多様性の尊重と最近の日本のニュースから(ジェンダーやマスク問題)

私は人生で初めてフィリピン・セブで海外生活を始め、「日本では何の疑問も持たず、当たり前に暮らしていた日常での文化や常識、慣習、マナーといったものが、当たり前ではないことも多くある」ということをあらためて実感しました。

前回の投稿で、私は以前大学職員として入試事務に携わっていたことから、今年の「大学入学共通テスト」に注目していることをお話ししたところです。

その注目していた「大学入学共通テスト」において「マスクを正しく着用しなかった受験生が不正行為として全科目無効の処分を受け」、最終的にはトイレに長時間立てこもり逮捕されるという事件が生じ、後述するように、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターで試験実施者側の対応に対し「人権侵害」という意見を述べました。

その主張では「非典型的な個性に向き合い、包摂すること」の必要性が語られており、これは「多様性の尊重」を意味しているのではないかと思われます。

また、その後、オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長による「(ラグビー協会の名をあげて)女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。」、「女性は競争意識が強い」などの発言がオリンピック憲章に反するとの批判を受けています。1)

なお、そのオリンピック憲章の根本原則では、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。」とあり、大会ビジョンとして「『多様性と調和』の実現を目指して」が掲げられています。2)

今日は、コロナ禍において問題となっている「マスク問題」なども併せて「多様性の尊重」について思うことを少しお話したいと思います。

参考
1)森会長の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会における発言全文(日刊スポーツ 2021/02/04)
2)「オリンピック憲章(2020年版)」 (国際オリンピック委員会)、東京オリンピック・パラリンピック 「大会ビジョン」「東京2020D&Iアクション -誰もが生きやすい社会を目指して-」(東京都)

多様性の尊重とは

近年、「多様性の尊重」ということばがよく使われるようになりました。

「多様性」とは英語のDiversityを和訳したもので、「ダイバーシティ」というカタカナ英語もよく使われます。

もともとは1960年代ごろからのアメリカで、女性や社会的マイノリティが差別されることなく採用され、公正な処遇を受けることを目指して広がった取り組みからはじまり、1980年代以降は、企業など組織のリスクマネジメントとして多様な人材を積極的に取り入れて活用しようとするマネジメントが推進されてきました。 

その背景として、有能な人材の発掘やイノベーション(物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口、捉え方、活用法」のこと)の喚起、社会の多様なニーズへの対応といったねらいがあるとされています。

ダイバーシティの例としては「年齢」「性別(ジェンダー不平等の改善)」「国籍」「人種」「民族」「障害の有無」「SOGI(性自認・性的指向)(※1)」「価値観」「仕事観」「宗教」「学歴」「職務経験」「コミュニケーションの取り方」「教育」「言語」「嗜好」「組織上の役職や階層」などがあげられます。1)

これまで、日本の企業CMではトヨタ、ルミネ、資生堂、ユニ・チャーム、ハウス食品などが女性蔑視として炎上し、日清食品は、テニスの大坂なおみ選手をモデルにしたCMが人種差別的なホワイトウォッシュ(※2)と批判され、また何人もの政治家によるLGBTに関する発言が問題になってきました。

これらは、ダイバーシティに対する認識の浅さや甘さなどから生じている場合も多いと考えられ、企業におけるマネジメントや危機管理の課題ともなっています。

なお、こういったことは、海外の企業や著名人の発言などにおいても同様に生じており、日本だけに限ったことではありません。

ただ、様々なダイバーシティのなかでも、人種や、宗教(キリスト教やイスラム教)、SOGIなどの問題は、今までなかなか日本では語られる事が少なく、欧米諸国などと比べて意識に差があるという側面はあるかもしれません。

出典・参考
1)ダイバーシティとは・意味(IDEAS FOR GOOD)

※1 ホワイトウォッシュ(Whitewashing)は、もともとはアメリカ合衆国の映画業界で、白人以外の役柄に白人俳優が配役されたことに由来する。さらには有色人種の肌の色を明るくすること(白人化)も指し、多様性を認めない人種差別的な行為とされる。(大坂なおみが日清ホワイトウォッシュ問題を「気にしてない」「なぜ騒ぐ?」は誤報道!別の質問への回答を歪曲・誤訳:exciteニュース2019/01/26から)

※2 SOGI(ソジ又はソギ)は、Sexual Orientation(性的指向)とGender Identity(性自認)の英語の頭文字をとったもの。
 レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルは性的指向についてのマイノリティ、トランスジェンダー(心と体の性別に差がある人のこと)は性自認についてのマイノリティであり、LGBT(女性同性愛者(Lesbian)、男性同性愛者(Gay)、男女問わず両性愛者(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender))という言い方では、この違いが伝わらず、「ゲイの人は心は女性で、女性になりたがっている」などという誤解を招くこともある(性的指向と性自認がごっちゃになる可能性がある)ため、「性的指向および性自認」という概念(性の要素、尺度)を表す言葉として生み出された。
マジョリティ(多数)であるヘテロセクシュアル(異性愛)やシスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と性同一性が一致し、それに従って生きる人のことをさす。)も含む概念である。(以上はSOGIとは←リンク切れ(OUT JAPAN)から)
 また、クエスチョニング(Questioning:自己のジェンダーや性同一性、性的指向を探している人)や、トランスセクシュアル (Transsexual, TS:性転換:ある生物個体の性別が生涯のうちに変化することをいい、ヒトに関して、医学的な処置により外観や体形を他の性のものに近付けることをいう)、インターセクシュアル(Intersexual,IS:半陰陽、医学的な名称としては性分化疾患 (DSD) で男女両方の性を兼ね備えている)、エイセクシュアル(Asexual:無性愛:他者に対する性的な惹かれの欠如、または性的な行為への関心や欲求が少ないか、あるいは存在しない人であり、無性欲や性嫌悪、性的欲求低下障害(HSDD)、純潔主義、不淫とは異なる)、パンセクシュアル(pansexual):全性愛、男性ないし女性等の性の分類に適合しない人々も含め、あらゆる人々に恋をしたり、性的願望を抱いたりするという、全ての性的指向を内包する汎愛性の高い愛に於る形態である全性愛の性質を持っている)のように、LGBTという言葉では性の多様性を包括できないため、近年LGBTQ+という表現も用いられる。

「大学入学共通テスト」におけるマスク問題

大学入学共通テストとは

「大学入学共通テスト」は昨年まで「センター試験」と呼ばれていたものです。本来であれば国語と数学I・Aに記述式問題、また英語に民間試験が導入される予定でしたが、どちらも文部科学大臣が断念を表明したことがニュースとなりました。1)

そして、何より今回はコロナ禍での試験であることにより注目されていました。

1)共通テストの変更点に注意 思考力など重視の出題、リスニング配点倍増も(SankeiBiz 2021/01/14)

今回の経緯

ニュース記事によると今回の問題の経緯は下記のようなものとなっています。

当該受験生は東京都内の試験会場で、最初に実施された地理歴史・公民の試験時からマスクで鼻を覆っていなかった。

監督者が注意内容を書いたカードを前に出すと、「その指示には従いたくない」などと話し、手で払いのけたり、聞き入れなかった

試験監督の6回にわたる求めに当該受験生は応じず、次は不正行為になると伝達したのち不正行為での失格を告げて退席を求めた。

しかし当該受験生は退出を拒み、抵抗したため「当該受験生を残し、他の受験生は全員別の教室に移動させる」対応がとられた。

その後、トイレに移動して出てこず、会場側が警察を呼んだ。個室を施錠し、説得にも応じなかったため、警察官が上部付近から個室に入り、16日午後10時ごろ現行犯逮捕した。

なお、当該受験生は、鼻を出していた理由として「鼻まで覆うと眼鏡が曇ってしまい、問題文が読めない。」とし、「そんなことで失格になるとは思わなかった。」、「体調は万全で、せきやくしゃみをするようなことはなくて、飛沫も鼻から出ることはない。飛沫は口からも出る。席も一番前だったので、誰かに迷惑をかけたわけでもなく、何で失格になってしまうのか分からない。」また、「これが自分の正しいマスクのつけ方だ」とも述べています。

ここで、試験監督が「注意内容を書いたカード」を使うのは試験時間中に声を出すことは他の受験生の妨げになる(今年に関しては飛沫を防ぐという意味があるかもしれません)ため、このような方法がとられます。

また、大きなトラブルが生じたときには、廊下に待機している連絡員を通して実施本部と連絡をとり判断を仰ぐことが原則ですから、今回も6回の注意の間、十分に対応を検討し、実施要領により「マスクを付けられない理由があるならば手続きを踏んで追試験を受けるように」との助言もしていると思われます。

参考・出典

  • 鼻出しマスク受験生は40代 失格後、トイレに閉じこもり(The Sankei News 2021/01/19)
  • 鼻出し失格 受験生を逮捕 近くに座った人が“証言(FNNプライムオンライン 2021/01/19 )リンク切れ
  • 鼻出しマスク受験「眼鏡が曇るから」 釈放男性、トイレにこもった訳は(毎日新聞 2021/01/20)←リンク切れ
  • 釈放の“鼻マスク”受験生「メガネが曇るから 失格はひどい」 (NHK 2021/01/19)←リンク切れ

実施者(試験官)側の対応に問題があったのか

茂木氏の主張
茂木氏のTwitterでは、「鼻出しマスクの件、非典型的な個性に向き合い、包摂することが本質。注意されたらおとなしく従うということが悪意ではなくできない個性もあります。しかもマスクという人によって身体性知覚が異なるものが対象なのに。明らかに試験官側の対処が稚拙。記録して後に事情も聞けた。これはマスクゲート(※)だ。」

さらに「ネット情報によると、共通試験で配布された冊子には『マスクを正しく着用』としか書いてなかったようで、『鼻を覆う』ことを意味するかは曖昧。試験結果無効のような重大な結果をもたらす判断をする上ではお粗末。杓子定規のロボット試験監督による人権侵害だと私には思える。」

その後、最終的にユーチューブ動画において「繰り返し畳み掛けるように注意されると、追い詰められたような気持ちになって非典型的な行動に出る方は、年齢に関係なくいらっしゃると思います。試験官側は、複数回注意して効果がなかった時点で、受験番号を控えて後に事情を聞くなどの対応をとるべきだったと考えます」と言う見解を示しています。

茂木氏のツイートや動画からは「試験後に事情を聞いたのちの具体的な対応方針」までは言及されていません。しかし、主張の内容から推測すると、事情を聞いた後も最終的に失格とすることには反対されるのではないだろうかと思われます。

現実的に試験を最後まで受けさせた場合、事後に事情を聞いたとしても、当該受験生が『迷惑をかけようと思った』などといわない限りは、失格とすることは難しいでしょう。

つまり茂木氏の主張通りにするということは、「今回のようなケースにおいては非典型的である受験生の行為を許容するべき」であるということになると考えられます。

※ゲート(gate)とは1974年に起こったウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)の民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まり、アメリカのニクソン大統領(共和党)が辞任するまでの盗聴、侵入、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅などが行われた一連の「ウォーターゲート事件」に由来し、 政治スキャンダル事件を表す際、その名称に接尾語であるgateをつけるようになった。「コリアゲート事件」、「イラン・ゲート」、「ロシアゲート」などのように使われる(ウィキペディアから)。なお、電子工学において「マスクゲート発生回路」というものはあるが、「マスク問題」で一般的にこのような語法が用いられるかは不明。

多様性を大切にする教育に関する考え方
茂木氏の主張(何が言いたいか)は 脳科学者・茂木健一郎さん「個性を生かして自分の力を発揮するために必要なの能力とは」【多様性の未来を生きる子ども達へ3】(Hugkum 2020/07/14)を読むとより理解できるのではないかと思います。

ここではペーパーテストを中心とした日本の教育システムについて批判的で、「学習障害とギフテッド(先天的に高度な知的能力を持つ)の子どもたちの教育や学びを含め、日本の教育現場が目指すべきは、それぞれの個性を伸ばし、お互いの個性を補い合って、子どもたちがチームで頑張ることを日本の教育現場でもっと波及させるべき」と述べられています。

私の意見
実はちょうどフィリピンと日本の教育について、話題になっている「N高」という題材をテーマに別の投稿をしようとしていたところで、既存の教育システムにとらわれず、「それぞれの個性を伸ばし、お互いの個性を補い合って、子どもたちがチームで頑張ること」という理念には共感する面があります。

ただ、今回の件に関しては、そういった「多様性の尊重」と「大学入学試験(国家資格試験などでも同様)という場でのルール」を混同すべきではない、別の言い方をすれば、今回のような特殊な状況下においてはルールづくりにあたっては十分に多様性に配慮し、そのうえで「多様性の尊重が考慮されたルールは適切に遵守されるべきである」というのが、実際に入試事務を行った私の考え方です。

試験担当者の意識と努力
私が試験担当だったのはもう15年ほど前のことですが、当時を思い出すと、試験前日の夕方になって試験会場となる校舎に誰もいなくなってから、各教室の机に受験番号札を貼ると同時に、机に落書きがある場合は全て消し、机と椅子のグラつきの確認、カッターナイフ等により表面に凸凹がある場合も机を交換、教室の蛍光灯のチェックなどを行いました。さらに最終的に受験番号札などのはり間違いなどの再確認が終えるのはかなり遅い時間となります。

また、館内空調なども前の週に業者を入れて点検するなど入念に準備を行います。翌日は積雪が予想され、私ともうひとりの担当者は校舎に寝泊まりしました。

なぜこのように気を使うかといえば、受験生の人生を左右する可能性のある試験においては、可能な限り「受験生間の公平性、平等を保つ環境づくり」に配慮する必要があるからといえます。

もちろん現実には全国すべての受験生が全く平等というわけにはいきません。とくに時期的に地域によっては雪などによる交通機関のみだれによって実施時間が遅れるといったことは生じます。

それでも、受験生が皆、試験に集中できる環境を整えることは試験実施者の努めであり、やれること、可能な限りのことはすべきと考えます。

事前の周知はなされていたか
「共通試験で配布された冊子には『マスクを正しく着用』としか書いてなかったようで、「鼻を覆う」ことを意味するかは曖昧」という点ですが、受験生に配られるQ&Aでは「試験場内では、昼食時を除き、常にマスクを正しく着用してください。」また、「手作りマスクについては、口と鼻がしっかり覆われていて(以下省略)」と書かれています。

正しいマスクの着用が、「マスクは鼻まで覆うこと」である、というルールについては、受験生に求められる読解力によって読み取れると思われます。

また、そのうえで当日も6回も注意(正しいマスクの着用の説明をして理解を得る)をするという猶予を与えています。

鼻だしを認めないルールは厳格すぎるか
今回のコロナ禍の入試は、前例のない事態であり、無症状感染者が受験する可能性も考慮して最大限可能な措置を講じる必要がありました。

試験会場で感染が起こった場合、その受験生は今後の個別の大学入試に影響が生じます。コロナへの対応は何が正しいかという科学的根拠はだれにも分かりません。必要なのは、やれることはすべて行い、「受験生ができるだけ安心して受験に臨むことができる環境を作ること」に意味があります。

実施者側としてはあまいといわれるより、十分である、あるいはやりすぎといわれるくらい(もちろん受験生への負担とのバランスを考慮した上で)の姿勢で臨むことは必然といえます。

もし眼鏡がくもるなどにより鼻出しをする受験生が続出したならば、それはそもそもこのルールが不適切であったという議論もでるでしょう。しかしそういった問題は生じていません。

もちろん、これは実施者側の理論です。「いや、それは失格するほどの理由とは認められない」という意見は当然あるでしょう。(最終的にその是非を裁けるのは、もはやは裁判所しかありません。)

当日の対応は適切であったか
「試験官側の対処が稚拙。記録して後に事情も聞けた」という意見ですが、受験というのは「事前に周知され、受験生も同意し納得したルール」のうえで実施されています。

「記録して後に事情を聞く」という方法は、その双方が合意したルール違反を放置するということになります。

また、当該受験生は、「席も一番前だったので、誰かに迷惑をかけたわけでもない」と述べていますが、たまたま一番前だったから許され、そうでなければ許されないというのは公平性を損ないます。

鼻を覆うことが科学的ではないというような議論は試験会場内ではする余裕がありません。(もっとも鼻からも飛沫が飛ぶという専門家の意見が一般的ではあります1)

秒単位で正確なスケジュール通りの運用が求められる試験という場では、当該受験生がどのような人物であるか(正当な事情があるのか、カンニングのように単に不正行為を行う者なのか、意図して迷惑行為を行う者なのか)という確認・判断については、1秒刻みのスケジュールで実施する中、事実関係を確認する時間的余裕もありません。また、対応が長引けば周囲の受験生への影響も大きくなります。

受験案内には、不正行為となる例として「試験場において試験監督者等の指示に従わないこと」があげられています。今回の件は「マスクをしなかったら」というのは原因であり、再三の注意に従わなかった行為に対して不正行為という判断がくだされました。

ルールというのは一人に例外を許せば公平性を損ねるため、例外については慎重にならなくてはなりません。そのうえで、「マスクの着用が困難な場合は,「医師の診断書」を提出して受験上の配慮申請を行い、別室で受験する」ことや「(試験当日にマスクの着用が困難なことを申し出た場合は)「医師の診断書」を提出して追試験の受験を申請すること」が認められています。

事前の「マスクに関する周知」、「事前申請において別室受験が可能であったこと」、「当日に何度も猶予を与えて注意していること」、「追試験という選択肢もあったこと」をかんがみると、受験生の多様性に配慮しつつ、かつコロナ禍における最大限の対策の徹底を図るという点おいて、やむをえない措置であったと考えます。

その後の有識者などのコメントも多くが実施者側に理解を示すものであったことは良かったと思います。

1)鼻出しマスクは感染するし、感染させる「鼻から飛沫が」(朝日新聞Digital 2021/01/19)
咳エチケット(厚生労働省)

一方的に判断し、断罪する危険性
「杓子定規のロボット試験監督による人権侵害」という発言については、あまりに一方的に断罪するような考え方で、多様性の尊重について考えるうえで必要な「柔軟かつ客観的で先入観のない見方」を損ねているようにも思えます。

せめて、「試験監督にも事情があるだろうが、失格にならなくて済むような方法はなかっただろうか」(先ほどのように私自身は適切だったと考えますが、そのような考え方自体は尊重されるべきです)のような感想であってほしかったなと思うところです。

非典型的な行動をとる受験生への対応
さて、これまでは試験実施者側の話ですが、マスクに限らず、発達障害やその他の事情がある場合は事前に申請の上、別室受験をすることが可能です。

こういった配慮の利用に関しては、本人による自発的な申請があれば一番良いのですが、そうでない場合は、家族や友人などのサポートが必要です。1)しかし、今回は受験生が成人だったということもありますが、どうしても今回のようなケースというのは起こり得ることです。

実施者側としても、できえば不正認定などをしたいわけではなく、それを避けようとする努力もなされたと思います。しかし、前もって相談することができれば違っていたと考えられるので、後味の悪い結果となったことは残念でなりません。

1)発達障害の子どもが大学受験するときの7つの確認事項と親ができるサポート(キズキ共育塾 2020/07/03)

マスク問題

航空機でマスク着用を拒否
昨年9月に釧路発関西空港行きのピーチ・アビエーションの機内で、マスクの着用要請を拒んだことをめぐって、他の乗客に侮辱されたとして、謝罪させるよう客室乗務員に大声で要求し続け、さらに乗務員の腕をねじり上げて2週間のねんざを負わせるなどし、機長命令で、同機を新潟空港に臨時着陸させ退去させられ、大阪府警に逮捕された34歳の男性が威力業務妨害と傷害、航空法違反の罪で起訴されたと報道がありました。1)

この事件に関しては、当該男性が「マスクおじさん」としてツイッターで積極的に自分の意見を発信し、Abema TVに本人が出演するなど話題になりました。

この件に関しては、「リスクが少ないにもかかわらず、鼻と口を隠すような人生はおかしい。」(私は緊急着陸を招いた「マスク拒否おじさん」にむしろエールを送りたい:PRESIDENT ONLINE 2020/09/12)と、この男性を擁護する意見もあり、賛否があるところです。

1)ピーチ機内でマスク拒否 威力業務妨害罪などで男を起訴(朝日新聞Digital 2021/01/22)←リンク切れ

航空会社の対応
ピーチ・アビエーションは国内全路線の再開を控えた6月2日に新型コロナウイルスなど感染症への対策を周知する特設ページを開設し、地上係員はマスク着用を厳守し、飛沫感染を防ぐフェイスシールドも着用すると発表しました。

また空港カウンターにはビニールシートを設置し、機内では、客室乗務員がマスクと手袋を着用。機内販売を3月9日から中止し、乗客の手が触れる部分の消毒を徹底するほか、乗客には、出発前に自宅などで検温するよう求め、空港と機内ではマスクの着用を強く求め、そのほか飛沫感染を防ぐため、機内での会話を控えるよう呼びかけました。1)

航空会社は乗客数の減少で経営的に存亡の機に立たされています。できる限り乗客の安心をとりもどし、航空機を利用してもらうための環境を整えるための一環としての措置でした。

1)ピーチ感染対策周知の特設ページ 搭乗前の検温・マスク着用求める(AviationWire 2020/06/02)

起訴された男性の主張
Abema TVに出演した際は「私が座席を移動するという提案もあったが、通路側に座っていた私と窓側に座っていた方との間の席は空いていた。すでに十分な距離があったわけなので、もし気になるということであれば、その人が動けばいいと思った」と述べ、あくまでお願いであるから拒否できるという考えを示しています。1)

1)“ピーチ機騒動“ 飛行機を降ろされたあの男性 まさかの顔出しでTVに出演(matomeHub 2020/10/27)

ひろゆき氏の見解
この件に関しては、ひろゆき氏がツイッターで「クレーマーに反論すれば済むと思わせたのが敗因。『お願いではなく、航空法73条の機長要請です。』と言った方が早かった気がする。 “航空機内の秩序若しくは規律の維持のために必要な限度で、その者に対し拘束その他これらの行為を抑止するための措置をとり、又はその者を降機させることができる。”」と指摘しています。

企業側の心構え
ひろゆき氏の指摘のようにマスクをすることの是非といった議論は別の場でするべきで、機内ですべきことではないということを事前に徹底させる方法がとれれば、今回のような事件は避けることができたかもしれません。

船長と同様に機長に絶対的な権限が与えられているのは、乗客が(運行に関係するスタッフを代表する)機長に命を預けているという特殊な状況(関係あるいは場)において双方が合意した契約であるからといえます。自分と異なる見解であったり、理不尽と感じようともその場では従わなければならないものです。

今回の事件も、結果的には他の乗客にも多大な迷惑が被るという事態となってしまいましたが、「当該男性に席の移動をお願いした」とのことで、客室乗務員や機長は、できるだけ円満に解決する方法を模索したと見受けられます。

マスクではありませんが、例えばANAの案内をみると「歩行が不自由」「病気やけがある」「パニック障害である」「目が不自由」「耳や言葉が不自由」「座位が保ちにくい」「身体障がい者補助犬を連れている」「知的障害・発達障害がある」「アレルギーがある」など、かなりきめ細かい案内がなされており、様々な事情を持った人に、できるだけ対応するという姿勢がみられます。1)

感覚過敏でマスクが着用できないという人も確かにいるのでマスク着用についても配慮が必要であることは確かです。2)その意味でも、今回、当該男性に席の移動を提案したことは適切であったあったといえます。

「そんなこと聞いていない」とか「そんな意味に取れなかった」というようなトラブルはマスク問題に限らずビジネスなど様々なケースで起こりえます。特にサービス業ではそういった対応は危機管理として十分に想定し、対応を考え、準備しておく必要があります

1)ANA よくある質問
2)「マスクが着けられない…「感覚過敏」の苦悩 わがままと誤解も」(西日本新聞 2020/06/19)、「マスクと感覚過敏、自閉スペクトラム症」(yahoo news 2020/09/26)

森会長の発言と多様性の尊重

森会長の発言
今、日本では東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性軽視あるいは蔑視と受け取られる発言をしたことが大きな問題となっているようです。

森会長は会見を行い、発言を撤回して謝罪しましたが、東京オリンピック・パラリンピックの基本コンセプトである「多様性と調和」に反すると思われる発言に対し、森会長の資質を問う声もあがっており、ドイツ大使館、フィンランド大使館、スウェーデン大使館、駐日欧州連合代表部、国際連合広報センターなどからツイートが発信されています。1)

1)各国大使館が「男女平等」を相次いでツイート、森会長の発言が影響か(iPhone-Mania 2021/02/06)

「多様性の尊重」という意識
フェミニズム(女性解放思想、女権拡張主義、男女同権主義)や、環境問題、人種差別問題など、なにか欧米が進んでいて、日本は意識が遅れているようなイメージがあります。

人種、環境問題など、歴史的にさんざん欧米諸国が現代からみればかなりメチャクチャなことをしてきて、そういった過去が全く無かったかのように他者を責めるような姿勢が一部にみられることには、何か腑に落ちない点はあります。しかし、現実的にはそういった感情は横に置き、世界のスタンダードを理解することが必要です。

最初の「多様性の尊重」の項目でふれたように、大手企業でさえ、複数人の目でチェックし、制作されているはずのCMでさえ世に出され炎上してしまいます。どうしてこのようなことが起きてしまうのでしょう。

ジェンダー(制服などの学校における対応)
ジェンダー(社会的意味合いから見た、男女の性区別)の問題なども、例えば私の時代、私の通学していた学校では中高とも制服は男性は学ラン、女性はセーラー服でしたが、当時、男性はズボン、女子はスカートという制服について、なぜ校則で一律に決められているのかというような疑問などは1ミリも持っていませんでした。

しかし、現代においてはそれが常識とはいえなくなっています。文部科学省は、2015年4月、全国の学校に「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」を通知し、「制服は自認する性別の制服・衣服や、体操着の着用を認める」という事例をあげるとともに、他にも、更衣室やトイレの使用、体育、部活、修学旅行での個室使用や入浴などに関しての配慮や、戸籍上男性の髪型や水泳での水着の配慮といった事例があげられています。

最近はこの通知を反映し、スラックスとスカート、ネクタイとリボンが選択できたり、ジャケットも全く男女の差がないジェンダーフリーの制服を取り入れる学校もでてきているようです。1)(一方、私の時代でも、私立高校では服装が自由という学校もあり、制服自体が廃止されるケースもあると思われます。)

1)「制服「男子はズボン」「女子はスカート」の原則を見直し 男子生徒へのスカート導入は?」(Wezzy 2020/01/09)←リンク切れ

ヨーロッパにおける男女のスカートの歴史
そもそも男性はズボン、女性はスカートという概念はいつから始まったのでしょうか。ファッション史ではスカートの最も原始的なものとされているのは古代エジプト人の用いた腰巻「ロイン・クロス」といわれます。1)

ヨーロッパ社会においては、ローマ時代の末期になると、男性の服装では北方の衣装に由来するズボン形式が浸透し始めました。2)

つまり、ヨーロッパではもともとは男女ともスカートを着用していて、中世になってから男性がズボンを履くようになったということになります。(スコットランドの民族衣装のキルトはその名残でしょうか)


1)スカートの歴史と名前の種類:いろんな見方から説明(Mode21 2020/10/28)
2)石山彰 編『日英仏独対照服飾辞典』ダヴィッド社、1972年、376頁(Wikipedia)

時代の変化
男性がズボン、女性がスカートという服装の性差も時代によって異なるということです。

時代の移り変わりの速度は昔の何倍、何十倍、何百倍と早くなっています。ジェンダーや多様性など様々な問題については常に意識していないと、時代錯誤の感覚になってしまう場合があります。

古い価値観を持ち続けるということも、意味がある場合もあるので、そこはバランスなのだと思います。

あらためて、森会長のあいさつについて
森会長は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長で、問題のあいさつは日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議委員会でのものでした。JOCの会長は柔道の山下泰裕氏です。

つまり、形式上は別団体の来賓あいさつようのような形であるもかかわらず(そういった場合は普通は長くても10分未満でしょう)、そのあいさつは40分を超えたそうで、「女性(理事)の話が長い」という内容を語りながら、延々とスピーチをするというのはブラックジョークか?という見方もできるかもしれませんが、関係者にとっては冗談では済まされない事態となってしまいました。

森会長のあいさつの該当部分は下記のとおりです。

「女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。」

森会長にできるだけ好意的な見方をすると、この文の前段として、組織をまとめる山下会長をねぎらうという流れがあり、後半を読むと、この発言は女性一般についてではなく、自分のラグビー協会やIOC理事会について聞いた話として、女性理事の話が長かった、しかし自分の組織委ではそんなことはないという事実を述べたものと。(だから山下会長は苦労されているね)

(もっともそれでも、公でのスピーチとしてはどうかという内容ですし、そもそも話が長かろうが大事なのは中身であり、お役所関係組織の理事会などでは予定調和で建設的な議論がなされないことの方が問題ともいえます)

しかし、前段部分は一般論としての語り口になってしまっており、また、後半の「みんなわきまえておられる」という言い回しも、「きちんとした的を射た発言」ということを言いたかったのかもしれませんが、上から目線の権威主義で「女性はわきまえていれば良い」とも受けとめられる言葉でした。

そういった一般論的な言葉を挟み込んでしまうということ自体やはり、意識下に女性全般に対してそういう思い込みがあるからこそ、出てしまったと思われます。(「女性はおしゃべり好き、男は無駄口を叩かない」というような昭和的な男女観が根底にあるのかもしれません)

また、恐らくJOC理事会など最近の組織は「クォータ制」(※)を採用しており、それに対する偏見や不満のようなものも見え隠れします。

※議員や会社役員などの女性の割合を、あらかじめ一定数に定めて積極的に起用する制度のこと。社会に根づいている男性優位の意識やシステムを変えるには、強制的に政治家や組織のトップや役員などを女性割り当て、上から変えていくという考え方にもとづきます。
女性の社会進出を迫る「クォータ制」を日本に根づかせるには?~蔭山克秀氏インタビュー~」(みんなの仕事場)を参照のこと

多様性の尊重は難しい
私が就職した最初の職場は肢体不自由養護学校(今は特別支援学校という名称です)でした。私の時代、私がいた地域の学校は特別支援学級など統合教育がなく、就職してはじめて、障害児と接したのでした。セブに来てはじめて外国人の友人ができ、ゲイの人と知り合ったり、キリスト教徒の妻を得ました。

自分とは違う価値観の人や異なる境遇の人とは、実際に出会い、知り合わなければ本当に理解することはなかなか難しいのではないかと思います。

多様性の尊重というのは普段から意識していないと、上っ面だけではどうしてもボロがでてしまいます。批判されるから、あるいは炎上するから、気をつけようというのでは、根本的にはダメな気がします。

常に「多様性の尊重」を意識すること。その意識することというのは、本来であれば、それほど難しいことはなく、他者の尊厳(あるいは自分と異なる個性)を尊重するというシンプルなものだと思うのですが、人というのはどうしても偏見を持ったり、他者を傷つけることに鈍感になってしまう面があります。

そもそも人のもつ良心や良識などは完全ではありません。ひとりひとりがそのことを認識し、多様な他者に対して謙虚になることが、とりあえずは、大事なことのような気がします。

おわりに

風をひいて以来、今度は、夜眠れず、明け方に寝て、昼間や夕方にウトウトするという状態で、体調も今ひとつでした。

日本で働いていたころも、休日などは昼過ぎまで寝ていたり、基本的に睡眠のリズムが悪いのです。これは、頭の手術と関係があるのかどうかよく分かりませんが、当時、仕事の日は一応は頑張って起きて行けました。これが手術後だんだんと厳しくなってきたのです。

大学で入試を担当していたときは手術の2年前で、今考えると、影響もあったかもしれず、しんどかった記憶があります。残業も多かったなあ。

最初の手術後も6年位頑張ったのですが、そのまま、頑張り通していたらどうなっていたか、頑張り通せて、愚痴を言いながらも、今でも働いていたかもしれないし、ボキッと折れてしまったかもしれない。どっちだろう。

やっと、体調ももとに戻ってきたので、1年ぶりにSMモールにいってアクションカメラを買って、スマホを予約しました。ユーチューブ始められるかな。

日本はだんだんと暖かくなってきたようですね。セブはまだ過ごしやすい気候です。ビジネスの方もいろいろ大変なのですがこれらの話もまた次回に。

みなさまもお元気で、風邪にお気をつけください。

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