「絶対的貧困」と「相対的貧困」
最近ネットで落語家による貧困問題に関するツィートがネット上で批判されているそうです。
(もっとも。こういったインターネットニュースはライターが「ネットで批判が殺到している」とか「賛否両論」とか書いているだけで統計とか示されているわけではないし、よく言われることですがそもそもネットの意見というのは果たしてどれほど世論を反映しているのだろうかという問題はあると思います)
貧困問題については以前福祉関係の部署にいたことがあることや、今住んでいるフィリピンは深刻な貧困問題を抱えていることからも関心を持っており、思っていることを少しだけお話ししたいと思います。
貧困問題の議論では「絶対的貧困」と「相対的貧困」を意識しないとかみ合わなくなります。
『貧困者数とは、その国や地域において何人の貧困線以下の者が存在するかを示した指標であり、これを全人口に対する比率としたものが貧困率である。貧困率には絶対的貧困率と相対的貧困率とがあり、前者は、当該国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が全国民に占める割合を表す。一方後者は、自身の所得が全国民の所得の中央値の半分に満たない国民の割合を表す。』(ウィキペディア「貧困」より)
「絶対的貧困」の定義ですが世界銀行は2015年10月、一人あたり1日1.90ドルと設定しています。「国際貧困ライン、1日1.25ドルから1日1.90ドルに改定」(The World Bank)今のレートでおよそ99ペソ、204円位です。
ちなみにセブの法定最低賃金は一日366ペソ(今のレートで約7ドル、754円位)です。(Department of Labor and Employment(DOLE) 「National Wage and Productivity Commission REGION VII, Central Visayas」) ←(このドーレ(DOLE)は労働紛争を所管しておりフィリピン人従業員を雇用する企業等にとっては非常に重要な役所です)
ということはフィリピンでは仕事にありつけても家族4人を支えるともう「絶対的貧困」の範疇に入っていしまうような感じでしょうか。
実際、家族を養っている場合は法定賃金(実際にはこの基準さえ守られていないケースもあります)で暮らすのは家賃や食費だけで精一杯という感じです。フィリピンでは貯蓄率が低く、銀行の通帳さえ持っていない人も多いです。セブだと、田舎から出稼ぎにきている人も多く、さらに自分の生活を切り詰めその中から実家に仕送りもしていたりします。
今回はフィリピンの貧困問題には詳しく触れませんが、いろいろな問題と絡み合い複雑です。住宅問題、教育問題や、公衆衛生、犯罪など。
日本の貧困
日本においては日本国憲法 第25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とし、生存権と、国の社会的使命について規定しています。生存権とは「人間が人間らしく生きるのに必要な諸条件の確保を、国家に要求する権利」です。(赤字はウィキペディアにリンク)
憲法第25条の理念に基づき健康で文化的な最低限度の生活を保障する公的扶助制度が生活保護制度です。日本における絶対的貧困ラインといっていいかもしれません。
日本でも(生活保護を受けず、あるいは受けられず)餓死したというようなケースもニュースで耳にします。しかし、現実的な運用に問題はある(本人の生活上の義務や家族の扶養義務、所得や財産の把握など)としても少なくとも憲法上、制度上は日本においては生活保護制度は整備されています。
一方、「相対的貧困」の定義は「等価可処分所得の中央値の半分に満たない世帯員」(難しいですが世帯員の生活水準を表すよう調整したもの)であり、この割合を示すものが相対的貧困率です。
「絶対的貧困率」との比較でいうと「相対的貧困率」は格差を示すものであるという見方ができるようですが、一概にそうとも言えないという考え方もあるようです。その点は少し専門的な話になるので省きます。
今回問題になっているのは相対的貧困についてなのですが、国民生活基礎調査では貧困ラインは122万円で15.6%が相対的貧困ということになるそうです。この調査については厚生労働省「相対的貧困率等に関する調査分析結果について」で述べられています。
いずれにせよ相対的貧困者が国民の約16パーセントというのはすごい数です。貧困ラインの122万円といえば一人暮らしの場合の生活保護の受給額もそんな感じだと思うのですが…。今度ゆっくり調査を読みたいと思います。
「相対的貧困」について議論する場合、該当者があまりに多く、曖昧で漠然となってしまう恐れがあります。
私は公務員時代に数年間だけでしたが福祉関係に携わっていました。ホームレス小屋といわれる場所や貧困ビジネスで問題になるケースもある簡易宿泊所などに行き、直接それらの方に会ってヒアリングを行ったことがあります。他の福祉問題を考える機会もありました。
貧困問題には個別に他の福祉制度(高齢者、障碍者、児童など)との関連や、生活保護受給問題、貧困ビジネス、住宅問題、ネットカフェ難民、非正規雇用、ワーキングプア、ニート問題、シングルペアレント、こどもの貧困・貧困の連鎖、介護離職、所得格差など様々な個別の社会問題、福祉問題、労働問題などと絡み合っています。
今回の「貧困」に関する発言について
今回の落語家さんも「生活保護がある」と言っているので絶対的貧困的は国が責任を持つという点については異論はないのだと思います。
ただ、冒頭で「世界中が憧れるこの日本で『貧困問題』などを曰う方々は余程強欲か、世の中にウケたいだけ。」という挑発的な言葉ではじまり、「この国の貧困は絶対的に『自分のせい』なのだ」と幅広い貧困問題をひとくくりにしてすべてを自分のせい、自己責任と断定してしまったことで極論と批判を受けているのだと思います。
ただ、なぜこのツイートを発したかと少しさかのぼると「松本人志さんのネットカフェ難民に対する発言」叩きに言及しており、その後のツイートの発言を読むと一部の(彼自身は政治的と考える)少し過激な意見に対し一般的な「不平不満より感謝の気持ちを大切に」というようなことを言いたかったのかなとも思われます。
しかし、そうだとしても結果的にはこの表現は極端に過ぎたように思えます。
今回とは逆に、世の中には貧困に対するネガティブな意見もあります。貧困問題の議論になると必ず生活保護制度に対してくすぶっている『年金との不均衡』、『不正受給』、『ギャンブル問題』などが湧き出てきています。自己責任論や甘え論といったことはかつては年越し派遣村の時にもあったと記憶しています。
少し前にNHK番組の「子どもの貧困」を取り上げた番組が炎上したことがあり、本来は相対的貧困の問題であるにもかかわらず、困窮さが強調され衣食住にも事欠く絶対的貧困の話と視聴者に受け取られるような内容であったことから番組終了後に炎上するという結果になったようです。
それより以前は芸能人のお母さんが生活保護を受けていたことが問題になり、バッシングも起きました。
日本は家族が支えられない困窮者は社会が支えるシステムですが自分たちの税金が使われているという意識からどうしても一部の不正や不適正な事例があると疑念や反感が生じてしまうのかもしれません。
相対的貧困にある人の中にはこんな先進国で豊かなはずの日本でどうして自分はこんなに苦労しなくてはいけないのだろうと愚痴の一つも言いたくなることはあると思います。実際に相対的貧困の中には、自己責任ではすまないような本来は絶対的貧困として、あるいは他の制度で支えるべきところにも拘らず制度の網から漏れるなど深刻な状況に陥っている人がいることも確かです。福祉制度も完ぺきではないのですから。
誰しもいろいろな悩みや苦しみを背負って生きているわけで相対的貧困もその一つなのですから、必要な人に対しては適切な支援をし、自助努力ができる人にはエールを送ることが必要で今回の発言もそこを踏まえての発言であればよかったのではないでしょうか。『自己責任論』についてももちろん『自立支援』というのは基本ですから、総てををひとくくりにするのではなく、どのようにしたら個々のケースに適切に対応できるかが問題なのだと思いますし、福祉の現場でも専門職の人たちが悩み日々取り組んでいることであると思います。
日本の貧困の現場も少しかじり、フィリピンという地での貧困を目の前にして生きる立場から、今後もいろいろ考えて行動もしていきたいと思います。
冒頭の写真は本文とは関係ありませんがgoldilocks のお菓子です。フィリピンではRed Ribbon というブランドも有名で大抵のモールには両方とも店舗を構えています。私は甘いものは嫌いではありませんが自分ですすんで買って食べるほどでもありません。あまりこだわりもなくて両方美味しいと思います。
ちょっとな長くなってしまったセブからのつぶやきでした。