突然の入院と訃報連絡
義弟のジェラルドが11月27日(月)に享年32歳の若さで永眠しました。
もうすぐ一ヶ月が経とうとしており、少し落ち着いてきたところで、これまでの経緯や思うことなどを、少しお話ししたいと思います。
2019年11月23日に、フィリピンでの入院について、「セブで4日間入院した場合の費用」として投稿しました。
その時に入院したのがジェラルドです。
レントゲン検査で心臓が肥大していることが確認され、以降、薬を服用していました。
その後は、比較的元気で過ごしており、1度だけ、今年の4月ごろに、早朝に発作・痙攣のような状態となり、公立病院の「Cebu City Medical Center」に入院しました。
しかし、このときは、翌日には退院できて自宅療養となり、1週間位はしんどそうでしたが、その後、元気に回復しました。
(「Cebu City Medical Center」は2013 年の中央ビサヤ地震で被害を受け、2015年から改築工事が進められていたところ、様々な問題が生じて工事が遅延し、今年(2023年)中の完成を目指しているとのことでしたが、まだ竣工したというニュースはないようで、完成済みの部分で暫定供用しています。)
庶民にとってプライベート病院はとても費用が高く、公立病院は十分な治療が受けられるとはいえませんが、格安で(無料の場合も)受診できるので無くてはならない存在です、
今回は、とりあえず、前回入院した「Cebu City Medical Center」へ搬送されました。
フィリピンでは家族の付き添いが一般的です。最初の義弟の入院(プライベート(私立)病院)では、病室にはシャワールームもついていました。
27日のお昼すぎでした。泊まりで看病していた義母と、義妹から「emergency」の連絡があり、自宅待機していたカミさんも駆けつけました。
そして、まるで到着を待っていた(到着するまで頑張っていた)かのように、対面の後、息を引き取ったそうです。
家で子どもたち(姪のアティーナ、アキーラと甥のマティーオ)と留守番をしていた私にはカミさんから連絡がありました。
義妹が少しの間、病室からメッセンジャーで動画通信してくれて、アティーナたちとお別れの祈りをすることができました。
若すぎる死です。
その日のうちに、遺体は「エンバーミング」という処理が施され、棺に収められ、家の近くのチャペルに移されました。
ウェイク
フィリピンでは一般的に、死亡から葬儀・埋葬の間、wake ( ウェイク:lamay or paglalamay)lと呼ばれる、日本でいえば通夜にあたる儀式を行います。
wakeは英語で弔問の意味があるそうです。
日本だと通夜は、亡くなった日の翌日か翌々日に1日だけ行われ、近しい家族が夜通し付き添うこともあり、その翌日には葬式、火葬、埋葬というスケジュールが一般的だと思いますが、フィリピンのウェイクは1週間ほど(長い場合は1か月などの場合もあるよう)続きます。
これは、国民の10人に1人といわれる海外在住者が帰ってこられるためともいわれています。
フィリピンの宗教は、「ASEAN唯一のキリスト教国。国民の83%がカトリック、その他のキリスト教が10%、イスラム教は5%(ミンダナオではイスラム教徒が人口の2割以上)」となっています。「フィリピン共和国(Republic of the Philippines)基礎データ」
(イスラム教では24時間以内に埋葬(土葬)しなければならず、ウェイク(通夜)はありません)
我が家はカトリックです。
ウェイクは通常、自宅で行うか、地域にたくさんあるチャペルで行われます。
下記の写真のようにテントやテーブルを設置し、家族や親戚、近所の人達が交代で24時間棺のそばで過ごします。
結構、道路にはみ出している場合もありますが、お咎めはないようです。
費用と香典
日本の場合、昔は故人の為や家としての見栄や世間体もあり、葬儀はできるかぎり盛大に行うことが一般的でしたが、最近は家族葬や直葬(火葬のみ)といった小さな葬式も増えてきました。
私自身は自分の葬儀には、なるべくお金をかけずに、その分は家族で使ってほしいと思うタイプですが、人それぞれです。
葬儀ばっかりは自分が意図していたことと違っていても、その時になってからでは家族に指示できないので「エンディングノート」を書いておくなどが必要です。
(私も何度かの大きな入院や手術を経験し、もしもの時が気になっていますが、まだ書くまでには至っていません。)
日本だとお通夜や葬儀に参列した場合、お香典を包み、香典返しの会葬御礼品が準備されていてるのが一般的です。
フィリピンの庶民の葬儀では、香典のようなきっちりとしたものはなく、棺のそばに置かれている募金箱(Contribution box)にドネーション(Donation:Abuloy)をするのが一般的です。
お金も何かに包むのでなく、裸のままでもいいし、自分の経済状況や相手との関係に応じた額を入れるだけです。
ですから「香典返し」なんてものはありません。
(フィリピンでも、葬儀によっては芳名帳(Guest registry book)が置いてある場合もあるようですが、私の場合、今まで記帳した経験はありません)
私が子供の頃、うちの親父が、祖母の葬式で「香典袋にお金が入ってなかった奴がいた」と怒っていたことがありましたが、そんなトラブルはないわけです。
1週間続くウェイクでは、昼夜を過ごしてくれる人のために飲み物やスナックなどを用意します。
一般的には通常禁止されているギャンブルについて、(葬儀代を捻出する意味もあり)ウェイクでは認められるという話も聞いたことはあるのですが、今回はありませんでした。
葬儀の前日の土曜日に神父さんに来てもらって、お祈りをしてもらいましたが、こういったセレモニーは、地域などによって異なるかもしれません。
地域のチャペルを利用するのでお金もかかりませんし、日本と比べれば費用的には安上がりですが、近所の人たちも大勢訪れるので、そういう点では日本より盛大と言えるかもしれません。
キリスト教の考えからか、一般的には、湿っぽくはなく、カードゲームなどをしながらにぎやかに故人を見送るという雰囲気が見られます。
葬式
葬式の日は、一般的には黒か白の服を着るのがマナーとなっており、私も白いTシャツを着ました。
(本当は襟付きのほうがフォーマルなのですが、庶民の葬儀では、あまり堅苦しくはありません。特に一般参列者は、赤といった派手な服装でない限り、あまり気にしなくてもいいようです。ただし、葬式を行った教会ではドレスコードが掲示されていました。肌が露出する服や帽子は避けたほうがよいと思われます。ネットに下記のような教会のドレスコードがありました。)
※日中は日差しがきついので、屋外では帽子をかぶったり、傘をさすなどの対策は大切です。
白い服の場合は胸に黒のリボンをピンで留めます。これは埋葬場所に行ったら外すとのことでした。
チャペルから棺を運び出し、搬送用の車に載せ、ゆっくりと教会に向かいます。
後から家族や親戚、友人らが車やバイク、或いは徒歩でついていきます。
フィリピンで暮らしていると日曜日に、よくこの葬儀の列(procession)の光景を目にします。
高齢者や子供、また、時期や天候、距離にもよりますが、暑さが厳しいので、歩けない人のために、バスも用意します。セブ市の場合、バス(大型)は800ペソで貸出してくれ、うちも一台お願いしました。
教会では義弟の他にも4つの棺が並び、一緒に追悼の儀式が行われました。
日本の葬儀だと他人の複数の葬儀が同室で同時に進行する(合同で行われる)などということは、まずみられない光景です。
棺は値段によって異なるので、それらが並べられていると、日本人だと絶対に他人のと比べて気にするということもありそうです。
もう15年くらい前に亡くなった私の母方の叔母はプロテスタントのクリスチャンで、葬式は教会(キリスト教式)で行いました。
日本とフィリピンという違いもあるかもしれませんが、プロテスタントの葬儀はわりとシンプルで、今回のカトリックの場合は、聖水をかけたり、振り香炉のような厳かな儀式が特徴的と感じました。
埋葬
フィリピンでは土葬が一般的です。「キリスト教では死後復活することが宗教上信じられており、火葬してしまうと身体を失ってしまうので復活できないイメージがあるからです。(※1)」と説明されることが結構多いと思います。
しかし、聖書には「土葬しなさい」とか「火葬してはいけない」とは書かれていません(※2)。
土葬であっても「乾いた土中に埋められていた場合、大人で7 – 8年、水中では夏場で2週間、冬場では1か月で頭蓋骨の一部が露出する(※3)」わけで、やがて、肉体は土に帰るわけです。
そもそも、聖書では神は「塵」から人間をつくったのですから、復活に肉体は必要ないと考える方が自然(聖書的)のような気がします。
なお、フィリピンの場合は、火葬は土葬より費用がかかるためという事情があるといえます。
※1)「火葬だけではない!日本でも行われている土葬の実態」(ライフドット)
※2)「【疑問】クリスチャンは土葬じゃないとダメなのか?」(週間イエス)
※3)「白骨化」(Wikipedia)
土葬だと本来は墓地も広大な敷地が必要となります。しかし、セブ市は墓地もスペースが限られていて、庶民は立派な墓地を建てることはできません。
何段にも重ねられた、納骨堂というかロッカーのような墓に収めます。
こんな感じです。
フィリピンでは、お墓に住んでいる人達がいます。
棺を納める際に、男性が4段目まで棺を持ち上げ、入れ終わったら、入り口にセメントを塗って密閉するといった作業をしてくれます。
また、(恐らく、墓地で暮らしている)子どもたちは、香草のように香りがでる草を燃やして、煙を炊いて、少々のお金をもらっていました。
花が一本ずつ参列者に配られ、最後のお別れで捧げます。
1週間の間、たくさん泣いたであろう義母ですが、号泣していました。
キリスト教における死
フィリピン人の9割がキリスト教徒といわれています。日本人と比べると、やはり宗教の違いは、死に対する思いや感覚も異なってくると思われます。
日本人だと、死は永遠のお別れという悲しみの思いが強いかもしれません。
聖書では天国か地獄に行くことになります(※)。どちらに行くかは、まさに神のみぞ知るですから、本人も家族も皆天国に召されることを願い、祈るのです。
(※正確には聖書では地獄と訳されるゲヘナ、黄泉と訳されるハデスがあり、この2つは明確に異なっています。「地獄 (キリスト教)(Wikipedia)」)
そして、生きている間、神の御心に(従って)生きることが必要とされています。
キリスト教では、ウェイクの項目でも触れたように、「天国(神様に近い場所)へ行く)」ということから、日本と比べると比較的にぎやかに、明るく故人を送るのが一般的とされています。
それでも、今回は、仏教でいうところの逆縁(子供のほうが親より先に他界してしまう)です。
特に母親は、我が子がお腹にいたときからの思い出が、走馬灯のごとく巡っていたことでしょう。
命の値段
命の値段というのはかつては奴隷制度のもとでの人身売買の値段、今は交通事故などでの補償のことを指したりします。
怪我や病気をした場合、お金があって、整った設備と、高度な医療を受けることができたら助かるケースもある一方、お金がなく適切な治療を受けられずに命を失うケースもあります。
これも命の値段の差かもしれません。
私がフィリピンに来て9年になりますが、同年代の知人が1人、20代の知人が2人、いずれも心臓疾患でなくなています。
日本の医療環境だったら助かる命も多いのだろうなと感じることもありました。
私はこれまでに4度の入院、3度の手術をしていますが、日本でなくフィリピンであったら、今、生きていなかったかもしれないと思うときもあります。
一時帰国の際に、痙攣発作で意識不明になり入院しましたが、もしフィリピンで起きていたら、もしかしたら・・・と思うことも。
フィリピンで暮らし始めた頃は、そんなことが気になったりしましたが、しばらくすると、あまり考えなくなりました。
一方で、例えば日本でも離島や山間部であったり、深夜か昼間かでも救命率は変わってくるかもしれません。コロナの時期は救急搬送困難事例が増加したことなども報道されました。
フィリピンで暮らす以上は、日本とは違うという覚悟は必要です。でも、だんだんと、そのときはそのとき、「運命」と、その差を受け入れれられるようになってきたと思います。
家族
昨年、初めて家族全員でモアルボアルへ1泊の旅行をしてきました。
そして、これが最後の全員の家族写真となってしまいました。
ピンクの服を着た姪っ子のアキーラの後ろのオレンジ色のTシャツを来ているのがジェラルドです。
これからずっと、天国で穏やかに暮らせますように、そして空から私達を見守ってくれることを…