの話ではなく1990年の話です。多くの数学者などの専門家が間違えるということが起きたのは何故なのでしょうか。
この問題は、一種の心理トリックで、直感で正しいと思える解答を、数学的な確率論でそれが正しくないと説明されても、なお納得しない者が多く、ジレンマあるいはパラドックスとされます。
この問題のポイントは3と5の「どのドアが正解(後ろに自動車がある)かは司会者(モンティホール)のみが知っている」と「司会者(モンティホール)は残りの2つのドアのうち、必ず外れ(ヤギ)のドアを開けてみせる。」です。この条件があるために残った2つの扉が同じ正解の確率にならなくなります。
後から参戦した数学者などは、このゲームのルールについて誤解があったとのではと思われています。設問で3と5の部分は明確にはされていませんでしたが、このゲームで、「司会者(モンティフォール)が答えを知っているのは当然で、自動車の扉を開けるわけがない」(ゲームが成り立たない)というのは視聴者も認識していましたし、サヴァンともそれを踏まえて回答していました。
たしかに数学者らが考えたように、直感的に考えれば、どちらのドアを選んでも正解の確率は1/2のような気がします。思い込みでそのポイントを軽視(無視)してしまったということになります。
コロナ禍でバイアスに気をつける
コロナ禍においては、統計や数字、学説でも本当に確かといえる情報はほとんどありません。楽観的な人は楽観的な情報を拾い上げ、そうでないものを見ない「楽観バイアス」或いは「正常性バイアス」、悲観的な人は悲観的な情報のみを拾い上げる「悲観バイアス・ネガティビティバイアス」といったものに陥りがちです。
また、これらはストレスにより正常な判断が困難になるということもあります。「無意識バイアス」と呼ばれる、潜在的な偏見、特に「差別」なども起こりやすくなることが指摘されています。
コロナ対策は、科学や統計学、数学といった客観的な考察を必要とするものですが、バイアスに注意しながら模索するしかありません。
フィリピンの学力問題
フィリピンが初めて参加した、世界の高所得および中間所得国79カ国の15歳を対象にし、2018年に実施されたOECDの学力調査(SEA-PLM)では、読解力で79カ国中最下位、数学と科学はそれぞれ最下位から2番目に低い結果でした。
「国際学力調査で読解力最下位、数学と科学は下から2番目」(ジェトロ 2019年12月19日)
また2019年は東南アジア6カ国で調査が行われましたが、やはり数学に習熟したのはわずか17%と、「多くのフィリピン人学習者が、中等学校に進学するのに十分な読み書きと数学に堪能ではない」という調査結果となりました。
「Study finds Pinoy students lagging in reading, writing, math – senator」(philstar 2020/12/6)
日本の教育は一時期「ゆとり教育」に舵を取りました。その結果学力低下が顕著になり、修正しています。
一方、フィリピンでは順位付けをつけるということは積極的に行われているようで、学校では、さまざまな分野ごとに与えられるメダル数を競いあうことも普通です。
それでも学力が、なかなか上がりませんが、子どもたちの学習環境の劣悪さには同情を感じます。教科書や副教材も私が日本で学習したものと比べると、十分ではないように思えます。
生徒数があまりに多く、地域によっては午前、午後のグループに分けるケースもあります。また、何より暑さです。日本でも、夏休み前になると暑くてどうしようもないこともありました。郊外の学校だとまだましかも知れませんが、市街地の学校など一年のほとんどを、日本の夏休み期間中に勉強しているようなものです。
また、私がセブに来た頃までは、自治体によっては、公立学校は給料の遅延もあるという話も聞かれ、そのような待遇では教師の質の確保も容易ではない状況もありました。
とはいえ、米百俵(「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」)、教育こそが国の要です。今の政府は教育に力を入れるという方針は強く打ち出している点は期待したいです。
私の姪っ子たちもこれからその中に入っていくので、今後も関心を持って見守っていきたいと思います。
おわりに
12月30日は「リサール記念日」で祝日です。ホセ・リサールはフィリピン革命期の人物で国民的英雄です、日本にも来たことがあります。(それどころか、おせいさんという日本人女性と恋仲だったともいわれています)これは、別の機会にお話したいと思っています。
思い返せば2019年12月31日に「中国・武漢で原因不明の肺炎 海鮮市場の店主ら多数発症」(朝日新聞デジタル)という報道もあったように、2020年はコロナに明け、コロナに暮れた年でした。
そこで、コロナ禍に聴く、元気が出る曲を最後に紹介したいと思います。(といっても有名な曲なのでご存知の方も多いとは思いますが)
中島みゆきさんの曲が好きでコンサートにも行きました。「時代」や「糸」「地上の星」といった名曲もいいのですが、初期のアコースティックな曲から入ったので、「ホームにて」とか「波の上」「時刻表」「傷ついた翼」「霧に走る」「タクシードライバー」「狼になりたい」「歌姫」など。私は高校を出て働きながら夜大学に行っていた頃で、これらの曲はリアルタイムではないですが、1990年頃のあの時代を思い出させます。
この曲「ファイト」は、もともとは1983年のアルバムに収録された曲で、後にシングル・カットされ、多くのアーティストにカバーされていたりCMでも流れています。もともとは深夜ラジオ番組「オールナイトニッポン」のリスナーからのハガキをきっかけにできた曲です。「中島みゆき 「ファイト!」 誕生のきっかけ(You Tube)」
左は吉田拓郎バージョン。この曲は吉田拓郎さんへの応援歌(井上陽水らと立ち上げたレコード会社のゴタゴタなど時期的に困難な頃だった)という噂もあったり、作風から、吉田拓郎さんのオリジナルと思っていた人も多かったといわれるほど、カバーとは思えぬほどとてもいいのです。
一方、中島みゆきさんの「ファイト」は、深夜ラジオの雰囲気を知っているとなおさら心にしみます。こちらの音源は、最初のトークは2016年の熊本地震の際の「オールナイトニッポン」から、曲は、阪神大震災の起きた後の1995年のコンサートで歌われた熱唱です。
みなさま、2019年はいろいろ大変でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。よい2020年を迎え、お会いできることを、心より願っております。