前回、カモテス旅行計画のお話をしたところですが、このたび3泊4日で行って来ました。
カモテスは、セブに来て最初のころ、何人ものフィリピン人の友人に勧められた場所で、いつか訪れたいと思っていた場所です。しかし、その後始めたビジネスで手一杯で、余裕もなく、叶わないままでした。
一方、話を聞くにつけ、いつか「カモテスに別荘、民泊、ゲストハウスのようなビジネスを展開できたらなあ」と勝手に思いを巡らせていたのです。
今回、カモテス出身のカミさんの親友マディが妹の誕生日に里帰りするというので、マディ夫婦と子ども、それに、以前、投稿でもお話した親友カティと娘さん、従兄弟と一緒に8人で行くことになったのです。
カモテス諸島といっても行ったことのない方も多いと思うので、今回は、全般的な説明と、いくつかの写真を紹介したいと思います。
カモテスについて
※以下、特段の参照元がない場合はウィキペディア(英語版)を引用しています。
地理
カモテス諸島(Camotes Islands)は、フィリピンのビサヤ諸島の中央部で、北から東に位置するレイテ島と東のセブ島、南のボホール島に囲まれた海域である、小さなカモテス海に浮かぶ4つの島からなる諸島です。
合計面積は236.36k㎡です(ちなみに東京23区は627.6k㎡、大阪市の面積は223 k㎡です)。
名前の由来
カモテスという名は、スペイン人が何人かの先住民に場所の名前を尋ねたとき、先住民はカモテ(camote:サツマイモ)を収穫していて、その外国人が「何を集めているのか」を聞いたと思い「カモテ」と答えたことからこの名が付けられた、という言い伝えがあります。 1)
「南の失われた地平線」
カモテス島は、その手付かずの自然の美しさから「南の失われた地平線(Lost Horizon of the south)」ともよばれています。2)
「Lost Horizon」というのは、1933年に発表されたジェームズ・ヒルトンによる長編小説で、この小説の舞台として使われた地名「シャングリラ」は、現在では「ユートピア(理想郷)」の代名詞になっています。
欧米人から見た「未開の地」のような意味合いもあるかもしれませんが、かつて「500年近く前に初めてカモテスに来たスペイン人が今現れたとしたら、全く変わってないことに驚くだろう」ともいわれたカモテス諸島には今でも手つかずの自然が残されています。
そんなカモテス諸島も、近年訪問者と観光客が増加し、また、外国人居住者のコミュニティが拡大しています。陸上の自然のアトラクションの他に、島の周りには。ダイビングスポットもあります。
4つの島
西からパシハン島(Pacijan、別名サンフランシスコ島)、ポロ島 (Poro)、ポンソン島 (Ponson) に分かれ、さらに小さなトゥラン島 (Tulang) がパシハン島の北に接しています。パシハン島とポロ島は実際は舗装道路でつながっており、ポンソン島はポロ島から4km離れて東に浮かんでいます。
4つの自治体
4つの町があります。
- サンフランシスコ(San Francisco)町(パシハン島)
- ポロ( Poro)町とトゥデラ (Tudela)町 は、(ポロ島)
- ピラー(Pilar) 町(ポンソン島)
※パシハン島の北にあるトゥラン島はサンフランシスコの一部です。
地形
カモテス諸島の山の最高点は、ポロの海抜388メートルのアルタビスタ(Altavista)です。パシハン島には大きな湖、ダナオ湖があり、650ヘクタールでセブ州で最大の淡水湖です。
島は、すり鉢状という感じではなく、実際に走ると平地も広がっています。
(参考)
1)Camotes Islands – The Lost Horizon in the South (peanutbrowas.com 2016/04/13)←リンク切れ
2)[CAMOTES] THE LOST HORIZON OF THE SOUTH(juanderfulpinoy.com 2012/10/11)←この接続ではプライバシーが保護されません
人口
2015年の国勢調査によると、人口は102,996人です。 人口は1990年以来34.3%増加しており、これは年間1.19%の増加率に相当します。
言語
セブアノ語が第一言語であり、次に英語とフィリピン語です。学童は3つの言語すべてを教えられています。
ボルハノン
ポロハノン(Porohanon)(またはカモテスビサヤン(Camotes Visayan ))はポロ島の民族グループで話されており、ビサヤで最も危機に瀕している言語の1つです。この言語は、「フィリピン語協会(Commission on the Filipino Language)」1)によってセブアノ語(ビサヤ)とは異なるものとして分類されています。彼らは主にセブアノ語を2番目として、ポロハノン語を話します。2つの言語の類似点はほとんどありませんが、ポロハノン語はイロイロ州などで話されるヒリガイノン語(Hiligaynon language)に近いとされています。2)
参考
1)The Commission on the Filipino Language (フィリピン語協会公式HP)
2)The Different Ethnic Groups in Visayas(Vismin.ph )
気候
熱帯モンスーン気候で、降雨量は年間を通じてほぼ均等に分布しています。
生物相(Biota)
1981年の大統領宣言2152により、ポンソン島、ポロ島、パシハン島は「マングローブ湿地林保護区」として宣言されました。
カモテス諸島では、希少で絶滅の危機に瀕している樹種であるセブシナモン(Cinnamomum cebuense)が発見されています。
ヤシの木は島で広範囲にみられ、バナナ、マンゴー、パイナップルなど、多くの在来種の果物もあります。
参考 1) Cebu cinnamon(Global Trees Camping)←リンク切れ
歴史
原史時代
島の初期の歴史についてはほとんど知られていません。20世紀には多くの考古学的研究が見られましたが、大きな意味を持つものは現れませんでした。
アメリカ人の文化人類学者であるカールE.グース(Carl Eugen Guthe)(1893年6月1日- 1974年7月24日)は、1923年から1925年にミシガン大学の探検隊を率い、洞窟などの学術的発掘を行いました。
トゥランの洞窟遺跡では、約60人の骨片と歯が含まれていると報告されています。関連する副葬品には、陶器、貝殻のブレスレット、青銅と鉄の工芸品(鉄の唐、青銅のノミ、鉄の刃)、ガラスと石のビーズ、ハンマーストーンと乳棒が含まれていました。
1970年代初頭、住民は16世紀にまでさかのぼるさまざまな遺物を発掘しました。ポロの発掘調査では、槍、短剣、剣、十字架、鉄のペンダント、鏃が刺さった頭蓋骨が発見さています。
スペイン統治から現代へ
カモテス諸島については、フェルディナンド・マゼランの世界周航の生存者の一人であるアントニオ・ピガフェッタ(Antonio Pigafetta)の記録に言及されています。
カモテス諸島は、アメリカの時代にセブ州に移される前は、レイテ州の一部でした。
1942年、日本軍はカモテス諸島を占領しました。1944年(昭和19年)10月20日、レイテ島にマッカーサーが再上陸し「レイテ島の戦い」が始まります。その後、戦火はカモテスに及び、日本兵がポンソン島ピラール町ダプダプ村で約300人の住民を虐殺したという記録も残されています(戦後の戦争犯罪裁判による)。1)
参考
1)フィリピンBC級戦犯裁判の歴史考察―BC級戦犯となった日本軍兵士たち(目指せ、世界一周を日常に!世界40か国旅行者の現地滞在記)←リンク切れ
Remembering the Japanese occupation(Inquirer.net 2012/03/22)
The remains of war(CDN Cebudailynews 2017/12/06)
経済・観光
カモテス諸島の主な産業は、農業(トウモロコシ、米、豚、鶏肉、牛を含む)、漁業、観光業です。
国内外の観光客を対象とした観光リゾートがあり、多くの公共ビーチとプライベートビーチがあります。
また、ブホロックなどの観光スポットがあります。パシハン(サンフランシスコ)からポロへの道の両側に沿った広大なマングローブの沼地。ブキラット洞窟、ティムボ洞窟など、たくさんの洞窟があります。ポロとトゥデラに滝もあります。また、一部のリゾートではダイビングやシュノーケリングの機会があります。
島で最初のモールであるフィエスタモール(Fiesta Mall Shoping Center)は2015年にオープンしました。
島には、セブ工科大学(カモテス)(Cebu Technology University (Camotes))とマウントモライアカレッジ(Mount Moriah College)の2つの大学があります。
カモテスへ行く3つの方法
※料金及びスケジュールは変更されている場合があるので、必ず公式ホームページ等でご確認ください。
1 セブ港からオーシャンジェット(OceanJet)高速船で
–移動時間:1時間30分
–セブ港:ピア1(セブ市)
–カモテス港:ポロ(カモテス)
料金と時刻表などは公式ホームページ(←リンク切れ)を参照のこと。その他参考としてPortsandferries.com(セブーカモテス)
セブ→カモテス 出発時刻 6:00 9:30 13:30
カモテス→セブ 出発時刻 9:30 13:30 17:00
料金 オープンエア・ツーリストクラス 500ペソ
ビジネスクラス 550ペソ
2 ダナオ港からフェリー(Jomalia shipping)で(セブ中心地からダナオ港まではバス等)
–移動時間:2時間
–セブ島ダナオ港:(ダナオ市)
–カモテス コンスエロ(Consuelo Port)港:(カモテス パシハン島)
時刻表と金額 公式ホームページ その他参考としてPortsandferries.com(ダナオーカモテス)
3 マクタン島から高速船(Jomalia shipping)で ※(2021年7月11日現在運休中)
–移動時間:1時間15分
–マクタン島マクタン埠頭:チケット売り場はアイランドセントラルマクタンモール(Island Central Mactan)の後ろにあるセブヨットクラブの港エリア
–カモテス コンスエロ(Consuelo Port)港:(カモテス パシハン島)
–大人:595ペソ /人,シニア/障害者の場合:520ペソ /人(エコノミーとエアコン),学生の場合:540ペソ /人,未成年の子供:350ペソ /人
※エアコン付と無しの座席は同価格で先着による。
マクタン→カモテス 出発 毎日午前8時と午後12時
カモテス→マクタン 出発 毎日午前10時と午後4時
時刻表と料金 公式ホームページ
その他参考としてPortsandferries.com(マクタンーカモテス) https://www.ilink.ph/
時間を節約するなら1か3、金額ならバス代を入れても2が安く便数も多い。1と3は便数が少なく、自家用は不可。
カモテスの写真(今回の旅行から)
以下は、今回の旅行で撮った写真の一部です。
泳げる洞窟 ティムボケイブ(Timubo Cave)
泳げる滝 ブサイ滝(Busay falls)
遠浅な広々としたビーチ サンティアゴベイビーチ(Santiago Bay Beach)
神秘的な鍾乳洞 ブキラットケイブ(Bukilad Cave)
ホテル併設でプールもある マンゴロドロン・ロックリゾート(Mangodlong Rock Resort)
無料で泳げるサンセットビーチ バカウビーチ(Bakhaw Beach)
ほかに、「恋人の湖」とも呼ばれ、ジップラインやボートが楽しめる湖「レイクダナオパーク」、「サンフランシスコ・パブリックマーケット」、グーグルマップにも載っていないので名前が分からない「秘密の岩場ビーチ」などにも行ってきました。
この様子は、ユーチューブ動画と、ブログで追って詳しく紹介したいと思います。
島にはタクシーもなく、交通機関はジプニー(それも港やマーケットに待機しているのは見ましたが、セブ島のような決められたルートを走る定期運行らしきジプニーは見かけませんでした)、やトライシクル、バイクタクシーのみでした。
島の主要道路を走っても、スーパーがある程度で、セブ市街地と比べると生活の便はかなり劣ることは否めません。電気も時々停電となったり、ネット回線はとても弱いものでした(プランによるかもしれません)。しかし市街地での生活とはまた違った良さもあると感じました。
観光客の数は、コロナの影響前は分からないのですが、4日間で見かけた外国人らしい人は3人だけ、自転車やバイクに乗っていたりと、おそらく在住の人だと思います。平日のためか、セブ島からは検査も許可書も不要にもかかわらず、外国人でセブ島から観光に来ている様子は見られませんでした。
サンティアゴベイビーチは思ったより家族連れが多く、日除けのある休憩スペースはほぼ埋まっていました。ダナオレイクやケーブ(洞窟)、滝などはフィリピン人の若者グループなどがボチボチ見られましたが、多くの観光スポットは、ほぼ貸し切り独り占め状態。
しかし、どこも観光スポットとしては魅力的で「多くの人に訪れてもらいたい」と思う一方で、この素朴な雰囲気は失わないためには、今のような飛行場もない不便なロケーションで、わざわざ時間をかけて行くのがよいのかもしれないとも思いました。
これまでの私のブログを読んでいただいている方は、今まで、コロナの影響でビジネスが「厳しい厳しい」と言っていたにも関わらず、「随分と余裕があるじゃん」と思われるかもしれません。
しかし、今回は3泊4日でしたが、宿泊はすべて最初にお話したマディの家に泊めてもらったので費用がかからず、食事も食材を買うくらい。島内では自家用車の軽トラを使ったので、ガソリン代を負担するなどくらいで、あまりかかりませんでした。
結局、往復の交通費やお土産、プレゼント代、差し入れなど全部コミコミで二人で5千ペソちょっとで済みました。
今回は将来のビジネスのための調査旅行と考えれば、かなり安く抑えられたと思います。(その割には随分楽しみましたが…)
では、続きは次回以降にまたお話したいと存じます。
〔補足〕動画や今後の投稿でもふれますが、カモテス諸島内では観光スポットや公共の場所(港)以外ではマスクは着用されていませんでした。市場でも、店員はみなしていましたが、客は半分くらいかな、という感じです。
フェイスシールドに関しては一応乗船時などで着用したのみ。そもそも身内以外で社会的距離以内に人が接近することはほとんどない(まして会話は)ので、まあ、現実的だろうなあ、という状況でした。