海外在住と親の介護問題[親が認知症になったら](セブ暮らし11)

はじめに

長年勤めた公務員を退職し、私が初めてセブの地を踏んだのは、2014年のことです。

日本で暮らすことに行き詰まりを感じていたこともあり、英語学校での約半年間のうちに「この場所で暮らしたい」と思うようになります。

私自身は、独身ということで、当面の間、海外で暮らすことに問題はありません。

しかし、唯一、気になるのは、高齢の父のことでした。

母はすでに他界しています。また、私は一人っ子で、あとを任せられる兄弟はいません。「この先、父を日本で一人暮らしにさせるとなるといろいろと考え、悩みます。」

日本人の海外移住者数は21年連続して増加し、2023年10月で、57万人以上になるそうです(※)。この数は「在留資届」ベースで、移住者の年齢構成は公表されていませんが、高齢の親を持つ移住者も多いのではないかと思われます。

「海外移住したときは両親とも元気だったけれど、10年、20年と経ち、介護が必要になった」というようなケースもあるかもしれません。

また、「海外移住は無理」と最初から諦めている方もいるかも知れません。

参考になるかどうかは分かりませんが、私のケースを紹介させていたければと存じます。

※サムネイルの写真は、父が大好きだった「天丼てんや」の天丼弁当です。元気な頃は、よく自転車で二駅先の店まで買いに出かけて、私の分も買ってきてくれました。

※「21年連続増加「海外永住者57万」の日本に未来ナシ? それでもあえて「国外脱出」をススメる理由」(弁護士JPニュース)

父のこと

私が生まれる以前
昭和一桁生まれの父は、戦時中に「海軍飛行予科練習生」となり、戦闘機に乗ったり、潜水艇(人間魚雷?)などの訓練を受けていたと生前に話していました。

「海原会」(※)や、地方で行われている元予科練生の集いに出席し、友人等と親交を深めることが老後の楽しみでした。

もう30年ほど前に亡くなった父の兄は、フィリピンや満州の戦地に赴いたのですが、父は出征せずに終戦を迎えます。

父が住んでいた佐世保(長崎県)は、海外から多くの引揚者が上陸し、父は、引揚援護局の手伝いで働いていたこともあったそうです。

その後、戦後しばらくは、引き上げ(多分満州から)で帰ってきた家具職人の伯父の手伝いで、実家の家具屋で働いていたのですが、やがて上京し、知人の紹介で母と結婚しました。

子供は私一人でした。母は体がそれほど丈夫でなく、私を生んだ時点で30代なかばという年齢的なものもあり、二人目は諦めたようです。

※「戦没予科練生の慰霊と彼らが遺した遺書や遺品を保管管理し、将来に伝える」ことを設立目的とした団体で、元予科練生などが会員となっている。「公式HP 公益財団法人 海原会

私と父の性格の違い
物静かな母に育てられ、一人っ子だった私は、「人見知り」が激しく、内向的な性格に育ちました。

私は、セブで暮らし始め、結婚して最大で13人同居という大家族生活を送っています。

「大家族生活」は、人によっては「無理」という人もいるでしょうが、私の場合は。幸い、家族にも恵まれ、挫折することなく、楽しく暮らせています。

姪・甥っ子のアティーナ(9歳)、マティーオ(8歳)、アキーラ(6歳)は、年中ケンカをしては仲直りの繰り返し、しょっちゅう家族から叱られていて、どちらにしても1日中騒がしい。

私が今の暮らしを選んだのは、全く異なる生活への「あこがれ」があったからかもしれません、

一方、父は「6人きょうだい」で、私とは真逆の性格でした。

話好きで、初対面だろうがなんだろうが、誰とでも臆せず話ができるのです。

「デイケアセンター」やその後の「サ高住(サービス付き高齢者住宅)」でも、とても賑やかだったようです。

少年期から高校まで

父が東京に出てきたのは30代の頃で、いくつか転職したのち工場の守衛となりました。

バブル前の昭和の「一億総中流」の世の中でしたが、給料も安く、けっして裕福な家庭ではありませんでした。

父は夜勤もあって、私が学校から帰ると寝ていることも多く、定年退職するまでは、生活サイクルも合わず、コミュニケーションはあまりなかったといえます。

退職とセブへの英語留学

母が亡くなってしばらくして、40歳の頃に脳腫瘍の手術をしました。

その後、仕事に復帰するも、精神面や体調面、職場の問題などがあり、2014年、46歳で早期退職します。

その時父はもう80歳近くになっていましたが、いたって健康で「自分は100歳まで生きるだろう」とよく言っていたものでした。

確かに、それまで大きな病気はしたこともなく、食事も、やたら塩分をとるにもかかわらず、血圧はそれほど高くはなく、「昭和一桁は違うなあ」と感じたものでした。

肉は嫌いで、をよく食べていたことが、健康の秘訣のひとつだったのかもしれません。

私の叔父はやはり公務員だったのですが、東京に出てきて試験に受かったときは、父は大変喜んだそうです。叔父の話では、父は長崎で公務員になれるはずだったのですが、何らかの事情で断念したようです。

ですから、私が公務員になったときも、ずいぶん喜んだようです。

しかし、私が辞める際には、特に何も言うことはなく、セブに語学留学する際も、ビジネスを始める際も、反対したり何か意見するということはありませんでした。

普段は、いろいろなことに怒ったり、文句が多い父ですが、私に関しては、あれこれ指図することはせず、自由にさせてくれたのです。

とりあえず、半年の英語留学では、安否確認の電話を毎日することにして、セブに旅立ったのです。

その頃はとても元気で、セブに出発する際は、私のスーツケースをひとつ持って成田空港まで見送りに来てくれました。

ターミナルのレストラン街にあるうどん屋がお気に入りで、その後も、一時帰国からセブに戻る際は、いつもそこで食べてからお別れをしました。

セブへの移住と当面の日本との二重生活を決意

日本は生きづらい?

よく、日本は「生きづらい」という声を聞きます。

「同調圧力が強い」「空気を読むことが強く求められる」「頑張る人が損をする、頑張っても報われない」「少子高齢化で活気がない(特に地方)」「経済的に将来が暗い、年金が不安」「閉塞感」などいろいろあげられます。

最近だと給料はあがらず。物価高騰が激しいと、経済的な負担を感じている人が増えているかもしれません。

しかし、実際にフィリピンで暮らすと、「日本がいかに恵まれているか」ということを痛感します。

両方を経験できてよかったと思っています。

もっとも、日本を旅立ったときは、そんな思いはなく、「日本から逃げ出す」と言った方が合っていたかもしれません。

セブでの生活が「心のリハビリ」になったのでした。

移住への思いと父の心配

退職した時点では、日本での生きづらさや暮らしにくさを感じていて、それが、「セブで暮らしたい」という思いにつながっていきました。

一方、「高齢の父のことが心配」という思いもありました。

2つの「思い」の間で葛藤はありましたが、「私自身が精神的に不安定な状況で同居していても、お互いにとってよくないのでは?」という気もしました。

当時、父は元気であったこともあり、今のうちに、本格的でなくとも、「移住の準備はしておきたい」と思ったのです。

私が考えたのは「当面は、退職金もあり、資金的には余裕があるので、見守りサービスなどを利用しつつ、日本とセブをできるだけ行ったり来たりして、将来的には、セブでのビジネスを安定させ、柔軟に状況に対応できるようにする」というものでした。

セブでのビジネスが、誰かに任せられるような状況になり、日本で父に付き添う期間が長く取れるようになれば理想です。

あれこれ悩んでいても、未来が分かるわけではありません。セブでの生活やビジネスも失敗して日本に撤退してくるかもしれません。

「臨機応変に軌道修正できる柔軟さ」を持って、とにかくやってみようと決断するのでした。

日本とセブは近い

当時、日本で住んでいた場所は首都圏で「都内からも通勤可能」、という立地でした。

セブから成田までは直行便も毎日運行しており、所要時間は約4時間50分(時差が1時間あるので到着時間はズレます)です。

直前の購入だとチケット代は高くなりますが、何かあったら翌日には駆けつけることができます。

父が長崎から上京したときは夜行列車だったそうです。(記憶にないのですが、私も幼い頃にブルートレインに乗ったことがあるそうです。)

移動手段や通信環境などを考えると、距離的には遠くとも感覚的にはむしろ近い位かもしれません。

最初の頃は、フィリピンのネット環境がとても悪く、国際電話を使っていましたが、後に利用する『スカイプ電話』だと、かなり費用も抑えられます。

毎日、長時間の会話をすることもでき、普段は日本での遠距離生活とそう変わらないといえます。

また、最近は「見守りサービス」も自治体や民間がいろいろなものを提供していて、「家の中で倒れていたら知らせが来る」など、便利になってきているようです。

見守りサービス

英語学校で半年間不在になるにあたって、安否確認の意味も含め、市の配食サービスを頼んだのですが、勝手に解約してしまいました。

理由を聞くと「肉が入っていて食べないからもったいない」(特に鶏肉などが大嫌いでした)との事。

また、介護保険制度の介護予防サービスを受けてもらいたかったのですが、それも「嫌だ」と断られてしまいました。

その代わりに、毎日電話は行いました、この頃は国際電話だったので、料金も高く、「元気?」「大丈夫だ。おまえも元気か?」「うん」というような、短い会話のみでした。

実際に、セブとの行き来をしてみると、毎日顔を突き合わせるより、たまに会うほうがお互いにとってもいい関係のように思えました。

認知症発症のサイン

2017年、2人目のビジネスパートナーの失踪によるビジネスの立て直しでバタバタし、プライベートでは結婚ビザの取得手続きで、出国するためにはイミグレーションの許可がいるなど、一時帰国がしにくい状況で、しばらく期間が空いてしまいました。

そんな頃、父が認知症を発症したのでした。

電話の異変

その頃はポケットWi-Fiを使っていたのですが、ネット環境は不安定でした。

当時、フィリピンのネットは世界最低レベルで、英語学校のWi-Fiも、ほとんど使い物にならない状況でした。

そのため、父への電話は国際電話を使っていたので通信状況は比較的よかったのですが、ある日から、数日間電話が通じなかったり、出てもすぐ切れたり、また、何を言っているかよく分からない状態がしばらく続いたのです。

やがて、以前のような状態に戻ったのですが、後になって思い起こすと、このときに父に何かがあったようでした。

電気が止まった

しばらくすると、父が「電気が止められた」というのです。

父の年金額は、月額14万円くらいで、公団に住んでいたのですが、家賃は4、5万円位で普通に暮らしていくには十分なはずです。

状況がいまひとつ飲み込めない中、とにかく確認する必要があると思い、一時帰国することにしました。

出国できない!!(海外在住の落とし穴)

普通だったら、その気になれば翌日にも帰国できるのですが、海外ということでの、思いもよらないトラブルもあります。

この頃、私は、個人エージェントを通じて、結婚ビザ(13A)を得るための1年目の仮ビザの手続きをしており(※)、イミグレーション(フィリピン入国管理局)にパスポートを預けていました。

ビザがおり次第、一時帰国するつもりで、ようやくパスポートが戻ってきて、エージェントにも「普通に一時帰国して大丈夫か?」と確認したうえで、チケットをとりました。

しかし・・・

マクタン・セブ空港の出国審査で「ACR-Iカードがないと出国できない」ということで、飛行機に乗ることができませんでした。

航空会社はLCC(格安航空会社)のセブパシフィックで、キャンセル・変更不可ということで、チケットも取り直しです。

結局、その後1週間ほどでカードが届き、今度は、再び無事出国できたのです。

こうして一時帰国して、とりあえず、電気代を支払い、復旧してもらいました。

※結婚ビザ(13A)は1年目は仮ビザで、問題がなければパーマネントビザを取得できます。

※結婚ビザの申請から許可されるまでの期間は原則として出国できず、出国した場合は、また最初から手続きする事になりますが、適正な理由があるとイミグレーションが認めた場合、許可を受けて出国することが可能です。(読者の方からの情報です)

叔母の預金通帳紛失騒ぎ

久しぶりの日本でひと息していると、父の様子が少しおかしいことに気がつきます。

毎日のように、携帯に向かって怒鳴ったりして、何やら相手とやり合っているのです。

電話の相手は、長崎県の佐世保で伯母が入所している認知症のグループホームの職員さんでした。

伯母はもう100歳近くで、施設への支払いなど、父が金銭管理をしていました。

父の話では「もう金銭管理はやらないと、通帳も印鑑もグループホームへ送った」とのことですが、相手は「受け取っていない」と押し問答になっているよう。

気になってグループホームに電話してみると、「数ヶ月分の費用が未納になっていて困っている」とのこと。

電話も、一方的に、父の方から昼夜を問わずしているようです。

叔父も佐世保に住んでいるのですが、伯母の入所手続きは父が行っており、金銭的な面も全くわからない状況でした。

ともかく、一路長崎に向かい、叔父と一緒に紛失した「ゆうちょ銀行」の通帳を再発行することにします。

まず、本人を連れて、叔父と施設長さんと一緒にグループホームの近くの郵便局に行ったのですが、責任者らしき人は「本人の意思確認ができないと通帳の再発行はできない」の一点ばり。

伯母は、ほとんど1日中寝ていて全く反応はありません。

結局、施設からはちょっと遠いのですが、叔父がいつも使っている郵便局に行くと、担当者の人は、叔父の顔も知っていて、無事再発行してもらえました。

(このとき、印鑑がどれか分からず、いくつかあった印鑑を全部持っていたのですが、そのうちの一つが正しい印鑑でした。もし印鑑も紛失していたら、もっと面倒なことになっていたでしょう)

預金もちゃんと残っていました。(よかった・・・)

課題
金融機関としては、本人に意思確認ができないような場合は、「成年後見制度」を利用するのが原則のようです。

しかし、多額の財産の管理などならまだしも、通帳の再発行で、わざわざ成年後見制度を利用するなんてことは、費用も手間もかかり、現実的ではありません。

通帳の再発行などは、本人に不利益にはならないですし、金銭管理にしても、例えば生活費ぐらいの金額は、簡単な手続きで家族が後見人になれるようにしてもらえたらなあと思うのでした。

滞在して気がついたこと

久しぶりの一時帰国で、父の様子から、明らかに認知症を発症していると感じました。

掃除や片付けをしなくなる
父は、とにかくこまめに掃除をする人でした。

髪の毛一本残さぬように念入りに掃除をし、また、物が置きっぱなしになっているのも我慢できないようで、家の中はきちんと整理整頓されていました。

しかし、久しぶりに家に戻ると、こたつの下には食べかすがそのまま散らかっているなど、掃除が行き届いていない様子が伺えました。

大事な書類など、いろいろなものを捨ててしまう
きれい好きな一方、父は物を捨てない性分で、狭い家なのに、私が生まれた頃のおもちゃなども、たくさんとってありました。

ところが、いろいろなものが無くなっており、私が机の引き出しに入れておいたはずの書類なども一部捨てられていました。

私あての郵便物も全然ありません。本人は「捨てていないよ」というのですがどう考えても捨てられていました。

大量に惣菜を購入して廃棄
買い物には、毎日出かけていました。

惣菜のパックを大量に買って冷蔵庫に入れるのですが、次の日にはゴミ箱に捨てているのです。

味覚が変わった
味覚に関しては、以前から塩分取りすぎというところはあったのですが、さらにエスカレートしていて、大量の砂糖と醤油をパンにのっけて食べているなど、食生活でも気になる点が目につきました。

深夜に起きてカップラーメン
認知症では、よく「朝昼晩の食事をとったことを忘れる」と聞きます。

それほど極端ではないですが、夕食はちゃんと食べたのに、夜中に起きてカップラーメンを食べたり、せっかく作ったのにほとんど食べ残したりといった行動がみられました。

金銭管理ができない
電気代を払えず「電気を止められた」という話をしましたが、金銭管理が難しい状況でした。

年金は2ヶ月毎に通帳に振り込まれますが、毎日買い物に行き、次の年金支給日まで持たないペースで使ってしまいます。

その他
ほかにも、「物忘れが激しくなったなあ」とは感じましたし、「お札をハサミで切る」という奇妙な行動や、「夜中に起き出して、叔父に電話する」という迷惑な行動がありました。

介護保険の手続きを行う

介護保険制度を知る

知らないことで損をしないように
公的医療保険は、誰しも歯医者や病院に行って利用したことがあると思いますが、介護保険は利用したことがないという方も多いと思います。

介護では、家族における「介護離職」「老老介護」「親子共倒れ」などといった深刻な社会問題が生じています。

せっかく、利用できる制度があるのに、知らなかったために困難な事態に陥るということもあります。

制度もとても複雑ですので、いざ必要という事態になって慌てる前に、基本的な知識を知っておくことが大事です。

ケアマネジャー
ケアマネジャー(ケアマネ)は、介護サービスを受けるための「介護(介護予防)サービス計画書(ケアプラン)」を作成します。

(なお、日本語ではマネージャーという言い方が一般的ですが、厚生労働省の文書などではケアマネジャーという表記になっています。)

ケアマネジャーについては、「【はじめての方へ】ケアマネジャーの選び方、上手な付き合い方」(LIFULL介護)や「信頼できるケアマネジャーの選び方|9つのポイントと上手な付き合い方」(いい介護)など、いろいろな情報をネットで探せます。

いいケアマネジャーにめぐり逢えたらラッキーですが、私の知り合いは、別のケアマネに変えたそうです。合わない場合は、別の人を探すということも必要かもしれません。

地域包括支援センターへ相談

相談する場所はいろいろ
介護保険を受けるきっかけは色々あると思います。入院した場合は、病院医療ソーシャルワーカーに相談できるかもしれません。

さきほどお話した伯母の場合は、収入も国民年金のみで少なかったことから、父が市役所の福祉課(ケースワーカー)に相談し、生活保護を受けてグループホームに入所する事ができました。

近くに認知症カフェデイケアサービスセンターがあれば直接訪れてみて話をしてみることもできるでしょうし、市町村などでは「認知症に関するセミナー」や「イベント」を行っていますから、そこで情報を得ることもできます。

とにかく、ひとりで悩まず、まずは誰かに相談することが大事です。

地域包括支援センターへ相談
厚生労働省のホームページでは認知症に関する相談先として、まず「地域包括支援センター」があげられています。

運営主体は市町村ですが、社会福祉協議会などに委託しているケースもあります。

私の場合は、まず地域包括支援センターに相談したところ、翌日には相談員さんが訪問してくれました。

「父の様子」のほか、私がビザの関係で「一旦セブに帰らなければならない」といった状況や、「介護保険制度について全く分からない」こと、「私は(当時)ほぼ無収入で、父の年金の範囲内で生活してほしいこと」「父の性格からはデイサービスや生活支援は嫌がるかもしれない」ことなど、正直に相談しました。

相談員さんは、福祉のプロという感じで、「頼りになる安心して話を進められる」と感じました。

このあと父に関して関わった「すべての関係者の方々」は皆いい人ばかりでした。このことは、本当に恵まれたと思っています。

そして、2回目の訪問では、ケアマネジャーと一緒に来てくれて、父と会い、具体的な「ケアプラン」の作成に入ることになりました。

『意思決定とキーパーソン』とは

伯母の通帳紛失騒ぎでは、認知症の伯母の意思が確認できないことから「成年後見人が選定されていなければ、事務を進められない」という問題が生じました。

厚生労働省ホームページに認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン が掲載されています。

介護保険制度で介護サービスを受ける場合は、利用者本人と介護サービス事業者との契約になります。(契約書では連帯保証人もサインすると思います。)

利用者が認知症である場合など、本人だけでは意思決定が難しく、家族などの協力が必要な場合もあります。

私の場合、家族は私のみですので、私が家族代表として調整しました。

認知症の症状はありますが、父はまだ意思決定ができる状態ですから、ケアプランの作成にあたっては、本人の意志を尊重して、理解してもらうように務めることが必要です。

介護サービスを受ける

介護サービスを決める
介護保険で受けることのできるサービスは、いろいろなメニューがあり、介護認定に応じた限度額の範囲で自己負担額を負担します。

オーバーした場合は持ち出しになってしまいます。

父の場合はまだ食事介護や入浴介護などの身体介護は必要ないため、「デイサービス」と「訪問介護サービスの家事の生活援助」と、「訪問看護」を要介護度2の範囲で受けることになりました。

「訪問看護」は、かかりつけ医のクリニックが訪問看護も行っていたので、週に1日でも看護師さんに来ててもらえれば(最終的には週2日になりました)安心なので、お願いしました。

また、介護認定にあたっては「主治医意見書」が必要になるのですが、その先生にお願いしたのでした。

数日後には、「デイサービス」、「居宅サービス」、「訪問看護」それぞれの事業者の担当者が自宅に集まり、「サービス担当者会議」が開かれました。

この会議まで、地域包括支援センターの相談員さんが参加してくれました。

かなりのスピード感ですが、私が一旦セブに帰らなくてはならないということで、急いでくれたように思います。

申請と同時にサービスを開始できる
なお、介護保険制度は、申請した日に遡って介護サービスの保険給付を受けられます。

つまり、申請と同時に介護サービスを始められるのです。(しかし、もし申請した介護認定が認められなかったら、その差額分は支払わなくてはなりません。)

ということで、私が一旦、セブに戻っている間に、介護サービスをスタートするとともに、介護認定作業を進めます。

そして、とりあえず父の様子を見て、次回の一時帰国で、また話し合うことにしました。

再度の一時帰国

電気代などを自動支払いにしてセブに戻る

金銭管理が心配だったので、最低限の対策として、もともと私が払っていた電話代に加え、父が振込払いをしていた電気、水道、ガスなどを私の通帳から引き落とされるようにしました。

そして、私のセブでの所要も無事終わり、約1か月で再び一時帰国することができました。

父の金銭管理も、電話でことあるごとに確認したこともあり、なんとか大丈夫でした。

再び日本へ

私が再びセブから戻ったらすでに「要介護2」が認定されていました。

私の不在中、「デイサービス」、「訪問介護(ホームヘルプ)」、「訪問看護」を実際に受けてみてどうだったか、気になるところです。

「どうだった?」と聞くと、意外に喜んでいる様子でした。

以前だったら「生活支援」の掃除も嫌がったであろう父ですが、話し相手が来てくれるのが嬉しいようでした。

「デイサービス」は一番嫌がると思っていたのですが、積極的に行きたいとは言わないものの、嫌だとも言わなかったので安心しました。

利用する前に見学に行ったのですが、そこは地域密着型通所介護施設ということで、アットホームな感じが良かったのかもしれません。

また、「訪問看護」は、やはり看護師さんが定期的に診てくれて安心です。

私の入院と施設入所への意向

私の緊急入院

以前投稿した「3日間意識不明を経て退院しました」でお話ししたとおり、日本に着いてほっとする間もなく、私が入院することとなります。

家で休んでいたら突然左手に“しびれ”を感じたのですが、一瞬ですが「これはやばい」と感じ、近くにいた父に「救急車呼んで」と声をかけたところまでは覚えています。

気がついたときは、病院のICUのベッドの上でした。

どうやら倒れたときに唇のあたりを何かにぶつけたようで傷になっていました。倒れた際は全く受け身も取れていなかったようです。

屋外で、コンクリートに後頭部から倒れていたら危険だったでしょう。

また、運転中や入浴中でなかったのも幸いです。私の叔母は、風呂場で、脳卒中で倒れ、そのまま亡くなっています。

一人暮らしだと、このように倒れた場合のリスクは高くなると思うのですが、実際に、家族と同居している場合と救命率にどのくらい差があるのか、気になるところです。

また、倒れたのがセブだったら、日本のような医療は受けられなかったでしょう。

そして、その時、父はちゃんと救急車を呼んでくれたうえに、救急隊員に私の主治医の病院も正しく伝えてくれたことで、脳腫瘍の手術をして、以降、定期的に検査に行っている病院に搬送されたのです。

原因は脳腫瘍の再発で、もし違う病院だと今までの治療履歴が分からなかったでしょう。過去のカルテもあり、主治医がいる病院に搬送されたことで、ベストな治療を受けることができたと思います。

これ以来、「家族の連絡先」や、「主治医の病院」、「病歴」などを書いた「エマージェンシーカード」を財布と一緒に持ち歩くようにしています。

(最近は、災害時のためなどに、自治体が、緊急連絡先カードのテンプレートを作ってネットで公開している例もあるので、気になる方は利用してみてはいかがでしょうか?)

ともかく、父が認知症をまったく感じさせない、しっかりした対応をしてくれたことは、驚きとともに、感謝しかありません。

火の消し忘れを機に施設入所を検討する

父はなぜか、料理をするときに、ガスコンロもあるのですが、それを使わずカセットコンロを使っていました。

理由を聞くと「カセットのほうが安い」と言うのですが、そんなことはないだろうと思いつつ、見守っていました。

私が一般病棟に移って少したったころ、カセットコンロを消し忘れたまま外出し、団地に設置されている火災警報が鳴ってしまい、消防車が駆けつけるという騒ぎがありました。

この一件で、「もう一人暮らしは無理かも」という思いが強くなりました。

もし、火事を起こして近所まで延焼したら、それこそ大変なことになります。

施設入所を希望する理由

父の一人暮らしが難しいと思った主な理由です。

 体力が落ちたこと
前回の一時帰国では、自転車に乗ったり、空港まで見送りに来るほど元気だったのに、駅から近い病院まで歩くのがしんどい状況で、タクシーを使うようでした。

2 金銭管理が難しい
父には財産といえるものはありませんが、少ない年金でも、悪い人間に盗まれたり、不要なものを買わされたりするかもしれません。

金銭管理については、社会福祉協議会の制度なども調べたのですが、やはり完全に預けるためには成年後見人制度が必要になるかと思います。
 しかし、第三者に管理してもらうには費用もかかります(月額2~6万円 ※)。基本的に、父の年金内で生活費を抑える必要があり、今後の介護費用の増加を考えると難しいと思われました。

※「成年後見人の報酬相場と請求方法を徹底解説!知っておきたいポイント」(グリーン司法書士OnLine)

3 火の不始末が心配
父には「IHクッキングヒーター」を勧めていたのですが、それは嫌がりました。カセットコンロを取り上げても、また買って使い始めかねません。

4 今後の掃除や食事、自宅管理が不安
今はなんとか大丈夫でも、料理や掃除などが出来なくなると、衛生面や自身の健康管理に問題が生じます。
 団地なので、「住まいの管理」に関しては、持ち家ほど心配はありませんが、介護保険サービスで対応できない問題が生じる可能性も考えられます。

5 災害や急病になったときの対応が困難
平常時はまだいいのですが、地震や火事などの非常時や、急病になったときの対応を考えると、今後は対応が難しくなると予想されます。

6 他者に迷惑をかける
さらに認知症が進み、徘徊するようになると、警察に捜索を依頼することになります。
 以前、認知症の高齢者が線路に立ち入り死亡した事故で、高齢者の遺族が鉄道会社から損害賠償請求の裁判を起こされ、第一審と控訴審では遺族の損害賠償が認められ、最高裁で責任はないとされた事案があります。
争点は監督義務の範囲で、これは、個々のケースで判断されるので、一概に家族には責任がないとは言い切れません。

認知症高齢者の一人暮らしでも、家族が近所に住んでいれば、ある程度対応できる場合もありますが、海外からですと、さすがに1時間ほどでかけつけるというわけにはいきません。

認知症での施設入所は簡単ではない

施設入所は人生の大きな転換
私は独身という気軽さもあり、気分転換にもなることから、転勤や契約更新の年に合わせ、よく引っ越しをしていました。

しかし、高齢者にとって、住み慣れた住居や地域を離れるという環境の変化は、大変大きな出来事です。

場合によっては「認知症が進んでしまうのでは?」という不安もあります。

一人暮らしと施設入所
「令和元年版高齢社会白書」によると「60歳以上の人のうち9割以上が現在の地域に住み続ける予定」とあります。

「長く親しんだ環境で住み続けたい」と願う気持ちは、自然で当然のことだと思います。

また、最近は少なくなっているかもしれませんが、「施設入所」というと「イメージが悪い」と感じる人もいて、世間体など家族の側にも抵抗感があるケースも考えられます。

とはいっても、後ほど触れる「特別養護老人ホーム(特養)」で多くの待機者がいるように、施設へのニーズも大きいといえます。

施設の種類
施設といっても、いろいろな種類があります。

介護を必要とする高齢者の住まいは、厚生労働省の「介護を受けながら暮らす高齢者向け住まいについて」では、次の6つに分類されています。

①特別養護老人ホーム
②養護老人ホーム
③軽費老人ホーム
④有料老人ホーム
⑤サービス付き高齢者向け住宅
⑥認知症高齢者グループホーム

また、厚生労働省の「-高齢者向け住まいを選ぶ前に-消費者向けガイドブック」では、種類、サービスや費用の違い、選び方のポイントなどについて簡単にまとめられています。

特別養護老人ホーム
認知症高齢者の施設としてよく知られているのは特別養護老人ホーム(特養)です。

ケアマネさんに「これ以上の一人暮らしは難しいと思うのだけれども、どうしたらよいか」相談したときに、私の頭にあったのも特養でした。

民間の老人ホームは、入居一時金や月額利用料などの費用面で難しく、公的施設の特別養護老人ホームへ入所出来ないかと考えたのです。

しかし、特別養護老人ホームの入居条件は要介護3以上で、待機人数も27.5万人(2022年4月時点)(※)と簡単ではありません。

父の要介護は2だったので対象にはなりません。

ちなみに、介護経験のある知人の場合、最初は比較的入りやすい介護老人保健施設(老健)に入所して、その間に “つて”を通して特別養護老人ホームを探し、空きを待ったとのことです。

※「特養(特別養護老人ホーム)の待機者数はどれくらい?待機期間の注意点や早く入所するコツも紹介」(ケアスル介護)

グループホームがベターか
通帳紛失騒ぎでお話した伯母が入所していたのが⑥のグループホーム(認知症対応型共同生活介護)です。

伯母に会うために、実際に訪れたのですが、小規模でアットホームな感じでした。

福祉施設ということもあり、身元引受人だった父のもとには、毎月、請求書などの書類とともに、食事やイベント、近所に散歩に行ったときの様子などが撮られた写真入りの “お便り” が同封されていました。

特養と異なり、「要支援2」から入所可能と対象者の範囲も広いので、「要介護2」の父は該当します。

しかし、父の場合、グループホームという選択肢はとれませんでした。

地域密着型と住所地特例

この表にあるように、介護サービスは都道府県、政令市、中核市が指定・監督を行うサービスと、市町村が指定・監督を行うサービスがあります。

グループホームは「地域密着型サービス」になります。

厚生労働省「介護サービスの種類

介護保険制度では、原則として、住民票所在市町村の被保険者になりますが、その例外が「住所地特例」です。

例えば、A市からB市の施設に入居・入所し、住所(住民票)をB市に移した場合でも、介護保険はA市のままということになります。

なぜこのような制度が必要かというと、介護保険会計は市町村単位なので、介護保険施設等が多く建設されている市町村に、他市町村から多くのサービス利用者が転入してきた場合、その市町村の介護保険財政を圧迫してしまうためです。

グループホームは地域密着型で、本来は、自分の住んでいる住所の施設にしか入れないため、この住所地特例は該当しません。

他市町村に入る場合は、その市町村の許可を得て、住所と介護保険の両方とも移動する必要があります。

私の場合は、住んでいる自治体で、すぐに入れるグループホームはなかったようで、ケアマネジャーからは、グループホームへの入所という選択肢は示されませんでした。

グループホームは小規模なので、金銭管理なども融通を利かせてくれるケースもあるかと思うので、地域包括支援センターやケアマネジャーに相談してみるとよいかと思います。

どうしたものかと思案していると、ケアマネジャーから、サービス付き高齢者向け住宅(以下「サ高住」と呼びます)を考えたらどうかと提案されました。

「サ高住」という選択

「サ高住」とは?
「特別養護老人ホーム」「養護老人ホーム」「軽費老人ホーム」「有料老人ホーム」「認知症高齢者グループホーム」の4つは厚生労働省の所管となります。

一方の「サ高住」は国土交通省の所管で、登録が義務付けられています。つまり福祉施設ではありません。

根拠法令も、厚生省の施設は老人福祉法、「サ高住」は「高齢者の居住の安定確保に関する法律(高齢者住まい法)」と異なります。

「サ高住」の制度は比較的新しく、「高齢者住まい法」(2001年施行)の2011年の改正により創設され、その後急速に増加しています。

つまり、法律上は「福祉施設」ではなく、「高齢者向け住居」なわけですが、行政による指導に関しては、「サ高住」が『食事の提供』『介護の提供』『家事の供与』『健康管理の供与』のいずれかを実施している場合、『有料老人ホーム』と同様に受けることになっています。

実質的にはほとんどの「サ高住」が有料老人ホーム同様の指導監督を受けているようです。

また、もうひとつ、令和4年(2022年)から、介護保険法に基づく、運営指導と呼ばれる指導が行われており、併設する事業も対象となっています(※)。これは、次の項目で触れるように「サ高住」が実質的に他の介護サービスと一体的に運営されるようになってきていることからと思われます。

(※)「サービス付き高齢者住宅等における運営指導や特定事業所加算取得の注意点」(けあタスケル)

「抱き合わせ」タイプの「サ高住」

本来は、「サ高住」が必ず提供しなければならないサービスは、「安否確認」「生活相談」のみです。

「サ高住」はあくまで高齢者向け住宅であって、介護サービスを受ける場合は、一般的な在宅の場合と同様な形で、利用者が居宅サービスを選ぶことが想定されていたのではないかと思われます。

しかし、「サ高住」に「デイケアサービス」などの介護サービス施設が(実質的に)併設されていたり、同じ事業者の「居宅サービス」を利用する「抱き合わせ」と言われる形態をとるケースが増えてきています(※1)。

つまり、「サ高住」の家賃には介護保険が適用されないわけですが、その入居者に自らが運営する事業所の「デイサービス」や「居宅サービス」を利用してもらうことで収益を得て、実質的には福祉施設のように運営されるのです。

父の場合、ケアマネジャーも、「サ高住」に転居と同時に、施設のケアマネジャーに変更(引き継ぎ)となりました。

なぜ、このような形態の「サ高住」が急激に増えたのでしょう。

高齢化社会への対応として、国は、「在宅医療・介護」を推進してきました(※2)。介護保険制度においても、それが反映されたものとなっていますが、実際には、利用者にとっては、施設入居へのニーズが高かったということではないかと思います。

純粋に居宅サービスを行っている事業者からすると、利用者が囲い込まれていると感じるでしょうし、制度趣旨からすると、「それは居宅サービスではなくて、施設サービスでは?」という問題点が指摘されるところですが、施設と同様のサービスを受けたい利用者とするとデメリットは感じられないところです。

個人的には、施設へのニーズを踏まえ、「サ高住」を含め、介護保険制度を設計し直した方がよいと思うのですが・・・。

(※1)入居者囲い過剰介護…サービス付き住宅に批判も(yomiDr/ヨミドクター)
(※2)「在宅医療・介護の推進について」(厚生労働省 在宅医療・介護推進プロジェクトチーム)

未(無)届け老人ホームに注意

上記の「高齢者向け住まい」にあてはまらない「未届老人ホーム」が全国で624件あります。

令和4(2022)年度 有料老人ホームを対象とした指導状況等のフォローアップ調査(第14回)結果」(厚生労働省)
無届けの有料老人ホームは626件 2022年度、厚労省調査」(朝日新聞 2023/07/19)

2009年に、群馬県の渋川市の老人ホームで火災があり、10名が亡くなった事件がありました。以降、行政の指導が強化されたことでその数は減ってきています。

届け出をしない理由は「スプリンクラーの設置などの法基準を満たせない」などとなっています。それらに対応するためには、費用負担を上げないと採算が合わないが、入居者の多くが低所得者ということで難しいという事情のようです。

いずれにせよ利用する側としては、行政の指導が届かない無届け老人ホームは、極力避けた方がよいと思われます。

未届け有料老人ホームの実態に関する調査研究事業』(厚生労働省)

「サ高住」の紹介業者

「サ高住」は民間施設なので、基本的には賃貸住宅のように自分で探さなければなりません。

今はネットでも、賃貸住宅の情報サイトのように「サ高住」の情報を提供しているサイトもあります。

しかし普通の賃貸住宅を探すのとは異なり、難しい面があります。

私の場合は、ケアマネジャーが「紹介会社」を紹介してくれました。「サ高住」は介護保険サービスとは関係ないので、その選定はケアマネジャーの業務にはならないのだと思います。

なお、紹介会社に費用を支払う必要はありません(施設から紹介会社に支払います)。

(これは、英語学校のエージェントの紹介料が無料で、学校が支払っているのと同じシステムです)

最初は私の入院中に病棟で面会し、退院後に自宅で父を入れて顔合わせをしました。

時間に余裕もない状況だったので、自力で探していたら大変な手間だったと思われ、助かりました。

入居後の費用(生活費を含む)

介護保険制度では、介護度が高くなるほど利用できるサービスの額( 区分支給限度基準額 )は増えますが、利用すれば、その分自己負担額も増えることになります。

父の場合、最初は「要介護2」でしたが、亡くなる直前には「要介護4」でした。

入所時より、介護保険サービスの自己負担額は増えたことになります。

私の場合、すべてコミコミで父の年金の範囲内の予算で探し、その時点では余裕もあったので、最後まで年金内で収まりました。

足りなければ、家族が不足分を「持ち出し」しなければならなくなりますが、将来、自分が病気になるなど無収入になるということもありえます。予算に関しては、そういったことも考慮して施設選びをした方が良いかと思います。

金銭管理と身元引受人が海外在住

金銭管理の問題
私の場合は、海外在住ということもあって、一番の問題は金銭管理でした。

認知症の金銭管理問題は「認知症を支える日常的な金銭管理のニーズ」(大和総研)など、社会問題として認識されてきています。

最近は、銀行や弁護士事務所が、こういった問題に対処する新しいシステムをつくるといったニュースもあります。しかし、やはり、それ相応の経費がかかってしまいます。

法律的に金銭管理を完全に委任する成年後見人制度はハードルが高くなりますし、本人にとってデメリットとなる点も指摘されています。

参考)「ご高齢の方の金銭管理について」(おおるり法律事務所)

身元引受人が海外在住である問題
全く身寄りがないケースも、最近は増えてきているのではないかと思います、

私の場合は、身寄りがあるけれど、海外にいるというケースです。

施設とすると、やはり、さきほどの金銭管理に加え、緊急時の対応が問題となるでしょう。

看取り」に対応していない施設ですと、家族の対応が必要になります。

このような情報はホームページなどでは分からないことも多いので、自力で探すとなると相当難しかったでしょう。

家族が無理をすると不幸になる

いざ家族が認知症になったとき、また自分自身の事を考えたときに、制度などの知識を得ることは大事なことですが、精神的な面や心構えなどを整えておくことも必要です。

認知症に関する本はたくさんでていますが、上田諭さんの「不幸な認知症幸せな認知症」(株式会社マガジンハウス) という本があります。(Amazon のKindle Unlimitedで読めます)

この本は認知症と自分や家族が診断された場合、どのように受け入れるか、向き合うか、付き合っていくかということについて書かれています。

社会資源を利用し、その分で「本人に寄り添う」
そのなかでは、「在宅介護か施設介護か」という問題などにも触れられています。

「家族が本人から『離れる』ことも選択肢の一つであるが、家族は本人を中心とした生活へ変える必要があり、自分の人生を犠牲にすると感じるような介護ではなく、本人を受け入れ、寄り添う時間を少しずつ増やす工夫をすること」。

そして「最終的には介護をした日々が自分の人生にとって意義があった、親との最後の時間、あるいは配偶者との最後の時間を幸せに過ごせたと思えることが目標です。」と述べられています。

近年、「介護地獄」であったり、「高齢者虐待」といったニュースも耳にします。「本人と家族どちらも不幸にならない」、「共倒れにならない」介護は大事なことです。

福祉では「社会資源」という言葉が使われます。「支援に活用できるヒト、モノ、財源、情報」のことです。地域で様々な人が参画し、支え合いながら暮らしていく(※)社会で、利用できる社会資源は利用していくことも大事です。

※「地域共生社会のポータルサイト」(厚生労働省)

専門医に診てもらう
著者の上田先生は認知症学会の専門医です。

認知症に関しては日本認知症学会の「全国の認知症専門医リスト」を見てもわかりますが、精神科、脳神経内科、神経内科などの医師が専門医として認定されています。また、物忘れ外来や認知症疾患医療センターを設けている病院もあります。

私の場合は、専門医への相談など、病気としての認知症への対応はほとんどできず、心残りとなっています。

認知症の研究や医療も日進月歩で進んでいます。認知症の種類はたくさんありますが、薬で進行を遅らせたり、症状を軽減させたり、治療法が確立しているものもあります。できるだけ専門医に相談したほうが良いのではないでしょうか。(※)

※「認知症は治療できる?最新の治療方法と薬について解説」(朝日生命ネットほけん 2022/04/25)

「サ高住」への転居

見学
いくつか見学したのですが、やはり金銭管理がネックだったり、「ここがいい」という施設はなかなか見つかりませんでした。

しかし、かなり距離は遠いのですが、ダメもとで連絡してくれた「サ高住」に空きがあり、そこに決めることになります。

見学では食事の試食もできて、かなり美味しかったので驚きました。

また施設や設備もまだ新しく、とても綺麗で、職員の方も親切そうで、明るく挨拶してくれるなど、ハード面だけでなく好印象でした。

見学だけですべてが分かるものではないですが、逆に見学の時点で気になる点がいろいろあるようだと、やはり、ちゅうちょせざるを得ません。

施設長さんは元看護師とのことで、安心できる面もありました。

何より、家族が海外出張していたり、身寄りのない利用者を受け入れている経験があり、私の事情もよく理解してくれて対応してもらえたのです。

また近年は「サ高住」でも「看取り」まで対応するケースが増えてきていますが、この施設もそうです。

唯一の問題はロケーションで、自家用車がないと不便な場所にあるのですが、この際、ぜいたくは言っていられません。

本人の意志
私自身は「ここしかないだろう」と思ったのですが、肝心の本人の意思が重要です。

認知症といってもまだ初期ですから、意思決定能力はあり、本人の意志に反することは出来ません。

本人は意外にあっさりと「分かった」と返事。

しかしどこまで分かっているのかはちょっと不安。

「帰る」と言い出さないだろうか?

家は、家賃を払い続けるわけにはいかないので、引き払わなくてはならない。

紹介業者の担当者さんによれば、「最初はみんな帰りたがるもの」とのこと。

施設に向かう車の中で、父は、おとなしく、ちょこんと席に座っていて、転居は問題なく済みました。

最初の数ヶ月でどうしても嫌がるようだとどうしようと思ったのですが、その後の施設長さんの話でも特に問題ないとのことで少し安心したのでした。

約2年間の「サ高住」での生活

ときどき会う父

父がサ高住に入居してから、私のビジネスは役所の手続きの問題で、なかなか頻繁に日本に戻ることが難しい状況が続きました。

会うと、体はちょっと弱々しくなっているように感じましたが、私の姿を見るととても喜んでくれました。

よくドラマとかで見るように、「いつかは自分のことが分からなくなり『あなた、誰ですか?』とか言われる日が来るのかなあ」と会うたびに思っていたのですが、結局、最後まで私のことは認識してくれていました。

食事や生活のことを尋ねても「うん、うん」と不平を言うこともありません。

会話の中では、いつか家に帰る前提での話もありましたが、何となく自分の状況を受け入れていて、言ってみただけなのか、それとも本当にいつか帰るつもりだったのか?

本当のところは分かりません。

ケアマネジャーさんの話を聞くと、昼間の間過ごすデイケアセンターでは、いつも楽しそうで、職員や他の利用者さんに怒ったり、トラブルになったりするようなこともなく、特に施設に迷惑をかけるようなことはなく過ごしていたようです。

父は、もともと人と話すのが好きな性格だったので、一人で家にいるよりかは、話し相手がいる環境は、いろいろな面で良かったのかなとは思います。

「いつもにこにこしていて」「予科練のことなど、いろいろな話が好きで」と教えてくれました。

そして、やがて施設からのメールで、こまめに熱や肺炎の症状など健康状態についての報告が来るようになりました。

少しずつその日が近づいていると感じました。

訃報を受けて

そしてついに訃報の連絡がありました。

父は、母の葬儀のときに「自分の時は葬式はいらん」と言っていました。

父にとっては「長い間、ずっとガンと戦っていた母を『しっかり看取る』ことができて、自分の人生は、それで満足だった」のかな、と思ったりします。

叔父は長崎から駆けつけると言ってくれたのですが、施設の方で、葬儀社の手配などまで、いろいろしてもらえました。

正解はないのだけれど

後悔という程ではないけれど、自分がセブで暮らしておらず、父と同居していたならば、もっと早く(といっても、数ヶ月だけれど)認知症と認識して、もの忘れ外来など専門医のいる医療機関を受診できたかもしれないと思うこともありました。

一方、「一定の距離を置いてよかった」という思いもあります。

私の場合は、仕事を辞めた理由は介護ではありませんでしたが、介護離職など自分の生活スタイルに大きな影響を与える場合があります。

私が係長だったときに、育休から復帰した女性の部下がいて、とても優秀で子育てにも頑張っていたのですが、数年後に、親の介護も重なり、仕事を辞めたということがありました。

介護や子育ては大事なことですが、永遠に続くわけではありません。

施設での介護という選択肢は、十分検討してみるべきではないかと思います。

父はいい施設(サ高住)で最後を迎えることができて良かったと思います。施設長、新しいケアマネジャー、デイケアサービスなどの担当の方々は皆親切でした。

可能であったら、本人が自分で電話ができなくなってからも、ライブカメラでの見守りやスカイプなどができたらなあと思いましたが、今後は、そのような施設も増えていくかもしれません。

同居しているときは、顔を突き合わせると、つまらないことで言い争いで喧嘩になったこともありましたが、私がセブに来てからはそのようなことはほとんど無くなりました。

私自身が、日本での疲れ切った生活から、フィリピンでの生活で、精神的に少し余裕が生まれたということもあったかもしれません。

一方、フィリピンの一般的な庶民の大家族を間近に見ると、経済的には豊かでなくとも、「家族や親戚と一緒に暮らし、みんなに見守られながら最後を迎えられるというのは幸せだなあ」と思ったりもします。

訪問したときは、一度も「ここはいやだ」とか「家に帰りたい」と言われなかったけど、本当は我慢していた面もあるのかなあ。

「これでよかったのかなあ」と思いたいのだけれど・・・

「いいんだよ」と言ってくれているのかなあ・・・。

まとめ(メモ)

  • 家族が元気なうちから、介護保険制度などに関する情報収集をして知識を身につけておく。
  • 認知症のサインを見逃さないように普段から気をつける。
  • 認知症の症状が出たら、できれば専門医のいる医療機関で診断・治療してもらう。
  • 家族が認知症になったら、まず地域包括センターに相談する。
  • あせって介護離職(海外で仕事をしている場合など)などせず、まずは共倒れせずにすむ方法を探る。
  • 「特養」だけでなく「グループホーム」などいろいろな選択肢を探してみる。
  • サ高住」を探すにあたっては。紹介業者に頼るとメリットが大きい。
  • 介護計画をたてるに当たっては費用面では自分の将来のことも考慮する。
  • 困難事例であるほど、ケアマネジャーの経験や力量によって状況が左右される。
  • 医療・介護資源をしっかり利用し、その分を「本人に寄り添う」事が大事。

おわりに

いくつかの投稿をまとめたので長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

将来、日本でビジネスを行うことがあれば、次回投稿予定の「海外在住者の住所問題」同様、今回取りあげたような「海外在住者の介護問題」に取り組む事業も考えたいと思っています。

ただ、法律行為は「弁護士法」などに触れないようにしなければいけないですし、金銭管理も、どういったことが可能か調べる必要があると思います。

さて、フィリピンの暑さはピークを越したというニュースもあるようですが、セブはまだまだ暑いです。

今のところ、まだ、雨季のような豪雨はないため、ビーチで楽しむにはいい天気だと思います。

でも、晴れていると日差しが半端なく強いので、くれぐれも日焼けにはご注意ください。

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