体調の方は時たまめまいや頭痛があり、外に出歩くと少し息苦しさや疲れを感じたり、左肩から先に痛みがあり毎日湿布しています。とはいえこの程度で済んだことに感謝です。
ちょっと一息で、今日は、なぜフィリピンのセブに住むことにしたのかをお話しします。
日本人がフィリピンと聞いて何をイメージするでしょうか?正直なところネガティブなイメージのほうが大きいのではないでしょうか?「犯罪者の逃亡先」であったり、「買春ツアー」であったり。その内容はむしろ日本人に原因がある面も大きいような気がします。
「フィリピンで起きる日本人の殺人事件の多くは実は加害者は日本人が雇った」というケースも多いそうです。
ちなみに、私の会社のドライバーの伯父は元政治家で10年ほど前に政敵に雇われた殺し屋に殺されたそうです。ヒットマンは驚くほど安く雇えるそうです。
一方日本人に対するフィリピン人からのイメージはどうか?以前お話ししたようにフィリピンは第二次世界大戦で日本に占領された歴史がありますが現在はとても親日的です。
意外なのは「ヤクザ」という日本語が結構浸透しています。フィリピンに来て間もなくフィリピン人の友人に「知り合いにヤクザいる?」と聞かれました。
フィリピンに住むにあたってのマイナス面はいろいろあります。治安、医療、衛生、それに文化風習の違いなどでストレスを感じることがあります。
まず一つ目の「治安」ですが、日本でさえ詐欺や凶悪事件等が多く発生していますがそれでも世界的に見れば日本ほど治安のよい国はないでしょう。この点が気になるようであればヨーロッパ以外の海外での滞在は難しいかもしれません。
私はセブに住んで五年になりますが強盗などの感じるような経験はありません。しかし身の危険を夜10時以降は絶対に一人では外出しませんし、財布にはID・カード類は入れずそのまま強盗に渡せるくらいの現金を入れています。バッグはいつ何時も体から話すことはありません。2年目で気が緩んだ頃に結構高額の現金、パスポートカード類を盗まれて以来常に気を付けています。
「医療と衛生」ですが、特に医療は私が今後行いたいと思っているセブ島ステイサポート事業(別の機会に詳しくお話しします)においての課題です。今回日本で救急搬送され身に染みて日本での医療環境のすばらしさを感じました。医療技術はもちろんですが私の場合5日間のICUを含む約20日間の入院で医療費総額(自費分含む)は約100万円でしたが高額療養費が支給されるため実質負担は6万円弱で済みました。
一方フィリピンの医療事情は日本のように医療保険制度の縛りがなくすべて自費診療で個々の病院がかってに治療費を決められます。このため一般庶民は公立病院に行くことになりますが朝から大勢の患者が待っており待っている間に病状が悪化します。
友人の伯父がバイク事故で公立病院に運ばれたときはICUでの呼吸器を家族が交代で寝ずの番で行ったそうです。セブでは「ヴィチェンテ・ソット・メモリアル・メディカル・センター(ビンセントソート:VICENTE SOTTO MEMORIAL MEDICAL CENTER)」というセブ島で一番大きな公立病院があって全島から患者ややってきます。
そこのICUに入ったことがあるのですが、血だらけの服の人が椅子に座っていたりと野戦病院のような感じでした。設備も十分とは思えません。プライベート病院はピンキリです。
セブに住む外国人は通常チョンワ病院やセブドクターズ病院といったセブ内における最上級の病院にかかります。ここならMRIなどの医療設備も整っておりある程度の治療は受けることができますが医療費は高いです。大体。日本での自費診療相当額とみてよいのではないでしょうか。
「文化風習」はフィリピンのいい面と表裏一体です。日本人からするとビジネスに関していえば、経営者として、プランニング、スケジューリングが下手、時間や約束にルーズで責任感にかける、作業が雑といったことがどうしても目につきます。日本でも北海道から沖縄まで県民性が比較されることがありますが、南国は雪国と違って寒さで凍え死ぬことはないし、冬に備えて食料を蓄える必要もない。あくせくせずのんびりと暮らせるということはえるかもしれません。
日本でのことはまたの機会にお話ししますがここでは簡単に日本を離れた理由をお話しします。
日本では20年以上公務員として働いていましたがストレスで休職を考えました。結果的には早期退職制度を利用して辞めた訳ですが人生において大きな転機でした。
しかし高齢の父が悩みです。もっとも年金暮らしで金銭的には問題なく生活でき、本人は至って健康であったため、当面は自分のリカバリーを優先させ、いずれは父との生活で介護が必要になるかもしれないなというような漠然とした考えをもっていたのです。
そんななか、若いころにバックパッカーとしていろいろな国(特に発展途上の国)をめぐりたいという思いを思い出しました。時間はたっぷりあります。若くはないのであまりハードなバックパックはできませんがまずはアジア諸国をめぐりたいと思ったのです。しかし何分英語力がありません。試しに受けたTIECでは最低ラインに近い点数で愕然としました。そこでまずフィリピンで英語を数か月勉強してから旅に出ようという計画を立てました。
場所はフィリピンの中でも比較的治安のよいセブを選んだのですが、結果的にこの場所が気に入ってここに住みたいと思うようになったのです。
しばらくは日本を拠点としながらもセブに行ったり来たりの生活をで、父が元気な間は貯金を取り崩しながらもやっていけるのではと思っていました。
セブでの生活費は月3万円程度ですので。しかしやがて結婚相手が見つかり小さなタクシービジネスも始めても父のことは何とかなるだろうと思っていました。
便利な世の中でスカイプ電話を使えば月800円そこらで毎日話ができますし、セブだと、いざとなったら当日か翌日には日本に戻れるので、日本のへき地に住んでいるのとそれほど変わらない立地場所であるということもあります。
そんな状況で父も元気に暮らしていたのですが、ここにきて急に認知症の問題がでてきたというのが今の状況です。
話を戻しますが、なせセブに住みたいと思ったかですが、新鮮に感じたことがいろいろとありました。自分は昭和40年代生まれですが昭和30年代の日本に雰囲気が少し似ているのではないかと思います。とにかく子供たちが多く元気ですし街に活気があります。昼間から何をしているかわからない大人たちが大勢います、し食べていくだけなら親戚に頼ってなんとかやっていけます。日本ではすっかりなくなった大家族制がまだ残っています。
私自身はこのセブの地と人々は折れた心を再生してくれたと思っています。この思いから今の事業が落ち着いたら日本の生活をリセットし次のステップを考えている方や、リタイヤした方、違う価値観を経験したい方などにセブ島ステイサポート事業を行いたいと思うようになりました。詳しくはまたいつかお話しします。ではまた。
ど