今回はカモテス旅行の続きです。
カモテス旅行(2日目)
パブリックマーケット(Public Market)とベイウォーク(Baywalk)
今日はカミさんの親友マディの妹の誕生日、市場に買い出しに行きます。場所はパシハン島の中心部のサンフランシスコ町の中心部です。中央に見えるのが「サンフランシスコパブリックマーケット(San Francisco Public Market)」
※市場名は動画では「San Fran Public Market」と表記しましたが、これは市場の地域全般を差すようで、施設は正しくは、「AGORA Market」また、一般に「San Francisco Public Market」とよばれています。画面にも「AGORA Market」の名称のサインが映っていました。
マーケットとパシハン島とボロ島を結ぶ橋のあたりまでが遊歩道となっています。フィリピンの日差しを考えるともう少し木があると公園のような感じで木陰で休めると思うのですが、歩く分には海風が気持ちがいいので気になりません。
フィリピンではこのような地名や名所のサインがあります。写真を撮ってフェイスブックにあげる。SNS好きということと関係しているのでしょうか?
私たちも1枚
ほんとに、遊歩道しか無いのでそのまま折り返して戻ります。
マーケットの中です。カモテス島はずっとMGCQで落ち着いていると思うのですが、人出はどうなのでしょう。マーケット周辺は町役場や警察署もあるのですが、通行人は半分くらいはノーマスクでした。カモテスではマスクをするのは港くらいでした。ただ、8月から「制限が強化されたGCQ」の対象となると思うので、少し厳しくなるかもしれません。
私の周りの家族などは、あまり野菜を食べず炭水化物が多いのですが、体のためにもたくさん食べたいですね。
果物も豊富です。
魚のコーナー
肉類コーナー
エントランス付近には観光客向けの売店がありましたが、もの寂しげです。はやく観光客が多く訪れる用になればいいのですが。
近所の入り江
市場のある中心地までの道にはモールや店があります。これはチェーンのホームセンターのようです。
一旦、家に戻り、食事をとって近くの海岸まで歩いていきます。かなり距離はあったのですが、陽が陰っていたので散歩日和でした。日差しがあると、ちょっと辛いかもです。
これはパイナップルとのこと。パイナップルは何となくココナッツのように木になるのかなと思っていたのですが。
こんな感じになります。
中央にバナナが生えています。普通に道路沿いに自生していので自由に持っていけそうです。
こちらはジャックフルーツです。
こちらはゴーヤ
これはspinach(ほうれん草)だそうです。
チャペルがあります。周りには民家はポツポツとしか見えないのですが、ちゃんとした建物です。
海が見えてきました。
牛もいてのどかです。
絶景です
岩に腰掛け、子供たちは泳いでいます。
水は本当にきれいです。日本はもちろんフィリピンでもプラスチックなどの投棄物の海洋ゴミは問題になっていますが、ここは入り江なのにそういったゴミが溜まっている様子はみられません。
船が近づいてきます。ここはボートやカヌーの保管所(といっても、ただ陸に置きっぱなしですが)で、出入り口になっています。
座れる岩場はちょうど木陰になっています。そのまま座るとお尻が痛いので、そのへんに落ちているココナッツを敷きます。
あそこまで行ってみればよかったなあ。
風は心地よいくらいなのですが、波は結構激しいです。
帰りは、途中から車で合流してきた子供たちと一緒に帰ります。
家に着くと既にご馳走が振る舞われていました。中央に見えるのがレチョンです。レチョンはレチョンバボイといってレチョンは丸焼き、バボイは豚の意味です。
内蔵をくり抜いて香草ばどを詰めて焼いた肉はジューシーで皮はパリパリです。
実は、私たちが海に行っている間に、すでにマディの妹クリスティーンの誕生日のセレモニーは終わってました。
そもそものカモテスに来た目的、理由が彼女の誕生日なのに、「それでいいのか?」という気もしましたが、皆あまり気にしていないようです。こういったゆるさはフィリピンだなあと思います。
実は彼女も後から車で入り江に合流して一緒に遊んでいました。
写真に写っているのがレチョンです。写真で見ると小さいように見えますが、もとは結構大きいです。
なぜもとを知っているかというと、実はこの豚は、マディの親戚が生きた豚を買ってきたもので、自分で解体(丸焼きなので解体とはいわないか?)するところから行っていて、それを見ていたのです。下の写真は毛を剃っているところです。
昔、「ブタがいた教室」という映画がありました。黒田恭史の書籍『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』(2003年)を原案とした、2008年11月1日公開の日本映画です。
内容は「新任教師の星はこどもたちに『先生はこのブタを育てて、最後にはみんなで食べようと思います。』と提案。6年2組は騒然となる。ブタにPちゃんと名づけ、校庭に小屋をつくり、交代しながらえさやりから掃除、糞尿の始末まで生まれて初めての作業に戸惑う子どもたちであったが、やがてPちゃんに家畜としてではなくペットとしての愛着を抱くようになっていた。卒業の時は迫り、星はPちゃんをどうするかみんなで話し合って決めてほしいと提案。クラスの意見は『食べる』『食べない』に二分されてしまう。」というストーリー(ウィキペディアより)で、公開当時、話題になったのを覚えています。(残念ながら私は映画は見ていません)
現代人は毎日のように肉を食べても、その肉の動物が生きていた姿を想像することはまず無いでしょう。
旧約聖書には食物規定というものがあって、ユダヤ教や、その流れにあるイスラム教は現代でも厳しい食物規定を課しています。これは、特に生き物を食べることについて、神によって許可されたものであるということが根底にあります。キリスト教でも、うちの姪っ子たちの場合、幼稚園から食事前の祈りを教えられ、暗唱しています。
仏教においては、一部を除いて肉食全般が禁止されているわけではありませんが「殺生」という考え方があり、動物を殺して食する(命を奪う)ということは、当然のこととはされていないと考えられます。
日本において、食事をするときに「いただきます」といいます。子供の頃は「食事をつくってくれた人や、お米をつくってくれたお百姓さんや農家の方に感謝するように」と教えられたような覚えがありますが、「頂く」には「神様にお供えしたものを食べる」ときなどに使われた言葉、という語源があるとのことで、自然やそれを超越した神に感謝するという気持ちは世界共通のようです。
私の周りでは、うちの家族も鶏を絞めることはできますが、豚についてははじめて目にしました。初めての体験だと結構ショッキングです。動画も撮ったのですが、さすがにユーチューブにはアップできませんでした。
それでも、調理された肉はやっぱり美味しく頂くのでした。
あとから、あとから、近所からたくさん人がやってきます。ただ食べに来ている人も多いように思えますが、フィリピンでは普通の光景です。
夜になって、空が晴れて星が見えるようになったので、星を見に行きます。セブ市街地は夜間でもかなり照明明るいですが、カモテスは街灯も少なく、とても星が綺麗に見えます。
カモテスに空港建設の予算措置など最近のニュース
最近、こんな報道がありました
「カモテス空港の2億6500万ペソの予算が確保(P265M budget for Camotes Airport secured(CDN 2021/07/25))」
内容は次のようなものです。
フィリピン、セブ市–カモテス空港の建設がまもなく開始される可能性があります。地方当局者は最近、国がすでに2億6500万ペソの空港プロジェクトの初期予算を発表したと発表しました。
セブ第5地区議員デュークフラスコは、資金は予算管理局(DBM)から運輸省(DOTr)にダウンロードされたと述べた。
DOTrは、セブの3番目の国内空港を設立する際の主導機関になります。
フラスコ氏は昨年、サンフランシスコの町の公有地27ヘクタールの敷地によるカモテス空港に予算を割り当てるために政府(マラカニアン)に支援を要請したと述べた。
議員は、DOTrに送金された2億6500万ペソは最初の割り当てに過ぎないと述べ、カモテス空港の実現とは別に、より多くの資金が確保されることを望んでいると付け加えた。
カモテス空港が稼働すると、セブ市とカモテス間の移動時間が通常の4時間から約30分に短縮されます。
現在、サンフランシスコ、ピラール、ポロ、トゥデラで構成されるカモテス諸島への唯一の輸送手段は、ダナオ市の港を経由する旅客船です。(他にセブ・マクタン島からの高速船もあり)
フラスコ氏は以前、島のグループに国内の商業空港を設立するための法案を提出し、そこでの経済活動を刺激することを目的としていました。
予算措置されたということですから、計画段階からは進み現実味が帯びてきたと思われます。
まあ、フィリピンではできあがるまでは、どうなるか分かりません。
もし、マニラ首都圏からの 便が飛ぶようになれば国内環境客やマニラ経由の海外観光客も増えるでしょう。
セブではコロナ禍の2020年11月27日にバンタヤン島空港がオープンしました。ポストコロナには観光産業の発展が期待されます。
ただ、島が本来持つ素朴さや環境保護は保持しつづけてほしいと願っています。
後、最近のニュースではカモテス4島のうち一番レイテ島に近いポンソン島のピラールという町で2つの事件が報道されています。ボンソン島は私は今回訪れませんでしたが、他の島同様のどかな島と思われます。それでも治安に関してはここもフィリピンである(都市とは異なることも事実ですが)ということは忘れてはならないでしょう。
ボンソン島でのレイプ事件
2021年3月1日に12歳の少女をレイプしたとして、ポンソン島のピラールで7月16日に19歳と43歳の男二人が逮捕されました。19歳の男は2件、43歳の男は1件、いずれもダナオ市でレイプ事件の裁判を受け、保釈金を支払って釈放されていたとのこと。
2 men arrested for raping 12-year-old girl(Yahoo news 2021/07/16)
新人民軍(NPA)の高官だったとされる元祭司が殺害される
新人民軍(NPA)(NPA:New People’s Army)の高官だったとされる元司祭が、セブ島カモテス島ピラール町のバランガイ、アッパーポブラチオンで、身元不明の武装集団に射殺されました。
殺されたのは、ルスティコ・ルナ・タン(80歳)で、2021年5月28日金曜日の夜、ハンモックで休んでいたときに顔と体を撃たれたものです。
カモテス警察の捜査官は、「(私たちは事件のあらゆる角度から調査している)が、今のところ、殺害は個人的な恨みと関係があるようだ」と、加害者と殺害の背後にある動機を特定するために調査を行っていると述べました。
報告によると、タンは神権を離れ、新人民軍(NPA)のメンバーになったとされています。
新人民軍(NPA)は、日本の公安調査庁の国際テロ組織にも認定され、1969年に設立され「毛沢東主義」を思想的基盤とした「フィリピン共産党」(CPP: Communist Party of the Philippines)の軍事部門。フィリピン農村部及び山間部において,治安部隊,自派に敵対するとみなす市民への攻撃のほか,資金獲得を目的とした恐喝,襲撃などを実行、ミンダナオ地方北部及び東部の一部,ルソン地方,ビサヤ地方など。勢力の半数程度は,ミンダナオ地方で活動しているとみられています。1)
フィリピン大学セブ校の公式学生新聞であるTug-aniによると、タンは1987年まで上記CPPの政治部門であるフィリピン国立民主戦線(NDFP)でセブで活動していました。
2017年、タンはセブ州サンタンデール(Santander)の町で、殺人罪で逮捕されています。しかし告訴は2019年10月に裁判所によって却下されました。
タンは再びバコロドでの別の殺人事件に関与したと逮捕されましたが、2020年3月に解放された。それ以来、彼はセブ島のカモテス島で有機農業を営んでいました。
Ex-priest shot dead in Cebu’s Camotes Island(Inquirer.net 2021/05/29)
1)公安調査庁(2021) 新人民軍(NPA)New People’s Army
おわりに
セブ市は「MECQ」へ、セブ、ラプラプ、マンダウエ3市を除くセブ州全域は「制限が強化されたGCQ」へ。これは日本同様にデルタ株の影響と思われます。
今回のMECQはタクシー、ジプニーなどの公共交通機関は運行されますが、飲食店等の店内飲食が禁止されるため、人流はかなり減ると思われます。
ドライバーたちには、バウンダリーの額は減らせないがラッキングバウンダリー(一部未払い)は許容するので生活費を優先するようには言ってありますが、それでも運休したいというドライバーには認めています。
オペレーター同士の情報交換でも、どこも厳しいようです。十数台というフランチャイズを売りたいというオーナーもいました。
ワクチン接種が進まない限り、今の状況はなかなか改善しないようにも思われます。フィリピンのワクチン接種の状況は日本と異なります。私自身まだ、接種しておらず、これからどうするか決めなくてはなりません。
カモテス旅行シリーズが終わったら、ワクチンのお話もしたいと思います。
このところ、暑さのせいもあってか、夜なかなか寝付けません。日本も、かなり暑いようです。みなさまも、くれぐれも体調にお気をつけください。