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“ちょっとマイウェイ”な生き方(フィリピンライフ)【フィリピン・セブでつぶやき】

「ちょっとマイウェイ」というドラマをご存知でしょうか?

桃井かおりさん主演のコミカルタッチでにぎやかなドラマです。

レストランという職場を舞台にしていますが、「家族や友人たちとのホームドラマ」と言ってもいいかもしれません。

主題歌の「夜明けのマイウェイ」は「悲しみをいくつか乗り越えてきました。振り返る私の背中にまだ雨が光ってます」で始まります。

(全体の歌詞はこちら(歌ネット))

人生は、歳を重ねるに連れ、後ろを振り返ることも多くなるような気がします。

「あの選択は正しかったのだろうか?」「もう少し頑張れたのではないだろうか?」「ああすればよかったのに」「あんな事しなければよかった」などなど。

今日は、人生を時々「振り返る」時間が増えてきた私が、このドラマとフィリピンライフにおける人生の転機について、ちょっとおしゃべりしたいと思います。

作品

レストランを舞台としたテレビドラマだと「王様のレストラン(1995年)」も印象的ですが、「一番は?」と聞かれたらこの作品になります。

あと、食堂まで含めると「深夜食堂」も好きなドラマです。

もっとも、この作品は1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて放送されたもので、私が12歳の頃のことです。

再放送も見たかもしれませんが、正直なところ、細かいところまでは覚えていません。

ドラマの舞台は代官山です。

私は、退職して何をしようかとあれこれ思案していた時期に、中目黒にあるカフェの学校を見学したことがあるのですが、帰りに渋谷まで歩く途中で代官山を通り、「おしゃれな街だなあ」という印象が強く残っています。

もっとも、このドラマは「郊外のレストラン」という設定のようで、「おしゃれ」というよりは素朴な下町っぽい雰囲気を醸していたような気がします。(地理的には代官山は山の手ですが・・・)

実際に、80年、90年代の代官山は、昔から住む人が多い「閑静な住宅地」である一方、「外国人」や「ファッションメーカー」などがその一部に新たに移り住み、次第にセンスのいい街として認識されていったようです。1

主演の桃井かおりと親友役の研ナオコ、それに三姉妹の長女役の八千草薫、次女の結城美栄子、さらに緒形拳、秋野太作、岸本加世子、左時枝、赤塚真人、犬塚弘、神田正輝、峰竜太と、主要キャストが全員個性的で、それぞれの会話がユーモラスで楽しいのです。

いわゆる「◯◯枠」というような違和感のある出演者がドラマに水を差してしまうことがしばしばありますが、「ちょっとマイウェイ」では、脇役に至るまで、当て書きと思えるほどどの役者も登場人物のキャラクターにハマっていたように思います。

この番組は、日本テレビ系の「土曜グランド劇場」という枠で、「熱中時代・刑事編」の後番組であり、「池中玄太80キロ」の前になります。どちらも見ていました。

「池中玄太80キロ」は「Hulu」で視聴できるのですが、「ちょっとマイウェイ」は残念ながら見られません。

過去の名作はテレビ局にとって財産であると同時に、今でも需要はあると思うので、眠らせておくのはもったいない気がします。

DVDも発売されていますが、アマゾンだと3万円以上して、さすがにちょっと私には手が届かないので、「TVer(ティーバー)」や他のサブスクなどで公開してくれたら嬉しいのですが・・・。

いつか、全話通して見直したいなあと思います。

あらすじ

浅井なつみ(桃井かおり)は三姉妹の末っ子で、ラジコンショップで働きながら、自分の店を持ちたいと思っていました。

そんなある日、他界した父が開いた「ひまわり亭」という洋風料理レストランを引き継いで経営している長姉の朋子(八千草薫)からピンチなので助けてほしいという連絡が入ります。

聞けば、真向かいにオープンした大手チェーンのレストランに、コックを始めスタッフがあらかた引き抜かれてしまい、残っているのは、仕事に対してやる気が感じられず愛想も良くないウエイトレス一人のみとのこと。

おっとりした性格の朋子は、2度の出戻りで、先年、夫が急死した後、やむなく経営者となったので、こういう事態になるとどうしていいか分かりません。

次女の伸江(結城美栄子)は、代官山駅の改札で働いている夫の定夫と娘と共に朋子と同居しており、「ひまわり亭」を駐車場にしたい大手チェーンレストランに店を売却しようとしますが、朋子は頑として受け入れません。

売却を拒んだものの解決策もなく、困った朋子はなつみに頼みに行きますが、無下に断られ、結局、喧嘩になってしまいます。

ラジコンの英語本を読むための辞書を取りになつみが実家に帰ると、下の階の店に、短気のため喧嘩っ早く、勤めが長続きしないけれど料理の腕はよさそうな堀田(緒形拳)が面接に来ました。朋子が勝手に出したコックの求人広告を見たのです。

最初は店の売却に賛成していたなつみですが、部屋にいると、子供の頃に過ごした勉強部屋が取り壊されることに耐え難い思いが募り、とりあえずやるだけやってダメなら諦めようと思い直します。

朋子とチェーンレストランを視察に行ったなつみですが、接客やメニューの豊富さに圧倒されてしまいます。

とはいえ、きょうだいと言いながらちょっと訳ありの感じで、ナポリタンは作れる年の差カップル(秋野太作、岸本加世子)を住み込みで採用し、伸江の夫の弟で、女癖の悪い大石常夫(赤塚真人)に無給で手伝ってもらい、その弟の信用金庫に働く満(神田正輝)を訪れ、頼み込んだり、弱みにつけ込んだりして、なんとか資金を調達し、再びオープンにこぎつけます。

しかし、全く客が来ず、開店休業状態。

ところが、朋子が俳句の会から帰ると、店は大混雑しています。朋子の思いつきである「全品7割引」をなつみが実行し、配られたビラを見て大勢が押しかけていたのでした。

店内は大忙しで、様子を見に来た満も手伝わされ、なつみと一緒にラジコンショップを開くつもりでいたのに、はしごを外されたカツ子(研ナオコ)までウエイトレスとして駆り出されます。

一日が終わり、皆へとへとに疲れ果てたにもかかわらず、結局赤字でした。

こうして、「ひまわり亭」の物語が幕を開けます。

制作スタッフやキャストについて

脚本は、「金曜日の妻たちへ」や「男女7人夏物語」などを手掛けた鎌田敏夫が担当しています。(『金妻』のファーストシーズンは面白かった…)

オープニングのイラストは、漫画家の倉多江美が担当しています。(主題歌と合っていて、明るくほんわかとした素敵な背景が描かれています)

料理指導は、「料理の鉄人」で初代フレンチの鉄人を務めた石鍋裕が担当しています。(私は坂井シェフのイメージが強いですが…)

※年齢は当時の演者の実年齢

桃井かおり(浅井なつみ:浅井家三女)(28歳)
研ナオコ(川村カツ子:なつみの親友)(26歳)

緒形拳(堀田康吉:チーフ・コック)(42歳) 
八千草薫(浅井朋子:浅井家長女)(43歳)
結城美栄子(大石伸江:浅井家次女)(36歳)
犬塚弘(大石定夫:伸江の夫 / 代官山駅勤務)(50歳)
赤塚真人(大石常夫:定夫の弟(次男) / コック)(28歳)
神田正輝(大石満:定夫の弟(三男) / 信用金庫勤務)(29歳) 
秋野太作(米沢誠:コック)(36歳)
岸本加世子(牧野真弓:ウエイトレス)(19歳)
左時枝(野村和子:ウエイトレス)(32歳)
峰竜太(前橋一男:なつみの幼馴染 / 通称ケツニ)(27歳)
高橋長英(森本:レストラン・スター支店長)(37歳)

主題歌について

音楽は荒木一郎で、主題歌の「夜明けのマイウェイ」の作詞・作曲をしています。

主題歌を歌っているのはパルで、YouTubeでも聞くことができます。

パル、作詞作曲の荒木一郎バージョン、映画「アイミタガイ」でのカバーバージョン(黒木華)の3つとも、それぞれ味わいがあります。

「ちょっとマイウェイ」な生き方

ストレスフルな毎日

私は40歳の頃に大きな手術を経験しました。体調面の不安は精神面にも影響を与えていたかもしれません。

 本来なら人生の折り返し地点としての年齢を意識する時期ですが、同じような毎日が繰り返される日常や、仕事ではゾンビのようにやっつけてもやっつけても次から次と湧いてくる問題に取り組む日々に対する虚無感に包まれ、これらが、そのまま過ぎていく人生に漠然とした不安も抱きました。

結局、手術から約6年後、仕事を辞めることになります。次の仕事のあてもなく、何か目的があったわけでもありませんでした。

さて、主人公の夏美は好奇心旺盛で、いろいろなことに興味を持ち、仕事も変わるのですが、一方で、飽きっぽいようで長続きはしないようです。

そんな夏美に付き合うカツ子は振り回されっぱなしです。

私自身は、どちらかというと振り回される方のタイプなので、今なら夏美のバイタリティとチャーミングさに魅了されながらもカツ子に感情移入しそうです。

毎回毎回騒動が起きます。それはある意味ストレスフルですが、何とか乗り越えていく姿が描かれています。

今のドラマであれば、もっとシリアスでリアルな内容にしなければ、現実離れしているという批評を受けるかもしれません。

しかし、あの時代はドラマなんてものは、あまり深く考えず、楽しむものだという感じだったと思います。(あまちゃんでも、アイドル映画を評してそんな感じのセリフがあったような・・・)

「24時間働けますか」のCMのように、あの頃の日本はみんな若くて元気だったんだなあとあらためて感じますが、多分、ストレスはいつの時代にもあって、むしろ、もっと昔になると戦争や治安悪さのような命に関わるストレスは大きかったでしょう。

ストレス自体は避けられないもので、現代でも、たぶんストレス自体の問題より、ストレスが発散されず、蓄積される環境の方が問題なのかもしれません。

ちなみに、私自身で言えば、日本にいた頃と比べるとストレス自体がが少ないことは確かで、それはありがたいことです。

また、冬がなく、ちょっとのウィーキングだけで汗びっしょりになるフィリピンは、身体面でもいい環境かもしれません。

にぎやかさ

ドラマではきょうだい喧嘩や同僚との喧嘩が耐えません。でも、単に感情をぶつけ合っており、陰湿さや深刻さはありません。

私の場合、公務員という職場では怒鳴り合うような状況というのはまずありませんでした。パワハラ認定されるような上司も幸いなことにめぐり逢いませんでした(話には聞いたことがありますが)。

ただ、二度と一緒に働きたくないと思う同僚はいました。面と向かって喧嘩をすることはありませんが、陰湿な態度に精神的にダメージを受けるのです。

今、フィリピンで、私は家族と喧嘩することはないですが、やんちゃな甥っ子や姪っ子の喧嘩などを怒鳴る毎日は、「ちょっとマイウエイ」のようです。

フィリピンでは、大人同士の喧嘩も多いように思います。日本と比べると感情を表に出してぶつかり合うことは多いかもしれません。

私は、一人っ子で、子供の頃から家では静かな日々でした。日本で暮らしていたら、親も他界した今は一人暮らしで、多分、仕事以外はほとんど誰とも会話をしない生活だったと想像できます。

悪戦苦闘しながらも明日に向かって

「夜明けのマイウェイ」では「もう昨日は昨日 明日は明日 今までのことは忘れ・・・」という歌詞もあります。

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイによる福音書 6:34 口語訳)は、今までも、当ブログで何度か紹介してきた聖書の言葉です。

ときには過去を振り返ることも必要ですが、人は、放っておくと、自然と過去に囚われがちになってしまう傾向にあるように思います。

仏教でも、「昔、あるお坊さんが弟子と歩いていると大きな水たまりがあって、女性が立ち往生しており、お坊さんは背負って渡ってあげました。しかし、当時、仏教では女性は不浄で、僧侶は触れてはならないとされており、弟子はその事が気になって仕方がありませんが、なかなか聞けません。ずいぶんたっってからも、ますます気になり、意を決してそのことを尋ねると、お坊さんは一言『私はとっくに降ろしたが、おまえはまだ背負ったままなのか?』」みたいな話をうろ覚えですが、聞いたことがある気がします。

一方、今のネットでのヘイトや誹謗中傷などは、自分の人生で、前を向いて進めない人が、かといって、振り返る過去もないのか、やり場もなくて感情の矛先をネットの先の会ったこともない誰かに向けてストレスを発散させているような感じも受けます。

(もっとも、それは、そのときはスッキリするかもしれませんが、実際にはストレスは発散されていなくて、自分自身はもっと深い闇に、少しずつ落ち込んでいっているのだと思うのですが・・・)

どんなことであれ、一歩ずつでも、前に進めることは幸せなことです。

「夜明けのマイウェイの」歌詞は「悲しみをいくつか乗り越えてきました。振り返る私の向こうに青空が見えてるでしょう。だからもう私は大丈夫です。今までと違う夢が次第次第に心のなかにあふれ始めています。」と前向きに締めくくられます。

私は、いつか、セブでアパート兼民泊に小さな食堂(カレンデリア)を併設して、世界からの旅行者も交われる地域コミュニティの場所にしたいなあと思っています。

(店の名前は『ひまわり亭』か『めしや(深夜食堂)』、『ベル・エキップ(フランス語で“良き友”、“最高のチーム”)(王様のレストラン)』かなあ)

夢はどんなに年老いても、小さな夢であっても、いつまでも持ち続けたいなあと思うのでした。

ところで、タイトルですが、マイウェイといえば日本なら布施明の「マイウェイ」やその原曲のフランク・シナトラの英語版「My way」 さらに、その原曲であるフランスの「Comme d’habitude(いつも通り)」、あるいは1944年のアメリカ映画「Going My Way(我が道を往く)に由来しているかもしれません。

(ネットでは分からなかったので、日本に戻ったら国立国会図書館かどこかで、当時の雑誌などを見てみたいと思います。)

フランク・シナトラの「My way」は人生の幕が閉じようとしている晩年に、過去の自分を振り返えるという内容です。2

荘厳なメロディも相まって、「I faced it all, and I stood tall(その全てに立ち向かい、打ち勝ったんだ)」という歌詞からも、誇りを持って人生をやり遂げたという感慨が伝わってきます。

一方、ドラマの方は、「ちょっと」が付いているところから「肩肘張らず生きていこうね!!」みたいなメッセージが伝わってきます。

頑張りすぎないで、“ちょっとマイウェイ”で生きていきたいですね。

それも、フィリピンっぽい感じがします。

参照サイト
ちょっとマイウェイ」(ウィキペディア)

脚注

  1. 雑誌記事で辿る1980・90年代の代官山」(Daikanyama.Life) ↩︎
  2. マイ・ウェイ – フランク・シナトラ 和訳・解説」(僕のヴログ) ↩︎
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