姪の誕生日と義母からのプレゼント

セブでの5年間を振り返るお話は今日もお休みして「クリスマスが終わりました。次はシヌログがやってきます」、「ニューイヤーの前に姪っ子の誕生日パーティーです」「13人いる」「義母からのプレゼント」をお送りします。

クリスマスが終わりました。次はシヌログがやってきます

クリスマスも終わりました。イブの深夜からは明け方までカラオケや音楽が鳴り響き、寝不足となりました。

ニュースでは日本のハロウィン翌日の渋谷のように散乱したゴミを片づけるマニラの様子がでていましたが、このクリスマスのお祭り騒ぎが終わるとセブでは1月に開催されるお祭りであるシヌログに向けてまた慌ただしくなっていきます。

シヌログの公式ウェブサイトはこちらです  https://sinulog.ph/←リンク切れ

年が明けると毎日シヌログの音楽が聞こえてきてそのリズムが耳にこびりつき離れません。

もっともパレード当日は昨年は私の住んでいるところは通り道ではないので静かなものでした。

ただ最近はテロ対策でフィナーレの2日間はスマホは通話もネットも使えずドライバーとも終日連絡が取れずとても困った状況でした。ミンダナオ島のイスラム武装勢力との争いが続きテロの恐れが払しょくされない限り続くでしょう。

パレードが行われる土日の1月19、20日は中心地の道路がほぼ全域通行止めになるためその地区のジプニーは運休になりますし、タクシーもかなり行動範囲が狭まります。

また、この時期はロケーションのいいホテルやペンションはものすごく高くなりますし有料の桟敷席でないと人込みしか見られないなんてことになります。当然、人込みが凄いのでスリなどにとっては格好のイベントです。貴重品管理には細心の注意を。

私はセブにきて一度だけ見に行ったのですが疲れました。

女性が手にしているのは「サントニーニョ像」です。

SINULOG 2017 GRAND MADRIGA/JAN.15,2017:Province of Lanao Del Norte their contengent perform during the Sinulog 2017 Grand Mardigra at Mango avenue.(CDN PHOTO/LITO TECSON)(CEBU DAILY NEWSから )

シヌログは観光客にとってはパレードが目当てになるかと思いますが、地元の人は自宅やオフィスやチャペルにあるサントニーニョ像を持ち寄り教会に向かう人も多く、「浅草サンバカーニバル」などとは違って地元の人々にとっては宗教的なものであることが分かります。

ちなみにウィキペデア(英語版含む)によると

マゼランは西回り航路でインドを目指す途中でフィリピンのセブに着きますが、セブの領主が説得に応じて、「400人ほどのセブ人が洗礼を受けた。セブの王と王妃も洗礼を受け」「後にセブの守護聖人になる幼きイエスの像、サント・ニーニョ像もスペイン側とセブ側の平和の証として王妃に手渡された。」

とのことです。

しかしその後マゼランはマクタン島の領主ラプラプに殺され残った者の一部はそのセブの領主に殺されます。マゼランの艦隊の生き残りは命からがら逃げ延び結果的に世界一周を果たします。

そしてその後に次にやってくるスペインの艦隊によってセブをはじめフィリピン各地はスペインに征服されてしまいます。

シヌログという言葉はのはもともとは土着の宗教の偶像を崇拝するダンスの動きから来ていてサントニーニョを崇拝するようになってからはそれまでの民族の偶像に変わってサントニーニョを祭るようになったそうです。

そこでふと疑問に思ったのは「キリスト教というのは歴史の授業かテレビの情報だかの記憶ではイスラム教とともに偶像崇拝を禁じているのでは?、サントニーニョ像はいいのだろうか?」ということですが、それはまたキリスト教に関する話題の時に。

ニューイヤーの前に姪っ子の誕生日パーティーです

今日は姪っ子の誕生日です。フィリピン人はとにかくお祝い好きというかイベント好きというか結婚記念日や誕生日というとフィリピンでは一大イベントです。

裕福層だとホテルでやレストランでパーティーなどしますが子供の場合はそれほど裕福でなくともできる限り盛大に行います。子供の写真をプリントしたタペストリーを作るのもよく見かけます。

お金に余裕がある人はお祝いの日には「レチョン」という豚の丸焼きを用意するのですが我が家にはそんな余裕はありません。

このブログの表紙の写真及びタイトルになっているカレンデリアを営む叔父と叔母が今日はお店を休みにして食事を作ってくれています。

お昼過ぎからはレンタルで借りてきたカラオケセットでカラオケ大会が始まります。正面にサントニーニョ像が見えますがチャペルでカラオケとかオッケーなのです。

私の周りでいえばフィリピン人は皆歌が好きなのは確かです。ただ歌がうまいというイマージもありますが家の周りで聞くカラオケでそう思うケースはまれです。ジャイアン並みに拷問のような歌声が聞こえてくることも結構あります。

ただでカラオケができて食事はできるし酒も飲めるので大人は盛り上がってます。

さて、「誕生日新聞」という誕生日にその人の生まれた日の大手新聞の新聞記事をプレゼント用に購入できるというウェブサイトがあって誕生日について書かれています。

誕生日を祝うようになったのはいつから?由来や風習を知ろう」(誕生日新聞)

日本ではもともと数え年で年齢を数えていたので正月に一斉に年をとり正月と併せて祝っていたそうで、昭和24年に法律で満年齢で数えるようになってからとのことです。誕生日を祝う習慣はごく最近のことのようです。

日本では誕生日を宗教的な慣習と感じることはあまりないと思いますが、

誕生日の起源について、その習慣がいつから始まったのかは定かでないが、「海外においても、誕生日は、神の生誕を祝う日として宗教的な意味合いが強いものでした。イエス・キリストの生誕を祝う『クリスマス』などが代表的です。」

また、「バースデーケーキの起源は、古代ギリシャの時代にまで遡ります。」「古代ギリシャ人は、月の女神であるアルテミスの誕生を祝うため、月の形を模した丸いハニーケーキを焼いて、アルテミスへのお供え物としました。このとき、ケーキにさしたろうそくに火を灯し、月の光を表したそうです。」

とのことです。

「聖書」ではルカ2章10節から14節では、御使い(天使)が「イエス・キリストの誕生について神に賛美した」とあります。

古代からあった「誕生日を祝う」という慣習がキリスト教社会において、イエス・キリストの「生誕を祝うクリスマス」、さらに「個人の誕生日を祝う」というように取り入れられ根付いたのかもしれません。

カトリックの国フィリピンはやはり誕生日は宗教的な意味合いが強く、家族は誕生日の姪っ子を連れて教会に出かけました。ローソクに火をともし神に祈りをささげるとのことです。

13人もいる

我が家はもちろん全員カミさん方で父母と妹夫婦その子供三人、長男とその恋人、次男と暮らしていて「12人もいる」いるというお話を以前しました。

大家族で暮らすので我が家ではいくつかルールを決めています。その話はまた別の機会にしますがその一つは

「家族の家計はカミさんの給料のみで賄うこと。」

「小遣いは基本的にはあげない。どうしても必要な時はせめて何か家の手伝いをする」こと。などです。

義母はベテランのメイドでセブ市内のあるビレッジに定期的に住み込みで働いています。料理が上手でそこでは料理も作っているそうです。

男性陣はみな基本的に無職で自分の小遣いは時々働いて自分で稼ぐという感じです。妹は幼子三人を抱え専業主婦。長男の彼女はモールでセールススタッフをしており、食費相当額を家に入れてます。

カミさんは今のビジネスの前は大学を出てからずっと働いており一家の大黒柱でした。女性陣が一家の家計を支えるという典型的なフィリピン家庭です。

4歳になった姪っ子もまだ小遣いはありませんが箒で床を掃いたりコーヒーの豆を引くのを手伝ったりしています。あと何年かしたら末っ子の子守をするようになるのでしょう。

クリスマスからはなぜか叔母の孫とその恋人も泊まっていてどう考えても我が家は定員オーバーです。

私は家族に関しては最低限のルールだけ設けていてあとは口を出さない方針です。

人数が何人増えようが何か特別な問題が起きなければ構いません。

日本だったら今の時期は実家への里帰りで旦那さんの実家に泊まるのに気を使ったりして気が重いという話の記事もネットで目にしますが、恋人の親戚の家に泊まるという日本ではあまり無いシチュエーションでさえ初日からすっかりなじんでいるのが凄いです。

義母もクリスマス休暇で帰ってきて気が付つけば「13人もいる」状態です。

義母からのプレゼント

クリスマスの時期は海外に出稼ぎに出かけているフィリピン人は可能な限り休暇を取って里帰りするようでシンガポールで働いているカミさんの友人も帰ってきました。

これはお土産です。Since1965とありますがシンガポールは、

1945年の日本軍の徹底後にイギリスの植民地支配のの復活後に1957年のイギリス自治領、1964年のマレー系と中国系が衝突した「シンガポール人種暴動」などを経て1965年8月9日にマレーシア連邦から追放される形で都市国家として分離独立した。のですね。

さて義母もクリスマス休暇で住み込みの仕事から帰ってきました。

そして私にプレゼントを買ってきてくれました。湯沸かしポットとマグカップです。

私はコーヒーが好きで安い手動のコーヒーミルを持っていたのですが日本では仕事に追われてほとんど使っていませんでしたが、時間はたっぷりあるセブではコーヒーを挽くところから楽しもうと日本から持ち込んで毎日淹れています。

そんな私を見てのプレゼントです。クリスマスに関してはカミさんに任せていて私からは家族へは何もプレゼントとかはしていないですしサプライズでした。

メーカーは「HAMABISHI」といってフィリピンに住んでいると出会う日本もどきネーミングのなかでもおなじみのメーカーです。日本の象印などのポットとはだいぶ違いますがそんなことは関係ありません。

毎日大切に使います。

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