「フィリピン(セブ)移住に向いている人いない人」について

はじめに

前々回にお話ししましたが長年勤めた仕事を辞めてフィリピンのセブの地に降り立ったのが2014年でした。5年目の年もあとわずかとなったところで一区切りとして今回からこの5年間を振りかえるお話をしていきたいと思います。

最初は英語の勉強のためにセブに来たわけですがその後一人暮らしを始めたとき、リタイアメントビザを取得したとき、ビジネスを始めたとき、結婚したとき、家族と同居を始めたときと節目節目にだんだんと「フィリピンに移住する」という実感が強くなってきました。

と同時に海外生活の経験も全くない私が「この異国の地でやっていけるのか?」という不安はいつも付きまとっています。

「フィリピン(セブ)の移住に向いている人いない人」というテーマは私自身に投げかけられる問題でもあります。

本題に入る前にいくつかの話題から。

銃社会とクリスマス

「フィリピンは銃社会である」というのは広く知られているところです。

1年ほど前に私のカミさんの知り合いの家族であるジョン君(仮名)が麻薬と銃所持の容疑で逮捕されたことがあります。まだ二十代前半で悪いグループと付き合っていて一斉検挙されたとのこと。

これだけ外国人でさえドゥテルテ大統領による「麻薬戦争」が認識されているご時世で麻薬に手を出すなど殺されなかっただけまだ良かったと思うのですが、振り込め詐欺の「受け子」に見られるように犯罪の意識も薄くリーダーなどに言われるままに手伝って小遣いをもらうような感じだったようです。

警察の留置所では寝るスペースもないほど満員状態で交代で寝るとのこと。また、日本と異なって食事などは提供されないので家族が差し入れに行くのですが家族から見放された被疑者もいて分け合って食べるのだそうです。

保釈金は5万ペソかかり何とか工面して1週間程度で出られたとのこと。

その時聞いた話によると日本の保釈金は一時的に預けるだけで逃走するなどの問題行為を起こさなければ後で返ってきますがフィリピンでは「支払い」となって戻ってこないようです。

他の知り合いの家族では兄が過去に麻薬で捕まるたびにOFW(フィリピン人海外就労者)で外国にいる妹さんの送金で保釈金を支払っていたところ4回目でさすがにもう助けないと送金を拒否されたという話も聞きました。

さて、悪いグループとも縁を切ると約束したジョン君ですが約一年経ってその後どうしているだろう思って聞いたら普通に過ごしていて裁判はまだ始まっていないとのこと。

ちょうど一年前のこの時期だったので思い出したのですがよく考えるとクリスマスシーズン。この後お話ししますがちょうど警察に不信感を持つ出来事があったタイミングでもあり、あらためて考えてみてそのとき警察は保釈金を稼ぐためにがんばって検挙に励んでいたのでは勘ぐってしまいました。(真面目な警察の方すみません)

というのもこの時期は給料をもらっている人は法律では2か月分支給されるのでまだいいのですが皆お金を得ようと必死なのです。

セブにきて最初にイエロータクシーを使ったときにメーターを使わずホワイトタクシーで300ペソ位のところを800ペソとか言ってきて高すぎると文句を言ったら「荷物が多いから」とか言ってきても「こっちは一人だし」と押し問答したら今度は「子供が沢山いてクリスマスに何も買えない」と泣き落としにきたりしたのもクリスマスシーズンでした。

もともとクリスマスが待ち遠しいという年でもないのもありますが、セブにきて最初の頃は、この時期は近所のカラオケの騒音がひどくなり街中の混雑や渋滞は拍車がかかり、前にお話ししたカロリンの子供たちは毎日次から次へと来るし、車やタクシーの信号待ちで来る路上の物乞いもカロリンバージョンになり、周りからお金を貸してくれとか何々を買ってくれとかという話があったりして次第に身構えてしまうようになってきて何だかちっとも楽しくなくてクリスマスに対する印象が悪くなっていったものでした。

もっともクリスマスイブなどは酔っ払いの銃に撃たれないように注意を促されるくらいですからこの時期は小さなことをいちいち気にしていられません。最近は気に留めずにいられるようになってきてます。

写真にある銃はもちろんオモチャですがバンという音もして2歳と甥っ子と3歳の姪っ子がこんなのを持って遊んでいるとドキッとします。

アメリカとかだと小さい子供が親の本物の銃をいじっていて誤って兄弟を殺してしまったみたいな事がありましたよね。

確かに私も子供の頃はウルトラ警備隊のおもちゃの銃で遊んだりしていましたがフィリピンではあまりシャレにならないのでやめてほしいです。

「獣になれない女たち」最終回でした(ネタばれあり)

ネットの見逃し配信で視聴している「獣になれない女たち」の最終回です。

職場での人間関係によるストレスがリアルで観ているのが辛かったりプライベートの問題も抱え解決できないじれったさが聴率の伸び悩みの原因とも言われているようですが私は楽しめました。

シチュエーションは異なりますが何か明確な次の目的に向かうためではなくそれまでの自分が引きずっていたものを断ち切るために仕事を辞めリスタートを切るまでの葛藤を自分と重ね合わせました。ラストも余韻があってよかったです。それに向かってのシーンも「なんだかんだあっても皆それぞれ生きていく」登場人物がビールで繋がる演出はお酒が好きな私好みでした。

軽バンに追突されてバックレられる

フィリピンではモンティカブと呼ばれている軽バンにタクシーとして走り出してまだ数ヶ月しか経っていない一台が追突されました。

外国人である私は「事故処理に関して加害側の場合は特に、被害側でもなるべく表に出ない方がいい」というのが周囲のフィリピン人全員に共通するアドバイスです。

外国人が相手だと補償を吹っかけてきたり値切ろうとすることはあってもその逆はまずなく、裁定する者もフィリピン人側にひいき(悪意というよりかは外国人は金持ちなんだから我慢しなさいみたいな感じでしょうか。あるいは金持ちは金で解決しようとすることもあるので厳しくしておいて出方を見るなんてこともあり得るかもしれません)になるケースが考えられるので、デメリットはあってもメリットはないとのこと。

もっとも私自身が事故の当事者になった場合もありますし、事故処理の実情を全然知らない訳にはいかないので最初のころはなるべく聴聞や交渉には同席するようにしていました。最近はカミさんとマネージャーに任せており今回も報告のみ受けました。

今回のケースは事情聴取で相手が過失を認めたとのことで加害者側でないことで安心していたのですが(新車が傷ついたのはショックですが)翌日に連絡しても相手が出ないというのです。

しかしこんなのは初めてのケースです。事故処理は従来はCITOM(Cebu City Traffic Operations Management)という市の機関が行っていたのですが私が日本にいる間に警察が行うようになったのです。「In a traffic accident, call the police, not Citom」(SunStar Cebu)

今までは加害者と認定されたら相手への補償が終わるまでは免許証を取り上げられるので加害者が逃げる事への抑止力となっていました。ところが今回警察は免許証を取り上げずに加害者を帰したとのこと。

日本では交通事故は民事案件で警察は介入しませんが任意保険の加入率が高く保険会社が対応するので問題にはなりにくいと思いますがフィリピンでは保険に入っていないケースも多く何もなければ踏み倒す者が続出するでしょう。

シートンは日本の警察と比べるとおおざっぱというような面は見えますが一応きちんと調書は書いて事故処理をするという姿勢はありましたが今回は担当の若い警察官は話もろくに聞かずやる気ゼロとカミさんは憤慨していました。

カミさんは担当警察官が相手方から金をもらって免許証を返したのではとの疑いを持っています。

弁護士と相談の上で書類も整え再度警察に申し立てるとともにLTO(Land Transportation Office)という運転免許証を管理している役所にも苦情申立てをしました。

普段はLTOはいつまでたってもプラスチックの免許証が出来上がらなかったり、手続きに行ったらシステムがダウンして無駄足だったことが二度あったりと今一つでしたが今回はちゃんと対応してくれて、聴聞を開き相手方が三度の呼び出しに応じない場合は免許を取り消すとのことなので相手が賠償に応じてくることを期待して待ちます。

LTFRBのルール改正その後

 

LTFRBの方も相変わらずで以前お話したようにタクシーぺレーターはすでにグラブやMicabのような「transport network companies」 (TNCs)への登録が義務付けられて毎月料金を支払っています。

今回GPSの設置が義務付けられたのですがさらに毎月500ペソ位の支払いが発生するというのです。

そもそもTNCsはGPSを使わなければ利用できないはずなので全く意味が分からずきっと何かの間違いかと思っていたら年明けに実施されるとのこと。

フランチャイズに関するルール変更も、私のような小規模の事業者は他のオペレーターと組むなどの調整をしなければなりません。さっそくあるオペレーターと打ち合わせをしてきました。なんだかバタバタです。

 

「フィリピン(セブ)への移住に向いている人いない人」について

今日から5年間を振り返る内容でお話を始めるにあたりイントロダクションとして「フィリピンへの移住に向いている人向いていない人」について触れたいと思います。

「向き不向き」は変化する

セブにきて5年経っても自分自身で「果たして自分はフィリピン生活に向いているのか」と思うことがときどきあります。

ざっと自分のことを考えると「海外旅行経験がほとんどない」「タガログ語はもちろん英語もろくに話せない」「暑さに弱い」「楽天的ではなくネガティブな性格」「社交的ではない」「新しい職場など異なる環境になれるのに時間がかかる」「ゴキブリが死ぬほど苦手である」「誰よりも先に蚊に刺される」など「向いていない」考えられる要素ばかりです。人に騙されると「お人よしすぎる」とか「注意力が足りない」と思ったりもします。それに高齢の親を抱えていたり、昨年1か月の入院で自分自身の健康面の不安が生じるなど環境面も変化してきました。

一方「向いている」要素といえば当初のことを思うとほとんど出てきません。しかし今は「向いている」方に変わってきたかなあと思うことがあります、たとえば「あまり細かいことは気にしなくなってきた」し、先ほど挙げた向いていない要素も「暑さには慣れてきた」り「少し楽観的になってきた」ように思えます。

自分の「向き不向き」を考えるために

「どこに住むかどの生活レベルで暮らすのか」によって大きく環境は異なりますし同じ環境でも「人それぞれ」で「どのような環境」(ビジネスをするのかしないのか、フィリピン人配偶者を持っているかいないかなど)によるかでも「向き不向き」は変わってきます。

仕事に関していえば事業家や俳優さんなどがインタビューで「私は向いていない」と思ったことがあるような話はよく聞きます。移住も「向いている向いていない」よりも「何か大事なもの(こと)」を見つけられるかの方が大事なのだと思います。

何かというのは様々で「家族」でも「仕事」でも「ボランティア」でもいいですし「何だかわからないけれども此処にいるとただリラックスできる」でも何でもいいと思います。

「獣になれない私たち」の昌は最終的に退職を決断しました。仕事に向かないとして辞めるケースでは「仕事にやりがいが見つけられなかった」「自分の能力がマッチしなかった」「職場の人間関係が自分に合わなかった」などいろいろな理由が考えられます。他人の経験談は参考になるかもしれません。

私自身これまでフィリピンに移住している方からアドバイスをいただき参考にしてきました、一方フィリピンを去られた方も見てきました。

私のブログでは「事前に準備万端で移住したわけでもなく」むしろ「行き当たりばったり」で「40代半ば」で「英語もろくにできずに」フィリピン(セブに)移住し無謀までビジネスを始めた実体験を日々つづっています。

日本国内での田舎暮らしの移住も結局のところやってみないと分からないと思いますが海外の場合はさらに事前に思っていたこととのギャップが大きいことは確かです。

この後5年間の経験として「衛生事情と医療事情」「食生活と健康」「親の介護問題」「年金受給までとその後の経済的負担」「治安と防犯」「フィリピン人との付き合い」「日本人や日本人コミュニティーとの付き合い」「フィリピン人女性との結婚及び家族や親族との付き合い」「生活上のリスク」などのお話をしていきたいと思っているので「移住に向いているかどうか」を考えるちょっとした参考にしていただけたらと思うのです。

あえて「フィリピン(セブ)移住に向いているか否か」をあげるなら

日本国内でさえ日常生活で人は他人に対して怒りや不平不満、ストレスを持ちます。それはギャップによるのではないかと思います。自分の価値基準と相手とのギャップ、自分の思いやりと相手の受け止め方のギャップ、性格の不一致、行き違いなどなど。

「獣になれない私たち」では登場人物がもつやさしさや我儘、優柔不断、無関心、無自覚な悪意、おせっかい、自虐といったものに基づく行動が複雑に絡み合い人間関係がスムーズにいかないさまが描かれていました。

ましてや海外移住というのは異なる文化の中に入って行きマイノリティとして生活することです。何の問題なく毎日が楽しく過ごせたら奇跡です。

そこであえてフィリピンに移住に向いているか否かを一つ挙げるとすると「自分の物差しとのギャップに耐えられる人とそうでない人」になるかなと思います。

「物差し」は自分の価値基準であったり自分が所属する世界(日本人なら日本)のモラリティなどの社会規範などです。

「耐えられない」というのはひたすら耐えてストレスをため込むみ、いつか「押しつぶされてしまう場合」と「そのストレスを「外部に向けてしまう場合」があります。

日本国内でもそうですが、ネットの中には時折フィリピン在住者によるフィリピン人やフィリピン社会に対する不平不満が見られます。愚痴であったり客観的な意見の範囲であればいいと思うのですが、それが攻撃的、侮辱的ないわゆるヘイトスピーチになったりするのであれば自分自身のストレスメーターが限界にきている可能性があります。

壊れる前にフィリピン生活は「向いてない」と判断して日本で暮らした方がいいかもしれません。

「獣になれない私たち」の昌のように再出発する決断というのも時には必要ですから(「獣になれない私たち」ネタが多くて観ていない方は何のことかと思われるかもしれませんが見ていない方はスルーしていただいて問題ありませんので。今日はこのドラマに引っかけてお話ししたくて、すみません)。

ギャップの耐え方としては「慣れる」というのもありますが一番大事なことは最初の方でお話ししたように「何か大事なもの(こと)」を見つけることでそれができれば一番いいですね。

 

ボホール島の新空港

そういえばセブ島のお隣のボホール島の新空港がオープンしました。セブとボホールを橋とトンネルで結ぶという計画があるという話を以前きいたことがあるのですがどうなっているのかとちょっとググってみたら先般行われたドテルテ大統領と習近平書記長との会談のニュースの中で中国の援助を受けるプロジェクトの中に入っているようです。どうなることやら。

今日は5年間を振り返る投稿のでだしなのにフィリピン(セブ)のいいところの話があまりありませんでしたが、次回からは私がなぜフィリピン(セブ)に移住したかのなかでお話ししていきます。

しかし予定している投稿テーマ全部は今年中には終わらないかなあ。でも「あせらず あわてず あきらめず」です。フィリピンで生きるために「向いている」人になるための人生訓でもあります。

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