10月31日「ハロウィン」11月1日「諸聖人の日」11月2日「死者の日」(フィリピン)

(2020.10.29初稿  2021.10.22改訂)

10月31日(日)は「ハロウィン」です。日本だと、近年渋谷で仮装して集まる若者でごったがえし、大変な騒ぎになることが、コロナ前の風物詩でした。しかし、昨年に続き、今年も渋谷区は自粛を求めるようです。

「渋谷のハロウィン」今年も自粛呼び掛けでトレンド入り ネットは「ロックダウンしない限り無理」と危ぶむ声(Yahooニュース 2021/10/21) ←リンク切れ

フィリピンでも日本と同様に、若者や子供が仮装したりとイベントなども盛り上がっていました。しかし、昨年はコロナの影響でパーティー自体が禁止され、子供の外出も制限されました。

今年はタイミング的に、日本に続くように今月に入って陽性者数も急減し、セブは「アラート2」という下から2番めの検疫隔離措置とかなり緩和されました。

フィリピンの場合は、31日のハロウィンから、むしろその翌日の11月1日(月)の「諸聖人の日(All Saints Day)」で祝日、その翌日の11月2日(火)も「死者の日」で追加特別休暇(振替休日)となり、これらの休みに墓参りをする(カトリックでは12月2日)のですが、大勢が集まる(大騒ぎもする)ため、3日間合わせての感染対策が問題となります。

感染が拡大していた先月ごろはフィリピン全土で禁止の方向でしたが、ここにきて、地域などによってさまざまな対応のニュースが流れています。

フィリピンはパンデミックのために諸聖人の日のお祭りを再びキャンセルします:Philippines cancels All Saints’ Day festivities again due to pandemic(Xinhuanet.com 2021/10/20)

セブ市は(期間が)「拡張された」Kalag-kalagの準備をしています:Cebu City prepares for ‘extended’ Kalag-kalag(Rappler 2021/10/15)
諸聖人の日と諸聖人の日の祝日(通常は11月1日から2日まで祝われる)のこの都市での遵守は、今年10月18日から11月4日まで始まる可能性があると市長室のコンサルタントである弁護士コリンロゼルは述べた。 (Kalag-kalagはセブアノ語で “魂” の意味で、11月1日と2日間を指す)

Undas(諸聖人の日)のIATFガイドラインにもかかわらず、セブ市は墓地を開いたままにします:Despite IATF guidelines for Undas, Cebu City keeps cemeteries open」(Rappler 2021/10/20)←リンク切れ

モンテンルパ市(ルソン島マニラ首都圏)は、「ウンダス」の墓地への訪問を禁止する条例を可決しました:Muntinlupa passes ordinance banning visits to cemeteries on ‘Undas’」(Manila Bulletin 2021/10/19)←リンク切れ
月曜日のモンテンルパ市議会は、諸聖人の日または「ウンダス」の墓地への訪問を禁止する条例を可決した。条例により、モンテンルパの墓地、記念公園、納骨堂への訪問は10月29日から11月2日まで禁止され、違反は罰せられます。

10月31日(日)は「ハロウィン(Halloween または Hallowe’en)」

ハロウィーンの起源・原型は、今から2,000年ほど前に古代ケルト人が行っていた「秋の収穫祭」と悪霊祓いの儀式である「サウィン(Samhain)祭」といわれています。

「サウィン祭」は夏の終わりと冬の始まりにあたる、10月31日の前夜祭と11月1日の祝祭で、ケルト暦で1年の始まりの時期にあたります。

現在の「ハロウィン」にあたる前夜祭の時期は1年の終わりの日で、日本のお盆のように「死者の霊が会いに来て交流ができる」日であり、その際に「悪霊も一緒に来る」という考えから、それらを追い払うために魔除けの焚き火を焚いたり、仮面をつけたりしたことが、現在の仮装につながっているのではないかと、いわれています。

名称は、19世紀に北アメリカに移住した移民たちによる、これらの習慣の「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」がなまったものともいわれています(諸説あり)。英語で「Hallow(ハロウ)」は「聖人」や「聖職者」という意味があります。

(ケルトというとケルト音楽をイメージする人も多いかと思いますが、現在のアイルランドなどケルト系とされる人々と、紀元前1世紀頃に他民族の支配下に入った古代ケルト人との関係やその歴史は分かっていない点が多くあります。つまりアメリカでハロウィンのもとになったとされる祭りや慣習が、本当に古代ケルト人が行っていたものかどうかについては、定かでないともいえます)

もともとキリスト教徒は関係のない民間信仰ですが、現代ではアメリカから多くの国に広まり、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっています。

実はフィリピンでは、アメリカから「ハロウィン」が伝わるより以前に、「Pangangaluluwa」という「諸聖人の日」の前日の10月31日に行われる、スペインから伝わった慣習があったそうです。

子どもたちが、死者(祖先の幽霊)を表す白い毛布に身を包んでて家から家へと歌って回ります。もし、「Kakanin」(伝統菓子)や飴などをあげない場合、ちょっとしたいたずらをします。

家を訪問するこのような慣習は、 harana (ハラナ:求婚で相手の家の前で歌を歌って返事を待つ)やkaroling(カロリン:クリスマスの前に子どもたちが近所の家を訪れ歌を歌ってお菓子やお小遣いをもらう)と共通しています。

現在ではハロウィンが定着していますが地方では伝統的なスタイルで行われているところもあるそうです。

(参照:ウィキペディア、AERAdot「ハロウィーンはキリスト教のお祭りではない!?ハロウィーンの秘密に迫ります」)

11月1日(日)は「諸聖人の日(または『万聖節』)(All Saints’ Day)」

カトリック教会の典礼暦では11月1日の諸聖人の日(All Saints’ Day)」は、カトリック教会の祝日の一つで、全ての聖人と殉教者を記念する日です。古くは「万聖節」(ばんせいせつ)と呼ばれていました。

「聖人」

「『聖人』とは、生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのことであり、神と人々のために、またその信仰を守るためにその命をささげるという殉教もその証明となります。(中略)
 教皇が公に聖人の列に加えると宣言し(列聖)、その式(列聖式)はローマの聖ペトロ大聖堂で盛大に執り行われます。(中略)
 日本の教会に関係する聖人では、聖フランシスコ・ザビエルをはじめ、日本26聖人殉教者、聖トマス西と15殉教者、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父がいますが、今でも彼らを崇敬するのは現代社会にあって福音的な生き方の模範になる人だからです。」(カトリック中央協議会 「尊者・福者・聖人とは?」から一部抜粋)

「崇敬」

以前お話したように一神教であるキリスト教は神のみが「崇拝」の対象です。「崇敬」とは、「カトリック教会と正教会の神学では、神のみに対する「礼拝」とは異なる敬意の一種」とされています。

ユダヤ教においても「聖人崇敬を主張するものではないが、神聖なユダヤ人指導者の墓地への敬意と巡礼は、古代ユダヤ教の伝統の一部」であったとのことです。(参照 ウィキペディア)

「諸聖人の日」

「教会は、最初の時から殉教者の殉教記念日を祝ってきました。しかし、ディオクレティアヌス皇帝の時代(4世紀)の迫害のころからは、ある特定の日に祝っていました。(中略)
 9世紀に、教皇グレゴリウス4世は、この祝日を11月1日に移し、すべての殉教者から諸聖人にまで広げました。この決定を機に諸聖人の祝いは広まっていきました。」(聖パウロ女子修道会 『諸聖人(11月1日 祭日)』から一部抜粋)

カトリック教会にかぎらず、聖公会や正教会などのキリスト教の一部の教派でも「諸聖人の日」に相当する祝日・祭日を定めている教会もあるものの、呼び名や日付は必ずしも一致しません。

また、プロテスタントの「日本基督教団」では、11月の第一日曜日は「聖徒の日」とされていますが、カトリックや聖公会とは意味合いが異なり、聖人のためではなく亡くなった信徒たちのために祈る日になっています。

プロテスタントでは(一部を除いて)「聖人崇拝」はもちろんですが、「聖人崇敬」も認めていません。

11月2日(月)は「死者の日(または『万霊節』)(All Souls’ Day)」

ローマ・カトリック教会では正式には「The Commemoration of All the Faithful Departed(信仰を持って逝った人全ての記念日)」といいます。

 「死者のための祈りが典礼の中に現れたのは、3世紀のはじめ、カルタゴにおいてです。しかし、死者のために祈る習慣は、初期キリスト教の時代からあり、4世紀には東方教会に、8世紀には西方教会において、ミサの奉献文に取り入れられるようになりました。(中略)
 現在の『死者の日』の起源は、998年にフランスのベネディクト会クリュニー修道院において、11月2日を、『帰天したすべての信徒のための記念日』と定めたことによります。そして、この習慣は、だんだんと教会全体に広まっていきました。教会は、死者のために祈ることにより、生きている人だけでなく、亡くなった人をも含む、交わりの共同体であるという考えを深めてきました。」、「神に仕えて亡くなったすべての人を思い起こし、死者のための祈りを共にします。」(聖パウロ女子修道会 「死者の日」から一部抜粋)

プロテスタントの大半は、「聖人崇敬」の概念自体が存在しないため、諸聖人の日を祝う習慣は存在しませんが、「死者の日」に関しては、次のような記事があります。

「宗教改革の中心人物マルティン・ルターは、聖書に記述のないカトリックの行事をかたっぱしから否定したが、「死者の日」は民衆の生活に根付いているとして認めたという。」(産経コラム「ルターも認めた『死者の日』の祈り」から一部抜粋)

フィリピンでは「諸聖人の日」から「死者の日」にかけて、墓を掃除したり、修理したり、花、ろうそく、食べ物を供え祈ります(日本のようにしっとりしたものではなく、にぎやかに行います)。

「死者の日」には多くの人が墓参りをすることから、昨年(2020年)は新型コロナの影響で墓地を閉鎖したり、墓参を禁止するというニュースが見られました。日本の「お盆」とよく似ているといわれることがあります。「お盆」に関しては「この期間に先祖が戻ってくる」という認識の人が多いでしょう。

「死者の日」は、もともとは、カトリックにおいて「『人間が死んだ後で、罪の清めが必要な霊魂は煉獄(※)での清めを受けないと天国にいけないが、生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間が短くなる』という考えから、煉獄の死者のために祈る日」という性格がありました。

キリスト教に限らず、宗教的死生観はとても難しく、表面的な理解にならないように十分注意する必要があります。

また、キリスト教の死に関する教えなどを含めたキリスト教倫理は現代社会にも大きな影響を与えています。ユーチューブで同志社大学神学部 小原教授の授業「キリスト教倫理」で、生命倫理、社会倫理、環境倫理などが取り上げられており、いつか紹介したいと想います。

※『煉獄』(れんごく:「鬼滅の刃」で読める人も多いでしょう。)とは、カトリック教会の教義で、この世のいのちの終わりと天国との間に多くの人が経ると教えられる清めの期間のこと。天国には行けなかったが地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところとされ、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされる。正教会やプロテスタントなどキリスト教の他の教派では、煉獄の存在を認めていない。(ウィキペデイアより)
注)聖書での記載はないためプロテスタントなどは否定しますが、行為や信仰の度合いや未成年者や意思能力の劣るものを単純に天国と地獄に二分できるのかという問題があります。これらの神学的な問題については、別の投稿で触れたいと思います)

おわりに

「聖人の日」と「死者の日」はカトリックの行事という意味合いが強いですが、フィリピンはカトリック教徒が8割以上を占めており、祝日ということもあって、国としての行事ともなっています。

イスラム教のラマダン(イスラム・ヒジュラ暦での第9月。この月の日の出から日没までの間、ムスリムの義務の一つ「断食」として、飲食を絶つことが行われる)も祝日になりますし、宗教行事が祝日になることもあります。日本と違う点です。

あまり神経質になる必要はありませんが、フィリピンで暮らしたり、ビジネスをしたり、フィリピン人と付き合うのであれば、一応の知識としては知っておいたほうが、損にはならないのではないかと思われます。

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