プロフィール

こんにちは。私のブログを訪問していただき有難うございます。

フィリピンのセブで小さなタクシー会社を経営しているヨシ(Yoshi)です。

1967年、東京生まれです。

私の父は戦後しばらく長崎の家具職人の伯父の手伝いをしていて、30代になって東京にでてきました。

経済的に裕福な家庭ではなく、大学進学は諦めますが、高校の担任の助言もあり、夜間大学に進学するとともに公務員試験にも合格することができました。

その後、仕事の方は昇任することもでき、一応順調でしたが、40歳のときに脳腫瘍(良性)になり休職し、その後仕事に復帰するものの、公務員の世界は人員削減が進み業務は毎年厳しくなっていきます。体調面で不安を覚えるようになりました。

また30代の頃からよる眠れないといった症状により、メンタルクリニックで眠剤や軽い抗うつ剤を服用するなどしていましたが、職場の人間関係なども重なってうつ状態となり、2014年、46歳で早期退職しました。

何かの目的のために辞めたというわけではなく、人生に詰まってもうこれ以上続けられなかったというのが実のところです。

将来のことも深く考えた上での決断ではなく、これ以上続けたら、プツンと糸が切れてしまいそうで、そうなる前に『辞めなきゃ』という思いでした。

当面は預金を取り崩し、高齢の父と暮らし、しばらくの間は毎日ただテレビを見るような生活でしたが、若いころにバックパッカーになりたかったことを思い出し、アジア一周旅行を思い立ちました。

しかし英語力ゼロだったため、まず最低限の旅行英会話を身につけようと、フィリピンのセブで英語学校に通うことにします。

そのうちにフィリピン生活が自分に合っていたようで、日本とセブを行ったり来たりして現在に至ります。

フィリピンは日本とはまた異なった価値観のある国です。

あくせく働くストレスにも開放され、のんびりした生活で、ずいぶん気持ちも楽になりました。

「しかし、このまま無収入ではいつかはじり貧になってしまう、フィリピンでも何か収入を得る方法はないか」と思い、そして最初に中古のおんぼろタクシーを購入し、タクシービジネスをスタートさせました。

当初、全く利益を生み出さす、修理代でマイナス収支が続きました。

その後、最初のフィリピン人ビジネスパートナーがギブアップ、二人目が持ち逃げするなど、決して順調とはいえませんでしたが、今はやっとビジネスとして形ができつつある感じです。

また、セブに来てすぐに出会ったデスと、その後結婚します。20歳という年の差での結婚は自分でも最初は考えてもいませんでしたが、実際に結婚してみると、日本人同士なら感じるであろうジェネレーションギャップは、言葉の違いなど、それ以上のカルチャーギャップのためにあまり感じません。

そして、ビジネスも家族の協力も得て行う体制とし、もともと住んでいたスクウォッターの長屋を建て直し、最大13人の家族と同居するという大家族生活を送ります。

ひとりっ子の私にとってはこれまでの人生とは全く異なる生活です。

このブログでは、日本にいたときの生活や仕事で行き詰まったこと、一転してフィリピンでの何から何まで驚きの生活、体験などを友人に語りかけるようなスタイルで書いていきたいと思っています。

また、今は、インターネットにより、外国にいながらにリアルタイムで日本の情報も得ることができます。「海外から見た日本の社会について思うこと」などにも触れたいと思っています。

そして、将来的には、ビジネス及び社会活動で、地方公務員だった経験から、地域コミュニティに関する活動に取り組みたいと思っています。

例えば、教育や福祉は仕事でも関わったことから関心があり、子供たちなどを対象とした無料の日本語教室やIT教育、小さな図書館、スカラーシップ(奨学生)支援など。

また、土木事務所にいた経験からも、2021年の台風被害を教訓として、水や食糧、電気などを確保し、地域に開放できる施設などもできればと考えています。

そしてフィリピン、セブの魅力を多くの日本人の方に知っていただくために、交流に重点を置いたセブ滞在サポート・観光事業を立ち上げたいと準備しており、その過程などもアップしていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

2023年3月