セブ全島がMGCQに
メトロセブは8月31日までは「GCQ」となっていましたが9月1日からは「MGCQ」になり、これでセブ島全体が「MGCQ」となりました。
ツイッターにも載せた記事によると「シラオ・フラワー・ガーデン(Sirao Flower Garden)」などの観光施設も開放へ、飲食店や理髪店は収容人員75%まで、教会や集会は50%と、だいぶ緩和されてきました。
しかし、MGCQのときに配布された外出許可書(QR-coded quarantine passes under an MGCQ setup)の携帯は継続して義務付けられるとのこと。
これって、うちのバランガイは20世帯に1枚しか割り当てられてないし、外出可能な曜日も決まっているので、コロナ以前のようには気軽に外出はできません。
また、夜10時から朝5時までの夜間外出禁止時間(Curfew:カーヒュー)も継続、そして21歳未満、60歳以上、健康リスクのある人、妊婦さんは、まだ特別な理由や許可された就業以外は原則として外出禁止です。
夜10時までは外出可能と言っても人通りはかなり少ないようで、ドライバーたちも早めに切り上げています。
タクシーは8月1日から走り出しているのですが、やはり問題が生じました。この話については現在進行中なので、また次の機会に。
今後の新型コロナ対策
日本の話しですが、政府は新型コロナウイルスの感染症法における位置づけを見直し、無症状や軽症の患者を入院勧告の対象から外す方向で検討しているとの報道がありました。
私が日本での手術を終え、セブに着いたのは確か今年の1月10日のことです。
1月14日に神奈川県で「日本で初めて感染者の報告」があり、2月5日から横浜港に寄港した「クルーズ船内で感染者確認」、2月13日に「日本で初めての死亡例」が報告されたころは、まだ世界が今のような状況になるとは思ってもいませんでした。
3月9日の「イタリアのロックダウン」、3月23日の「イギリスとニューヨークのロックダウン」、この頃から、欧米から「大変なことが起きている」と、危機を訴える声が聞こえてくると、「もしかして世界中がそうなるのか?」という不安が生じてきました。
また、志村けんさんが3月29日に亡くなられたニュースは、子供の頃から毎日のようにテレビで顔をみていたわけですから、とても身近なことと感じられた出来事です。
一方、フィリピンでは3月15日からのマニラ首都圏、セブも3月28日からECQが発令され、日本でも4月7日に7都道府県、16日には全国に非常事態宣言が発令され、5月25日まで続きます。
欧米のニュースを聞いた頃は、ウィルスや病原菌を題材にした映画(「復活の日」や「アウトブレイク」、「コンテイジョン」)のような事態になったら、という心配もありましたが、研究も進み、今回の新型コロナは、少なくともそのような恐れはないということは分かってきました。
もっとも、欧米とアジアでの感染率や死亡率の違いなど、依然として解明されていない部分もたくさんありますから、そういったことを踏まえて、「MGCQ」の次に来る「ニューノーマル」においてもしっかりとした対策を行い、後戻りしないことを願うのみです。
ナショナルヒーローズデー
ブログの更新が遅れてしまって、もう過ぎてしまったのですが、8月31日は英雄の日(National Heroes Day:ナショナルヒーローズデー)で祝日でした。
マゼラン率いるスペイン船団がフィリピンにたどりついたのが1521年(武田信玄が生まれた年です)。
その後、1543年にサマール島とレイテ島などをスペイン国王フェリペ2世(当時はフェリペ皇太子)にちなみ「ラス・イスラス・フェリピナス (Las Islas Felipinas,フェリペナス諸島) 」と命名したことが「フィリピン」という国名の由来となっています。
少し前にドゥテルテ大統領の国名変更に言及した発言が報道されたことがありました。複雑な気持ちは察することが出来ます。
長い長い植民地政策や傀儡政権からの完全な独立という歴史は、多くの犠牲のもとに勝ち取ったものであり、フィリピン人にとってはとても重要なことなのです。
ナショナルヒーローズデーは、300年近くに及ぶスペインの植民地政策に対するフィリピン革命の始まりであるアンドレス・ボニファシオ(Andrés Bonifacio)をリーダとした反乱を記念するものです。
この反乱が起きたのが1896年(明治29年)8月末のことです。
そして、アメリカとスペイン間の「米西戦争」のタイミングで、フィリピン独立運動の指導者エミリオ・アギナルドらは1898年(明治31年)6月12日にフィリピンの独立を宣言し、同年8月13日、米軍の協力を得て、マニラにあったスペイン総督府を陥落させスペインとの戦闘を終結させ、暫定政府を組織しました。
ところが、スペインはアメリカにフィリピンの領有権を譲渡、米比戦争が起こり、第二次世界大戦での日本による統治などを経て、1946年(昭和21年)7月4日にマヌエル・ロハス大統領のもと主権を獲得し、第三共和国が成立して主権を獲得します。
(以上は、かなりざっくりとした説明です。)
この祝日はアメリカ植民地時代の1931年(昭和6年)1に制定されており、日本軍の占領下の1942年(昭和17年)にホセ・P・ローレル大統領は日にちを変えて定め、翌年の11月30日に記念式典の場所としてバターン島のサマット山墓地を選び、スピーチを行い記念したそうです。(戦後に今の8月末に戻されています。)
どんな状況下においても独立の志を持ち続けていたことが伺えます。
ナショナル・ヒーローズ・デーには英雄の名前は明記されていません。それは、個人を特定するのではなく、祖国、国家、正義、自由のために死や迫害に立ち向かったフィリピンの英雄たちすべての勇敢さをたたえるためです。
(詳しくはフィリピン政府HP「National Heroes Day」を御覧ください)
このようにナショナルヒーローズデーというのはアンドレス・ボニファシオらによる後の独立につながるフィリピン革命を記念してのものですが、個人ではなく無名の人々も含めて英雄としているところはいいですね。(ボニファシオやリサールに関係する祝日は別にあります。)
今のコロナ禍においては、医療従事者を讃えようというムーブメントがありました。
フィリピンの独立のために立ち上がった人もコロナに立ち向かっている人も、ひとりひとりが皆ヒーロー(英雄)です。
終わりに
日本は安倍首相の辞任という大きなニュースがありました。
私がカミさんに話をしたときはもう知ってましたので、フィリピンでも大きく報道されたようです。
「Duterte wishes speedy recovery for resigned Japanese PM Abe」(Inquirer.net 2020/08/29)
東南アジアは親日国が多いですが、その中でもフィリピンはインドネシアと並び最も日本に対し友好的という調査結果もあります。
現代では日本人が海外に住む場合は、ビジネスや個人での移住が多いかと思いますが、昔は北米、南米、アジア諸国など、国策も含めて多くの人々が移民として日本からで出かけて行きました。
そして戦争や政治に翻弄されてきました。
それは海外で暮らす以上は仕方のないことですが、外国に住んでいるものとしては、祖国との関係が良好であることはとても大事なことです。
今後も日比友好が続きますように。