今日は久しぶりに「セブでの5年間を振り返る」を再開です。
パソコンがジュースをこぼされ故障
やっとの薬のせいかのどの調子がよくなってきたところなのですが、パソコンが故障してしまいました。
姪は今四歳になったとこですが、最近パソコンが立ち上がっていると自分で「Google chrom」を開いて、さらに「Netflix」 や「YouTube」もツールバーから自分で開くことができるようになっているのです。
私が席を外しているうちに、誰かに買ってもらったジェラートのようなジュースをぶちまけてしまったのです。自分でも「やっちまった」と思ったのか、そそくさと退散していきました。

- 犯人です。
- ちなみにこのブログの表紙のカレンデリアにいる真ん中の子です(約3年前)。
SMの「Acerショップ」で修理してもらいました。パソコンは「ASUS」なのですが、カミさんによるとここの店員がいいのだそうです。
店員で店を選ぶといったことは日本でもあり得ますが、フィリピンでは店員のスキルのばらつきが顕著です。
電気やネットなどの工事や修理の依頼とかでも、担当するスタッフで驚くほどスキルやビジネスマナー(時間を守るとか、きちんと説明するとか)が異なっている印象を受けます。
以前、友人に教えてもらって、バイクで修理に使っていたリペアショップも、店というよりそこの年配の店員さんの仕事が丁寧ということでした。もしほかの店に移ったら客も移るでしょう。
フィリピンでは社員教育で従業員に均一なスキルを求めるということが足りなのではと感じることもあります。統計上は分からないのですが従業員の転職が多く追いつかず個々の資質に頼るということがあるのかもしれません。
結局3日間かけてキーボードの取り換えを含み約3,500ペソかかってしまいました。

水の大切さ
前回初めての海外生活で日本との違いをお話ししたところですが、大きな『違い』を忘れました。(5年も経つとだんだんと当たり前の生活になってきて意識しなくなってきます)
フィリピンでは蛇口から出る水は飲めません。安全に水道水が飲める国は日本を含め世界で16か国位だそうです。飲める水がトイレやシャワーにも使われているというのものすごく贅沢な話です。
飲料水以外は水道水を使います。私の経験では市街地の水道水でも異臭などは感じず、シャワーなどは特に問題なく使えます。
ただ生活する上では、街中のカレンデリアやレストランで無料で提供される水などは注意した方がよいと思います。
またホテルなどでも、日本の感覚で蛇口から出る水でうがいや歯磨きをするのも避けた方が賢明だと思います。私は大丈夫ですがおなかを壊す人もいますし、口に入れることを前提にしていないので成分も心配です。
セブでは街中あちらこちらに水を販売している店があります。
では時計の針を戻して続きから
英語学校の寮を出てアパートで一人暮らし
学校生活も4カ月が過ぎようとしていました。
学校の寮ではなく一人暮らしをしようと思い立ったのです。
理由は英語の実践力をさらに高める事。二つ目はフィリピンの生活を楽しみたいこと。
私が学んでいた学校は通学コースもありオーナーさんに相談したらコースを変更してくれました。
それが実行できたのは、今のカミさんを含めフィリピン人の友人や親しい先生が部屋探しや手続き、引っ越しを手伝ってくれたことによります。
寮から出ることによってフィリピンの生活や文化をじかに体験することができるようになりました。
さらに興味深い異文化
子供のころからピアスをしている
セブでフィリピン人の友人ができて家に遊びに行ったりして気が付くことがありました。小さい女の子でも耳にピアスを開けていているのです。
スペインでは幼児からピアスをする習慣があるようで、その影響かと思われます。
また、フィリピンではタトゥー人口も多いのですが、私は痛い思いをしてまでそういったことをするのは無理です(たとえ若かったとしても)。
年上に対するあいさつの仕方
フィリピンはとても年長者を敬う国です。シニア割引はいろいろありますし、スーパーには優先レーンがあって待たなくて済みます。普段はものすごい時間がかかる役所手続きですが以前友人にくっついていったときはおばあさん連れで優先して処理してもらってました。
年長者の女性にはアテ、男性にはクヤという呼び方もありますが、あいさつも特別な仕方があります。下はYouTubeにアップされている外国人の動画です。
普段のあいさつはすごくさらっとした感じです。
初めて葬式に参列し、山の中で一晩中故人を悼む
友人の祖母が亡くなったというので友人3人とともに訪ねることにしました。カルカルという場所で、セブ市からだと中心地まで約40km、車で約1時間位のところにある田舎ですが少し大きな街です。
そこからさらに山に登りますが、この時バイクでドライバーのほかに自分を含めて3人の計四人乗りで山道を走ったのにも驚きました。
かなり山に入り集落といった感じでもなかったのですが電気は通っていて携帯の電波も届いていました。意外にインフラは整っている印象を受けました。
夕方到着して明け方までキャンプ場のような広場で過ごしまた。
フィリピンでは葬式は日本の通夜を合わせたような感じで1週間ほど通して行われます(親族が海外に出稼ぎに行っている場合などは延ばすケースもあるようです)。市街地ですとチャペルにテントを張って皆で集います。
ちなみにその後何度か市街地で行う葬式にも参列しましたが服装は普段着でもOKで日本のようなお香典や香典返しといったしきたりはなく、葬儀場にドネーションの箱が置いてあってそこに現金を入れるだけです。
家のそばでの葬式が終わると大抵渋滞のない日曜日に墓地に向けて出発します。セブにきて最初の頃、日曜日なのに時々渋滞していて何だろうと思ったら、葬儀の列でした。先頭は故人を乗せた車で、その後に随行の車、参列者が徒歩で続きます。
アジアで唯一のキリスト教国
葬式で触れたとおりフィリピンの大きな特徴はアジアで唯一のキリスト教の国であることです。日本人からすると仏教の国であるタイなどと比べると宗教観の違いを感じるかもしれません。
私のカミさんはカトリック教徒ですが私はカトリック教徒ではありません。結婚式は教会ではなく市役所で行いました。
近くに住んでいる叔母はイグニシアスというフィリピン発祥のキリスト教系の宗派ですが、信徒が結婚する場合、相手が異なる宗教や宗派である場合は改宗しなければなりません。もしカトリックにそういう決まりがあったなら、妻がカトリック教徒をやめるか、私が教徒にならなければならないということになります。
カトリックはトラディショナルな宗派で、そういった面でおおらかであると言えますし、普段生活しているうえではあまり宗教観というものを気にすることは少ないと思います。
しかし日本人の宗教観とは明らかに異なることは理解しておく必要があると思います。
結婚する前にカミさんに「神を信じている?」と聞かれたことがあります。
私自身は無神論者ではありませんが、仏教的な人知を超えた存在の可能性はあっても、聖書に書かれているような神の存在については疑問は持っていました。
そのときは「確信はないけど、偶然で宇宙や人間が存在するという考えよりかは、神が存在する可能性のほうがあると思う」と辞書を引きながら答えたと覚えています。
本人には聞いていませんが、そのとき真っ向から否定していたらもしかしたら結婚に至らなかったかもしれないと思っています。
信仰の度合いにもよるとは思いますが、フィリピン人の中には神を否定されることは自分が否定されるくらいに感じる場合もありえると思います。
歌が大好きカラオケ好き フェイスブックが大好き
これはスペインの影響、ラテン系に加え南国の風土の影響か、とにかく陽気な気質です。日本人と比較すると自分をアピールすることも躊躇せず、それゆえ、ミスコンも盛んであったりフェイスブック利用率も世界一ともいわれています。
なお、私の周りのフェイスブック利用率はほぼ100%なのですが、フィリピンはネットワークビジネスが盛んで売り込みも多く、私はもともとフェイスブックをやっていなかったこともあり、メッセンジャーでやり取りをする人など限られて人とのみ利用しています。
女性が活躍する国 シングルマザーの多さ
これも初期から一貫してフィリピンに対して持っている印象です。
特にうちの家族をはじめ、長女がしっかりして働いており、弟は仕事もあまりせず頼っている。
英語学校で学んでいた時に知っている先生4人が立て続けに未婚で妊娠しました(うち1名はその後結婚、1名は事実婚を継続、2名は破局、)。
父が浮気して出ていって今はいないというケースも何人もいます。
個人差はありますが全体的にみれば「しっかりしなよ」と言いたくなる男性が多いように感じられます。
離婚(婚姻無効)が多い
フィリピンでは法律上離婚が認められていません。これはキリスト教の影響です。
でも実際に破綻するケースは多くあり、どうするかというと、そもそも結婚が無かったことにするのです。
ただ、日本の離婚は夫婦同意の上の離婚であれば紙切れ一枚でできますが、裁判所の手続きが必要で費用もかかり、容易ではありません。
このためフィリピンではそもそも結婚手続きをしない事実婚のケースも多くありますし、子供ができてから結婚するというケースもあります。
結婚する場合はマリッジセミナーというものを受講しないといけないのですが、見た目で妊婦さんも分かる人も結構いました。
食生活と健康
これまでに知り合いが二人心不全で亡くなりました。一人は私とほぼ同じ50歳くらい、もう一人はまだ20代半ばくらい。
また、ほぼ同い年の友人の血圧は160以上、最初の家庭教師は20代で糖尿病でインシュリン注射を持っていましたし、私が以前住んでいた時にお世話になった一家の20代前半の息子は高血圧で最近心臓拡張?と診断されたとのこと。
他にも40代で恐らく糖尿病のせいか失明した人もいました
統計上は分かりませんが自分の身の回りを見渡すと、高血圧、糖尿病がとにかく多い。
フィリピンのローカルの食事の特徴は、野菜が少なく肉とライスが多く、味付けはしょっぱくてオイリーで、主食以外では甘いものが大好き。
食生活が影響しているのは明らかかと思われます。裕福層はかなりヘルシー志向が高まってきていますが、今後は庶民にも広まっていくかもしれません。
嫌な経験もしながら
最初の家庭教師
ネットを見るとフィリピンに移住した方や駐在等で働いている方によるフィリピン人論的な記事を目にします。
仕事関係でしたら、時間にルーズであったり勤務態度がレイジーである。プライベートではあればやはり金銭関係のトラブルが多いと思われます。
最初の家庭教師は学校に在学中の土日に喫茶店でレッスンを受けていたのですが、1か月を過ぎたころに無断欠席があったり、レッスンではカンバセーションの練習をしたいと頼んだにも拘わらず、コピーしてきたテキストの読解をさせたりしてきました。
挙句にはその間にセルフォンをいじり始め、最後はレッスン料をアドバンス(前払い)してほしいと言ってきたのでさすがにクビにしました。
普段はただの友人関係なのであまり気にすることはないですが、ビジネスを始めて、ドライバーを雇うようになると苦労することになります。
それでも数少ない経験なので一概に日本とフィリピンを比較できないとは思います。日本でも最近はSNSへの投稿で問題になっているバカッターと呼ばれるようなアルバイト従業員もいますし。
お金は貸したら返ってこない
フィリピンでローカルの人々と付き合う生活をして、金銭のやり取りで全く問題がないという人はいるのだろうか。
セブで生活し始めたころは友人関係を広げたいというのがあって、お金を貸してほしいと言われれば貸してあげたものでした。
私の場合、数えてみると、返済されるのとされない割合はおおよそ半々でした。返済されない場合は当然友人関係は自然に消滅していきます。
ビジネスを始め数年経つと、もう無理に友人関係を広めようともしなくなり、そうなると自然にお金の貸し借りもほとんどなくなってきました。
日本からセブへの2度目の帰国直後にファーストフード店で貴重品一式盗まれる
これはセブでの二年目に入ったころのこと。
それまで一度もスリや危ない目にもあったことがなく、「セブって意外と安全な街だなあ」と思い始めてた矢先にやられました。
もっとも全く無防備だったわけではなく、ほんとに一瞬の油断で、スマホでテキストを打っていて鞄を脇に置いていたところを一式盗まれました。
幸い現金だけ抜かれ、パスポートやキャッシュカード、クレジットカードはその後捨てられて、拾った人が銀行に届けてくれたため、翌日銀行から連絡が来ました
この時、日本から戻ってきた直後で、日本円で持ってきて預金しようと思っていた現金数十万円を盗まれました。
これ以降は、セブへの帰国直後でも気を緩めず現金は最小限に貴重品は持ち歩かず、バッグはどんなことがあっても絶対に手から離して机やいすに置かないようにしています。
この時友人から教えてもらったのは、私はセブ市の警察に被害届を出したのですが拾ったのはマンダウエで、もしマンダウエ市の警察に届けられていたら連携はとられていないので連絡されなかったとのこと。警察は縦割り組織とのことでした。 (4年前のことなので今は分かりません)
それでも移住を決意
一人暮らしを始めるといい面や悪い面も知ってくるようになりますが、だんだんとここで暮らしたいという気持ちが強くなってきます。
日本に40年以上暮らし、それは「隣の芝生は青く見える」という面もあったとは思います。
ただ、フィリピンには日本が失いつつあるものがまだ残っていて、人生の半ばで挫折し、後半に向かう自分にとってそれはとても居心地の良い場所だったのです。
そしてこの時は最も親しい友人の一人であった今のカミさんの存在が大きかったのは確かです。
普段の生活で金銭面で嫌な思いをする出来事がある一方で、妻は日曜日に英語のレッスンを頼んでも(セブではトップクラスの大学を卒業していて英語力は十分にありました)「自分はプロではないから」とお茶や食事だけで十分と謝礼は一切受け取らないといった面もあって信頼度が高まっていたころです。
このとき父はまだまだ元気で、セブに帰るときはいつもバッグを運ぶのを手伝って空港まで見送りに来てくれたものでした。当面はセブと日本をいったりきたりして、父には見守りサービスを受けてもらうつもりでした。
いざとなったらセブからは毎日直行便も出ていますから、日本で交通不便地で親と別れて暮らしているのとそれほど大きな違いは無いという気持ちもありました。
しばらくは退職金もあるので暮らしに不自由はありません。しかし落ち着いてくると、このまま年金がもらえるまで暮らせるだろうか、年金は見込みどおり受け取ることができるのだろうかという不安も募ってきます。もともとがネガティブ思考の性格なのです。
そして漠然と何かセブでビジネスができないだろうかという気持ちもめばえてきました。
そして、このころに信頼できる友人が何人かできたのですが、そのうちの一人とタクシービジネスを始めることになるのです。
つづく
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